はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 以前の記事で、ニワタリ神を検証する上で「2」という数字が重要であろうという投げかけをしておりました。そう思う私なりの根拠はこれまでも少しずつ露出はしているのですが、その話題の離陸のためにも、まだしばし滑走路を走りつづけてみたいと思います。
 多少なり結論を含んだところで申しあげれば、“2(ニ)”というのはそのヒントをくれた「二柱神社」の名前が語るそのままなのですが、どうも夫婦にせよ兄妹(姉弟)にせよ“一対”という部分にポイントがあるように思えます。これまで一対を軸にする話題はいくつかあげてまいりましたが、ここにあらためて国分寺自体も尼寺との一対であることを思い出すのです。

陸奥国分尼寺
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当然ながら法華“滅罪”之寺です。
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 数年前の話しですが、そのようなことを思いいろいろ調べている中で、私は、「風琳堂(ふうりんどう)」という出版社を知るに至りました。風琳堂は、歴代の権力者によって歴史から抹殺されつつある「瀬織津姫(せおりつひめ)」という女神の研究に、社命をかけてとりくんでいる出版社です。
 さしあたり風琳堂の出版物で、菊地展明さんの著書『エミシの国の女神』を探し求め、何度か読みふけり、同社とコンタクトをとることにしてみました。同社の社長、通称“風琳堂主人”さんは、実に熱く私の質問に応じてくれて、今でもたくさんの情報をご教示くださっております。
 さて、そんなある日、風琳堂主人さんが某所から陸奥国分寺について衝撃的な記述を見つけ、私にご教示くださいました。
 なんと、陸奥国分寺跡にある白山神社が、実は本来“志波彦神社”であったというのです。

木ノ下白山神社
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 さすがに鳥肌が立ちました。
 その記述は『封内風土記』にあるということで、私はすぐに図書館に走りましたが、なかなか見つけられませんでした。
 ようやく見つけたその記事は、封内風土記には違いないのですが、厳密にはそういった史料をまとめたシリーズの『仙臺叢書』の第八巻で見つけたのです。しかも記事本文というよりも、木ノ下白山神社の項での注釈として書かれた、言うなれば日本書紀でいうところの「一書に曰く」のようなものです。これは大正十四年発行のもので、少々現代人には読みづらいのですが、以下のような記述です。

――引用――

按するに。何れの代より。木ノ下に祭りしや詳らかならず。或曰。此地往古志波彦を祀る。是當郡の大社なり。岩切の河北を。指していふといへども。其地狭隘大社を設るにたらず。且郷人白山は志波彦たるの説あり。是を古書に考ふれば。源重之奥州刺史として。多賀城に在しなるべし。其集中に三月。祭によりて雪を冒して。小鶴を過るの歌あり。思ふに三月。祭りにより雪を冒して行く者か。況んや三月の祭禮といひ。多賀城より途を小鶴にとるといへる。木ノ下の祭禮に赴きしに似たり。識者宜く併考すへし。

 志波彦神社の謎は深まるばかりです・・・。しかしその一方で、おぼろげななにかは見え初めているように思います。

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