はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 「出雲(いずも)」は、古代史ファンであれば絶対に無視出来ないエリアの一つではないでしょうか。
 なにしろ、おそらく日本の先住民族の首長であっただろう「大国主」を鎮魂する聖地なのですから当然です。朝廷は、この大国主――あるいはそう比定される人物――の怨霊を最大限恐れておりました。神話のような平和な「国譲り」などが現実的にあったとはとても思えません。一体どこの世界に侵略者を尊敬して、その振る舞いに理解を示し、母国を差し出すような首長がおりましょう。逆に万が一それが事実だったならば、大国主はあきらかな売国奴であり、首長としてはっきり失格だったと思います。もちろん、そんな売国奴が、そもそも混沌としていただろう古代において、一つの連合国家をまとめあげられるわけがありませんので、おそらく大国主は愛する領民――出雲神族――が亡国の民にならないよう、必死の抵抗をしたはずだと思います。

大国主が国譲りを強制された稲佐浜(いなさはま)――いなさは“ 否然“すなわち“YESorNO”の意味だという――
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 さて、私達は通常10月を暦上「神無月(かんなづき・かみなづき)」と言いますが、これを出雲においては「神在月(かみありづき)」と呼びます。これは何も特別目新しい情報でもなんでもなく『広辞苑(岩波書店)』にすら書いてあるほどのごく一般的な知識です。この言葉の起源は、諸国に坐す八百万の神様が、この月にこぞって出雲に集まったという俗伝に因るようです。つまり、そのとき諸国は「神無し」状態になり、逆に出雲はあらゆる神々が集まっている状態になっているということになります。
 これは、かつての連合国家時代の、いわば“出雲サミット”の名残ではないか、と私は考えます。
 いずれ、出雲はある時期連合国家の首長たる地位にいたのでしょう。それが現在の出雲の地での事かどうかはわかりませんが、少なくともある一時期、出雲民族――出雲神族――が諸国のリーダーシップをとっていたことは間違いないでしょう。
 それだけに古代史において出雲の“怪しさ”はメジャーなもので、逆に今更私が“出雲の謎”を提起したところで特に新鮮味がないのも事実です。したがって、私がわざわざ出雲大社を訪れたのも、決して自分が疑問に感じている何かを探ろうとしたものでもなく、数多の先輩達が論じている「古代史最大級のミステリー」の地に、とりあえずは一度足を踏み入れて置きたかった、という憧れに過ぎませんでした。
 ところが、到着して早々「なんじゃこりゃ!」と松田優作さんばりに立ち止まるハメになったのです。
 何を隠そう、それなりに予備知識を持って訪れたつもりの私でも、現地に行かなければ決して気付かなかった、ある“からくり”に出くわしたのです。
 それにしても、出雲研究を手がけた諸先輩方々が、そのことになんの疑問も抱かなかったのかが、とても不思議です・・・。少なくとも私が目を通した文献等には、このとき私の目の前に展開していた奇妙なからくりに対する記述は、特に見受けられませんでした。
 少々もったいつけてしまいましたが、私が驚いたのは、境内の大鳥居から見て、ずばり、参道が坂を下っていることでした。
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 少し想像してみてください。境内にある鳥居を潜ってから下に降りていく参道というものを、お目にかかったことはありますでしょうか。
 例えば渓流の岸にあるお不動様などであれば、渓谷を下るという宿命的な地理的条件故にそのようになることはよくあることでしょうが、これだけの国家の大社がそうだということにはさすがに驚かされるのです。
 もちろん、そのような神社が他にまるっきりないわけではありません。ここでは触れませんが、少なくともそれなりに大きな神社でも全国に二つはあります。そしてそれらはいずれも脛に傷を持つかのような怪しい神社です。
 振り返れば私達の日常でも、例えば家の中で神棚を祀る場所を神職に相談すれば、まず間違いなく最も高いところに配置するよう言われます。マンションなどで、どうしても神棚の上に人が歩く形になる場合は、天井に「天」なり「空」なり「雲」なりの文字を書いた紙を貼り、そこより上には天空しかないんだという一種のおまじないを勧められた経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。
 それを思えば、参道を下って神様に参拝する設計など、あきらかに神への冒涜であり、あり得ないものだと思うのです。設計ミスなのでしょうか。いえ、それは考えにくいと思います。朝廷が、国を譲ってくれた大国主との大切な約束を守るために最大限の精力をつぎ込んで建立した大社において、少なくともそんな単純なミスを犯すはずがありません。もし、ミスだとしても、いざ着工する際にはあきらかに気付くはずで、なんらかの修正をかけるはずでしょう。相手は史上最大級の怨霊候補なのです。だからこそ自分達の宮殿よりも、仏教の聖殿よりも大きな――高層な――建築物を造ってさしあげたのです。
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雲太、和二、京三・・・・。
 つまり、平安時代に流行した――あえて流行させた――この「口遊(くちずさみ)」という数え唄(?)は、出雲大社の社殿を東大寺や京都御所よりも大きく(高く)建立していたことを意図的に広めていたものと思われます。そしてそれが本当に実現されていたことが、学者のみならず、大手ゼネコンや鍛冶職人などをも巻き込んだハイブリットなプロジェクトチームによる近年の研究で明らかになっているのです。
 やはり、朝廷は大国主との約束どおり――実際にそんな約束があったとは思えませんが――、出雲大社を日本一の建築物として造立していたようなのです。
 境内(?)に新しく出来た博物館では、いくつかの説に基づいたかつての高層社殿の復元イメージモデルが数種展示してあり、更にCGを駆使した映像も流しておりました。これを観て、私はこの壮大な境内全体の設計が、全て意図的であったことを確信しました。特に説明を受けたわけではないのですが、そのCGで観る限り、高層社殿の高さと参道入口の高さがほぼ同じになっていたのです。
 これは私のオリジナルな仮説ですが、おそらく朝廷は、さも大国主が最も偉大であると奉っておきながら、一方で、参道入り口の鳥居からは特に見上げることもなく、ごく普通の目線で社殿を見渡せてしまうように、絶妙なバランスをとったのではないでしょうか。
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