はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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梅で宗任、桜で政宗

 奥州藤原氏の前身でもある俘囚長の一族「安倍氏」が、「前九年の役」で、自分達と同じ俘囚系の清原氏と、名門源氏の連合軍に敗れ去った後、囚われの身になった一族の雄「安倍宗任(あべむねとう)」は、京に連れ出されました。そのとき、京の公家らは、宗任を野蛮なエミシと蔑み、梅の花を見せて「これはなんの花か?」と馬鹿にして質問したといいます。そのとき宗任は一句詠んで返しました。

「わが国の 梅の花とは見つれども 大宮人はいかがいふらむ」

 なんという粋な反撃でしょう。
 つまり、
「それがしの国で言う梅の花に見えるが、京の人たちはこの花をなんと呼ぶのか」
と返したのです。
 宗任の知的水準の高さと、さらりと加えた皮肉には相当面食らったことでしょう。公家たちはたいそう驚いたといいます。
 時代が下って、独眼竜伊達政宗も似たようなことをされました。そのときは桜の花の名前を聞かれたといいます。このとき、政宗もやはり歌を詠んで返したといいます。

「都人 梅に懲りずに 桜かな」

 要するに
「都の人たちは、かつて宗任公に梅で恥をかかされたくせに、それに懲りもせず今度は桜で恥をかかされたいのか」
と言ったところでしょうか。
 ここには二重の反撃が含まれております。
 ひとつには桜の花を知っているのはあたりまえで、歌も詠めるという文化的なものに皮肉のエッセンスが加わっていること。つまり宗任と同種の反撃でしょう。
 もうひとつは「こちらは歴史を熟知しているが、そちらは甚だ過去の教訓が生かされていない」という嘲笑を含んだ、いわば追い討ち的な逆転劇です。
 これらの真偽の程はわかりませんが 東北人としては実に痛快な逸話です。
 いずれにせよ、例えば伊達氏は、系図を信頼するならばそもそもは藤原氏です。奥州に土着したのは、あくまで源頼朝軍として阿津賀志山で藤原国衡を敗走させた功によるもので、鎌倉時代以降の話なのです。それでもこの逸話からすれば――織豊時代であっても――桜も知らないだろう野蛮人扱いに過ぎなかったのです。

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