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「そうだ出雲に行こう」 どこかで見たことがあるフレーズですが、私がそう思ったのは、高速道路が土日1,000円MAXになったからに他なりません。二酸化炭素の排出量云々はともかく、自分自身の行動を省みるならば経済政策としては一応の効果があったもの、と認めざるを得ません。少なくとも私自身、それまで考えもしなかった無謀な消費行動に走ったのは事実なのです。 それはさておき、私が出雲でもっとも興味があったのは、吉田大洋さん著『謎の出雲帝国(徳間書店)』に紹介された出雲神族の裔“富氏”ゆかりの「出雲井神社」や「富神社」でした。何故かそれらは手持ちの地図にも、現地で買い求めた地図にも書いておらず、さしあたり前述書に散りばめられた情報に基づいて現地到着後に探しました。 前述書には元サンケイ新聞社記者であり出雲神族の裔である富當雄さんとのやりとりについて、次のような記述がありました。 ――引用―― 社会のはげしい動きを追って、それを文章にする新聞記者であり、局次長にまでなった富さんは、つまり活字文化の先端を歩んでいたわけだ。それなのに、なぜ伝承したものを文章化しないのか。 「文字は、ただの記号です。本当の感情を伝えることができるのは肉声しかない。しかも文章にして残せば、敵方に奪われ、迫害され、その記録を焼かれ、書きかえられてしまうおそれがある」 彼の情熱の源泉は、つねに「おれは滅亡させられた王者の末裔(まつえい)だ」と思うところにあった。大国主命から出雲の国を奪った天孫族は、大国主命の血筋を完全に根絶やしするため、どれほど苛酷(かこく)な迫害をくり返したことか。 簸川郡富村に、富家の先祖を祀った富神社がある。その紋章は、亀甲のなかに大根が2本、交差した図柄だ。荒れ果てたその社殿の前で、富さんは大根の紋章を見つめた。 「うちの紋章は、亀甲の中にホコが2本、交差したものだったんです。それを貞観2年といいますから、平安時代に大根に変えさせられたんですよ、ときの権力者にね。ホコは王権の象徴ですから」 紋章ばかりではない。富という姓まで変えさせられた時代がある、大社の町の旧家では、富さんのことを「向(むかい)さん」と呼ぶ。平安時代から明治維新まで、富になったり向になったり、合計11回も家名を変えたものだという。 「敵の力が強いときは、向になるんです。情勢がよくなれば誇りをもって富に戻す機をうかがって、流れに逆らわずに生きる。これは出雲人なんですよ」 先祖の中には毒殺された者が数名。つい数代前の当主は、迫害から身を守るために狂人のまねをした。 “口伝”というところが実に悩ましいところで、信じるも信じないも受け取り手次第、ということになります。個人的見解としては、基本的に信じておくことにしているわけですが、かといってこれを論拠に諸々の仮説をたてていくことに注意が必要であることは確かでしょう。 それはともかく、いずれ何度読んでもすさまじさを感じております。 当然ながらこういった一言一言が私を出雲に導いたわけでもあります。 そして私はなんとか富神社を探し出しました。それは現在の簸川郡斐川町にありました。富神社は、都市計画のからみで旧鎮座地から移転していたようであり、現在はさほどに前述書にあるようなさびれた雰囲気はありませんでした。 それでも社殿の瓦の家紋を見たときには、なにやらにわかに寒気を覚えた私でした。 参考までに、以下は宮城県塩竈市の名酒「浦霞」のオーナー佐浦さんの家紋(?)です。 ※平成24年6月27日追記
当該「富神社」は、境内説明板に「富(とみ)神社」とふりがながふってありますが、正しくは「富(とび)神社」と読むようです。 |
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2009年10月11日
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