はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 猪苗代湖の西岸、会津若松市の東端に「経沢(へざわ」)という集落があります。『福島県の地名(平凡社)』によれば、古くは「辺沢」と表記されていたものが、寛文年中(1661〜73)に「経沢」と改められたようです。同書によれば、「守屋家の子孫が幾山河を経てこの地に来たので経沢といったという伝説がある」そうで、また、「村の南西山麓に守屋神社があり、物部守屋大連を祀る」とのことです。
 会津への団体旅行から帰ったばかりの私が、返す刀で再びその会津に舞い戻ったのは、この守屋一族の落人伝説が気になったからに他なりません。少なくとも物部氏に縁あるなんらかの一派が関わっていることは間違いないことでしょう。
 それにしても、同じ物部系の伝説でも、例えば祖神ニギハヤヒの降臨伝説であれば、日本海側の「鳥海山」や、秋田県の「唐松神社」の伝承などもありますが、それらいわゆる「秋田物部氏」同様、多かれ少なかれ、なんらかの物部系一派が当地に土着し、広めたものであることは疑問を待ちません。それを含みおいたにしても、具体的に“守屋一族”に絞られている経沢の伝説はなかなか珍しいのではないでしょうか。
 この伝説について、私は団体旅行の宿泊先の土産品売り場にあった『会津の歴史伝説(歴史春秋社:小島一男さん著)』を立ち読みして初めて知ったわけですが――ちゃんと購入しております、はい――、特に私の興味を惹きつけたのは、この伝説が“太子信仰と絡み合っていた”ことでした。義務教育の歴史授業で学んでいるはずなので基本的に誰しもがご存知のはずですが、守屋一族にトドメを刺したのは、「聖徳太子」ということになっております。つまり、この村落では敵同士であった両者を村の鎮守なり菩提寺なりとして崇め祀っていたということなのです。これは一体どういうことなのでしょうか。
 以下、同書の「聖徳太子と守屋様」を読みながら、伝説の示唆について考えていきたいと思います。

――引用:以降引用文は特記なき限り『会津の歴史伝説』より――
 経沢(へざわ)村は県道からも湖からも離れ、米づくりを専業としてひっそりと息づく山里であるが、昔はこの村の中を鎌倉への道が通っていた。そして経沢金山の繁昌(はんじょう)してた頃には民家が二〇〇軒もあり、村は活気に満ちていたという。

 まず、ここに金山があったことは留意しておきたいところです。後にあらためて触れますが、守屋の一族が何故この地に逃れてきたのか、のヒントがあると睨んでおります。

――引用:つづき――
 上経沢には鎮守様の守屋神社が祀られており、下経沢には東田面村の経沢口に古くから大森山太子院照光寺があった。
 照光寺は院号が示すように、聖徳太子を本尊とした太子守宗の寺で、何百年もの間、経沢村の菩提寺であった。十世良月和尚のとき、蒲生氏郷公の指示によって浄土宗に転宗。さらに保科正之公のときに若松高厳寺の末寺となって東田面の菩提寺となった。
 聖徳太子の御尊像はこのとき以来、ひと山越えた下経沢石田の太子堂に移られることになり、それからというものは鎮守様の祭礼と、太子様の祭礼が何回も催されるようになり、経沢村はお祭りの村とまで言われるようになった。
 ところが、これをきっかけとなり、なぜか上村と下村とが反目するようになり、刃物まで持ち出す争いにまで及ぶこともしばしばあった。
 ある年の夏、修験(しゅげん)の六部が村を訪れ、「この村には妖気(ようき)が漂い、殺気(さっき)を含んでいる」と告げた。古老たちは心配をし、祈祷(きとう)をして貰ったところ、「宗敵、政敵の間柄にある守屋様と、太子様がこの村を護(まも)っておられるため、ことごとく意見が合わないのでもめごとが起きる」と、神霊からのお告げがあった。六部も、「太子様を東田面の本寺にお移しになり、祭礼も今後は東田面村で行うようにしては――」と告げた。そこで村人らはこの六部の意見を受け入れ、西村総出で太子様をお移しになり、盛大な祭典を行った。
 照光寺はこのときすでに浄土宗になっていたが、村民らは聖徳太子をお移しした記念として“太子院照光寺”と元の院号の銘を刻み、大梵鐘(ぼんしょう)を鋳造(ちゅうぞう)して奉納した。名工の鋳たその梵鐘の音は、その響き美しく湖上を渡り、遠くは磐梯山から天鏡湖周辺の村々にもきこえ、向い浦でもこの鐘のおかげで、明け六ツ刻を知ることができたという。だがこの名鐘は、惜しいことに享保年間(一七一六――三六)の火災で失われ、今の梵鐘は二代目である。
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 ここでは特に触れられておりませんが、『新編会津風土記』には照光寺について「明徳の頃何人にか天台の道場を草創し聖徳太子の像を安置せり〜」「永禄の頃より太子守宗となり〜」という記述があります。村に妖気と殺気を感じ取った修験の六部なる人物が天台密教の僧とも考えられますが、もしかしたら、このとき――明徳(1390〜94)〜永禄(1558〜70)――に初めて、守屋一族の村に太子信仰が持ち込まれたのかもしれません。ただ、伝説上の太子信仰の創始は、守屋一族流譚の時期とさほど変わらないことになっております。

