はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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後醍醐天皇の哲学

 真言密教に限らず、仏教には「一即多(いっそくた)」という概念があります。
 例えば米一粒が生まれるためにも、太陽の恵みや土、水の恵み、人間の営みなど全てのものが関わっており、すなわち米一粒の中にも宇宙が凝縮されております。一つが全てで全てが一つ、宇宙の中に一個人があり、一個人の中にも宇宙がある。これらには全て切り離すことの出来ない因果があり、またそもそも同じ一つのものだ、という概念だと言えばよろしいのでしょうか。
 空海は仏教全般において不浄、及び煩悩とされる人間の性(セックス)についても宇宙の一原理として考え、切り捨てませんでした。
 ライバル最澄が、不得意とする密教を謙虚に学びに来ていたとき、当初気前よく協力していた空海は、あるとき突如最澄を突き放し罵声を浴びせるが如く豹変しました。空海はもともとやっかみ的な感情から最澄を快く思っていなかったフシもあるのですが、この場合はそれとは少々異なります。その理由は、最澄が「理趣経」を解説した「理趣釈経」を借りたいと申し出たことにあります。
 理趣経とは男女の交合つまりセックスについて書かれた経典でもあり、一歩間違えば「セックスこそが悟りへの道」のようにも受け取られかねない要素を含んだ経典で、空海はこれを面授なしに書面のみで理解しようとすることは大変危険性があると考えたのでしょう。  
 そもそも真言密教の大原則は面授口伝にあります。師と弟子が直接面授で同じ空気の中に身を置きながらそのオーラのようなもので極意を伝授するものだけに、特にこの危険極まりないものについては空海も気前のよい態度を取れなかったのでしょう。
 このときの空海の懸念は、やがて鎌倉時代に実現されてしまったようです。必ずしもそうは言い切れないのかもしれませんが、セックスに特化した――そう評価された――「真言立川流」が生まれました。度々触れましたとおり、後醍醐天皇はそれに没頭していくのです。
 後醍醐天皇はその一方で朱子学を政治哲学にしておりました。
 朱子学には「性即理(せいそくり)」という概念があります。「性」とは人間の本性のことで、「理」とは天地万物の法則性のことで、これらは切り離すことの出来ない表裏一体のものという考え方のようです。私が思うに、おそらく朱子学の「性即理」の概念は、真言立川流に心酔する後醍醐天皇の中でおおいに一致する感覚だったのではないでしょうか。
 そして、この朱子学が持つ理念の大きな特徴としては、尊王思想があります。
 朱子学によれば、徳のある本来の王が天下を治めるべきで、徳の備わらない野蛮人が治めるべきではないということになるのです。これはおそらく元に対しての精一杯の思想攻撃のようなものでしょう。朱子学がこの時期に興った事情は、やはり蒙古帝国の拡大に起因すると思います。文明人を自負する南宋人にとって、漢民族以外、ましてや中華思想においては野蛮人でしかない蒙古人に王座を奪われたという経験は、極めて屈辱感の強いものであったはずで、そのことが朱子学の理念に強く反映されたことでしょう。
 そしてその思想的な感覚は、ここ100年以上も幕府の下風に立たされ続けた朝廷側の理解を、ごく自然に得ることになりました。後醍醐天皇は、朱子学に裏付けられた自分の中の激しい正義に基づいて、ついに行動を起こすことになるのです。

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