はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 いわゆる古社の歴史というものには、なにしろとてつもなく長い時間の厚みがあります。その時代時代によって、それなりの時流に迎合した姿で祀られていたというのは想像に難くありません。
 諏訪大社もその例に漏れないようです。
 一口に“お諏訪さま”と言っても、必ずしも「建御名方(たけみなかた)」や「八坂刀売(やさかとめ)」のみを指すものではありません。天孫族に追われたタケミナカタも、この諏訪の地においては侵略者であったと言えるかもしれません。それが、天孫族に追われて初めて諏訪に入ったのか、あるいはそれ以前に入ったのかは最早想像するしかないのですが、私は、新潟県から北九州にまで及んだと言われる出雲の全盛時代に、取締役諏訪支店長としてこの地に赴任していたのがタケミナカタだったのではないか、と想像しております。
 室町期の『諏訪大明神画詞』には、タケミナカタが赴任(?)する以前から、この地には「石の神」あるいは「石木の神」と言われる“ミシャグチ”なる神を信仰する、“モリヤ一族”が先住していたとされております。事実、このモリヤ氏の末裔――守矢神長家――は、これもまた出雲の神裔同様、現代にまで連綿と続いているようです。私は、このモリヤという響きがどうにも頭から離れません。何故ならついつい蘇我馬子・聖徳太子連合軍に討たれた物部守屋を思い出すからです。もちろん、今のところその響き以外のなんの関連にも思い当たっておりませんのでこのまま読み流していただきたいのですが、もうひとつ頭から離れないのはこのモリヤという語彙、及び諏訪に伝わる諸々の神事がユダヤのそれに共通するものがある、という一部での仮説です。荒唐無稽な話にも思えますが、今一つ無碍にも出来ません。かといって今それを展開する気にもなれず、このあたりは頭のどこかに保管しておこうと思っております。
 さて、諏訪大社本宮には本殿なるものが存在しません。「守屋山」がご神体なので、特別にそのような建造物は不要なのでしょう。
 それはともかく、何故か本宮の拝殿はそっぽを向いております。どうも出雲系に関わる神々は、参拝者に対してそっぽを向くようです。出雲大社の大国主がそっぽを向いていることも有名な話です。それらは大社造りの基本形とのことですが、どうも違和感を覚えます。

出雲大社の社殿内配置簡略図:御神座の大国主に対し、参拝者は入り口方向から拝んでおります
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 さて、諏訪大社上社本宮の話に戻ります。
 本宮の北参道から見れば正面にあたるご神体の守屋山ですが、かつての参道が東参道であったとすると、守屋山を左手に見ながら徐々に下る不思議な参道を進み、門をくぐりぬけると180度転換して、今度は守屋山を右手に見ながら拝殿に正対します。そしてその向きのまま拝殿で拝むことになるのです。
 このようにとりあげると「また今野がおおげさに取上げている」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、拝殿がそっぽを向いているが故に「大きく願いごとをしなければ聞いてくれない」と言われていることは、ウェブ百科事典『Wikipedia』にも記載されていることです。つまり、多くの人が認識している特異性だということです。
イメージ 2

 おそらくなんらかの封印であるのでしょうが、これが、タケミナカタに対する封印なのか、守矢氏の先祖に対する封印なのかは正直なところわかりません。
 さて、諏訪大社「上社」には、「本宮」とは別に「前宮」なるものがあります。諏訪大社で頒布している『諏訪大社』によれば、本宮の祭神が「建御名方(たけみなかた)神」であるのに対し、件の前宮の祭神は諏訪大明神を代表するもう一柱の「八坂刀売(やさかとめ)神」であるとのことです。諏訪湖名物「御神渡(おみわたり)」が“上社に坐す男神が諏訪湖を縦断して下社に坐す女神に会いに行った軌跡”であるという伝承からするとなじめません。
 しかし、前述『諏訪大社』の次の記述は意味深です。

――引用――
前宮本殿
 内御玉殿から二百米登った所にあり、諏訪大明神が最初に居を構えた地と言われ、高台で、豊富な水と日照が得られる良き地であり諏訪信仰発祥の地であります。現在の御殿は昭和七年に伊勢神宮の古材を以って建てられたものです。
 尚、本殿の左後方の小高い所は諏訪大神の御神陵だと伝えられています。

 更に、追い打ちをかけるように前宮本殿にある説明板には次のように書かれております。

――引用――
上社前宮本殿
前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。前宮の祭神は、建御名方命と、その妃八坂刀売命と古くから信じられ、ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。古来より立ち入ることが固く禁じられ侵すときは神罰があるといわれた。四方には千数百年の歴史を有する御柱が七年目毎に建てられ、現在の拝殿は昭和七年に伊勢神宮から下賜された材で造営されたものである。
 昭和四十九年五月 安国寺史友会
イメージ 3
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 つまり、この地に建御名方夫妻の墓があるというのです。
 仮にそれが真実であったとすれば、おそらく元々は建御名方の墓のみが存在していたのではないでしょうか。八坂刀売が合祀(?)されたのはだいぶ後年のことで、諏訪湖の御神渡の神話は、まだ建御名方が単独で祀られていた頃に生まれたものと考えるべきでしょう。
 それにしても、よほど諏訪大社を目指してきた方でもない限り、諏訪を訪れる観光客のほとんどは、おそらく繁華街に近い下社の参拝を済ませることで諏訪詣りを満足されることだと思います。それが悪いとは微塵も思いませんが、私の感覚からすれば実にもったいないと思うのです。諏訪神の本質はやはり上社にある気がしてしょうがありません。しかも、見たところ最も寂れた雰囲気のあるこの前宮にこそ、少なくとも古代史ファンには涙ものの情報があふれていると感じております。

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