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特殊技能を持ち合わせたよそ者と地元の娘が結ばれるという展開は、特に珍しいものでもなく、少し探せばおそらく全国各地、あるいは世界各地を見渡してもすぐに見つかるものなのかもしれません。 少し話がずれますが、かつて『ブッシュマン』という映画が流行しました。飛行機から投げ捨てられたコーラ瓶が、アフリカの未開の地に落下するというところから物語が始まります。謎の物体が空から降ってきたことにより、そこで生活を営む原住民族の一種族“ブッシュマン”の生活にささやかな波乱が起こるのです。その様子を描いた素朴な作品が爆発的な人気を博しました。なんのことはない、ブッシュマンのなんの飾りもないそのままの日常を撮影し、コミカルな展開に仕立てた素朴な映画なのですが、当時妙にウケたのです。このブームを本人が意識したかどうかはわかりませんが、主人公となった実在のブッシュマン「ニカウ」さんは、一躍有名人かつ人気者になりました。 人気者となったニカウさんは先進国で引張り凧となり、原始的な世界からにわかに文明の中に引きずり出されました。ニカウさんから見れば、自分の生きる世界では想像だに出来ない“魔術”を次々に展開してみせる白人は、まさに神に見えたようで、例えば、エスカレーターに乗る白人の姿を見て「神様が遊んでいる」と思ったのだそうです。ニカウさんの目には、白人は全て同じに見えており、神様(白人)がくりかえしエスカレーターに乗っているように見えたということでした。 これは、文明社会の中に未開の地の人間が紛れ込んだ故のギャップですが、逆に未開の地に文明人が単身――あるいは少人数で――紛れ込み、ささやかでも文明の為せる技らしきものを見せ付けたならば、さらに、それが未開の人達にとって飛躍的に役立つものであったとしたならば、それはまさに“神の力”であり、崇拝されることでしょう。 アウトドアが好きな、とある私の知人は、少年時代から仲良しグループとよく自転車で海へと出かけ、バーベキューを楽しんでいたとのことでした。初期のうちは、一応“炭”は持参したものの、それが点火するまでに相当な時間と労力を費やしていたといいます。ある時、わずかな灯油を持ち込むことに思いついた彼は、これまで最も苦労した点火までの作業を瞬時に解決してみせ、一躍英雄になったというのです。思うに古代における渡来文化の輸入のメカニズムもこんなものなのでしょう。 最近ではさすがに言われなくなりましたが、かつては進歩的な弥生文化の氏族が野蛮な縄文文化の氏族を滅亡させたかのようなニュアンスで語られることもしばしばありました。そこには弥生と縄文の対立を前提にした発想がありました。 しかしこれはよく考えれば実に不自然な発想です。 古代においては、文化が進んでいるからといって戦争に強いとは限らなかったはずです。例えば、槍の先が石から鉄に変わった程度のことで、どれだけ殺傷能力が増すのでしょうか。戦力が飛躍的に変わるとも思えません。したがって少数の渡来系氏族が大多数の縄文系原住民を征服したとは考えにくいと思うのです。極端に言えば、普段獰猛な動物相手に戦っている野生の原住民に、所詮当時の先進技術の武器を携えた程度では“勝てるわけもない”気が致します。やはり弥生文化の浸透は砂が水を吸うが如くごく自然に、かつ必然的に広まったものと考えるべきかと思います。もちろん数の中にはそれを歓迎しなかった派閥もあったとは思いますが、おおかたはそのような“便利な”文明の浸透を歓迎していたのではないでしょうか。きな臭い征服劇が展開するのは、もう少し新しい歴史ではないかと想像いたします。 さて、例えば白鳥をトーテムとする氏族が、鷹をトーテムとする氏族と融合していく背景にもそういったものがあったのかと想像します。私はひとつの弱含みな仮説ながら、その二種類の鳥をトーテムとする各々の種族が交わることによって、そのお互いの信仰を尊重する習慣が生まれ、「二羽(二種)の鳥」信仰が生まれたのではないかと考えてみました。ついてはそれがニワトリ(≒ニワタリ)信仰の始まりになったのではないかと考えるのです。以前触れたとおり、ニワタリには“2”という数字がなにやら意味を持っているかに想像できました。つまり私は、鳥の信仰ではあるもののここでのニワトリとはいわゆる鶏のことではなく、二羽(二種類)の鳥から発展したのではないかと考えたのです。 仙台市泉区古内の「仁渡神社」
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