はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 伊達政宗の正室、愛姫(めごひめ)が生まれた三春城――福島県田村郡三春町――は、江戸時代には秋田氏の居城となりました。この秋田氏、その名の通り秋田――秋田県――に興った戦国大名なわけですが、豊臣秀吉なり徳川家康ら天下人の政策に翻弄されて、常陸――茨城県――に移封され、そうかと思いきや結局この三春に遷され、そのまま幕末まで至るのです。
 秋田県公文書館を訪れたとき、カウンター前で真っ先に目に飛び込む本棚に『三春町史』全巻がひときわ目立ってずらりと並んでおりました。寄贈されたものだといいます。県庁所在地としては文献上東北最古の古代都市「秋田」と、遠く離れた中世の都「三春」が、秋田氏という東北を代表する氏族を通じて平成の世に至って尚も緊密であることを思い知らされる一面でもありました。
 さて、私は三春にある秋田氏の菩提寺「高乾院(こうけんいん)」を訪れてみました。
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 ここでまず心を打たれたのは、秋田氏七代倩季(よしすえ)の筆によるというこの寺の扁額です。「高乾」の文字の横に添えられていた自らの名前は、秋田倩季ではなく「安倍倩季」であったのです。
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 これをのほほんと通過するわけにはいきません。高橋克彦さん原作の大河ドラマ『炎立つ』があったればこそ今はごく普通に安倍貞任(さだとう)一族を偉大な英雄のように思えますが、それはごく最近の平成の世になってからの話です。この東北地方においてすら、つい近年まで安倍貞任は前九年の役の“賊”扱いであったのです。そのニュアンスは多くの市町村史に目を通せば実感出来ます。
 したがって、現代はともかく、あるいは安倍氏にとって居心地の良かった奥州藤原氏の時代であればいざ知らず、その他の時代において堂々と安倍姓を主張することにはそれなりの勇気を要したはずです。あくまで勝手な想像ですが、七代秋田倩季(よしすえ)は菩提寺の扁額に対して正直でありたかったのではないでしょうか。だとするならば、この扁額に託された精一杯の主張は実に感慨深いものがあります。
 今触れたように、秋田氏の祖は安倍氏です。彼らの祖は中世の英雄安東氏を経由して前九年の役で戦死した安倍貞任(さだとう)の遺児「高星(たかあき)丸」までも遡るということになっております。そして何を隠そうこの秋田氏の系図によって、安倍貞任が自らの祖を長髄彦(ながすねひこ)の兄「安日(あび)」と考えていたことがわかるのです。これは、安倍姓を前面に出すことよりも更に勇気のいることです。彼らは、その気になれば皇族に連なる系譜も名乗れたはずです。
 つまり、祟神天皇の御代に全国に発された征討軍――四道(しとう)将軍――の一人、孝元天皇の裔「大毘古(おおびこ)」に連なる中央の安倍氏と同族を名乗ることも可能であったと思われます。
 しかし彼らはそれを併記するだけにとどめ、あえて永遠の朝敵ナガスネヒコ一族に繋げる系譜をもってきているのです。そこには、その真偽の次元を超えた確固たる強い意志を感じざるを得ません。
 アビが実在したか否かについてはもはや証明のしようもありませんし、そもそもその系図自体の信憑性を疑う諸氏の論評はあるものの、少なくともこれが明治期の宮内省も認めた公式のものであることだけは厳然たる事実です。それ故に彼らは「天孫降臨以前の家系を正しく伝えているのは出雲国造家と自分達だけである」と言ってはばからず、また、それを誇りにもしているのです。
 高乾院を訪れた私は、本堂を正面に見て左手の小高い境内地への階段を登ってみました。そこにはあたかも魔天楼のような高層墓石(?)が林立し、思わず圧倒されてしまいました。
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これらは三春秋田氏の歴代藩主の墓です。これら威圧感たっぷりの墓石群に見守られるように御霊屋のお堂もあり、中には位牌が並んでおりました。
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そして私の瞼に焼き付いたのは、お堂に掲げてあった木彫りの扇に堂々と主張された「違い鷹の羽」の家紋です。
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これを見てあらためてここが安倍氏の寺であることを実感するのでした。
 ちなみに、この高乾院の寺名は、初代藩主秋田俊季(としすえ)の父、実季(さねすえ)の法名に由来するのですが、この寺の名をもう少し詳しく書くと「臨済宗安日山高乾院」となります。
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見ての通り、ここには山号として「安日(あび)」の二文字が含まれているのです。当然秋田氏が言うところの長髄彦の兄「安日(あび)」に由来しているのは言うまでもありませんが、度々述べているとおり安日系譜は研究者諸氏からは信憑性を問われているところです。
 しかしながら、ここはなにしろご先祖様の御霊を供養する神聖な菩提寺です。
 官公庁に提出するだけの文書ならいざ知らず、日本人の常識的な心情として、はたして神聖な菩提寺にわざわざ偽った後ろめたいものを掲げるものか・・・。私はあり得ないと考えます。
 いや、公称に合わせただけだろう、という意見もあるかもしれません。
 しかし、山号などは思うに多くは底地の地名などが通常であり、他にも何とでもつけようがあるはずで、あえてここに朝敵を彷彿とさせる「安日」を持ってきてご先祖様の感情を逆撫でする必然性などありません。
 つまり、後世の賢(さかし)らな研究者によって系図を偽っていると言われようがなんだろうが、少なくとも当事者たちには偽っている気分などさらさらなく、当然ご先祖様への後ろめたさなどは皆無であり、真剣にそう信じ、長髄彦一族の末裔であることを誇りにしていたに違いない、私はそう思わざるを得ないのです。

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