――引用:つづき――
 上経沢にある守屋神社の祭神は、守屋大連命(もりやおおむらじのみこと)である。守屋様は物部尾輿(もののべのおこし)の子で、五七二年以降大連として朝政に参与、崇仏派の大臣蘇我馬子(おおおみそがのうまこ)と対立し、用明天皇の没後穴穂部皇子(あなほべのみこ)を即位させようとはかったが、皇子は馬子に殺され、守屋様は馬子・厩戸豊聡耳皇子(うまやどのとよとみおうじ:聖徳太子)らの兵に攻められ敗死した。このとき守屋様の娘と臣下の者が難をのがれ、流浪(るろう)の末にたどりついたところが、陸奥の山深いこの経沢の里だったのである。
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 落ちゆく守屋一派の主役は、守屋の娘のようです。聖徳太子に攻め滅ぼされたが故に彼女らは陸奥国会津の地に流れてきたのです。その村に、何故太子信仰が興ったのでしょうか。

――引用:つづき――
 姫は大連(おおむらじ)夫婦の遺骨を経沢村の南、夏狼ヶ嶽中腹に手厚く葬ると御陵を造営し、その麓で一生をすごすことにした。こうして祖宗の神霊を祀ることによって、姫の心にもようやく安らぎが戻ってきたようであった。

 伝説を信じるならば、経沢には守屋夫妻の御陵があるということになります。夫妻の遺骨はこの経沢に葬られたようです。

――引用――
 それから何年かが経った。舒明天皇が没すると、蘇我入鹿(そがのいるか)は馬子の娘を生んだ古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を皇位につけようとして、有力な対立候補であった聖徳太子の子、山背大兄王(やましろのおおえのおう)を攻め滅ぼそうとした。王は追手の手をのがれ、物部の姫を頼ってはるばると会津へと落ちてきた。ところが姫は、これをてっきり敵の手がのびてきたものと勘違いし、もはやこれまでと、祖霊を祀った陵よりも巽(南東)の方へ三町ほど離れた六間四方ばかりの小さな草原で自害して果てた。

 なんとも悲劇としか言いようがありませんが、姫の勘違いは至極自然なことでしょう。山背大兄王は父の仇の子なわけですから、物部の姫からすればまさか自分を頼って逃げてくるなど思いもよらないことです。逆に言えば、あくまで正史のくだりもこの伝説も全て鵜呑みにしたとすればですが、山背大兄王は“どの面下げて”姫を頼ってこれたものか、と首を傾げたくなります。

――引用――
 王はこれを聞かれると、心さいなまれ身の置きどころもないほどであった。哀しい姫の霊を弔(とむら)うためにこの地にとどまる決心をなされ、下経沢の石田の山に太子堂を建立(こんりゅう)し、御父太子を祀るとともに、物部の姫主従の廟所参りに明け暮れるようになった。
 またこれと前後して、物部氏生き残りの臣永山氏もまた陵の前に一社を造営したが、これが守屋神社である。白鳳元年(壬申)のことであったという。御陵は神社の裏手の高壇に二ヶ所以上現存しており、注連縄が張りめぐらされている。
 なお聖徳太子の王子御尊像は、後世に太子堂から上馬渡(かみまわたり)村の虚空蔵堂にお移りになった。

 ということは、当地は物部守屋夫妻とその娘の墓地であり、かつ、山背大兄王の最後の地でもあったということになるのでしょう。さすがににわかにそれら全てを信ずるには勇気が要りますが、それでも尚その流れで考えていくならば、姫がもはやこれまでと思い至り自害したくらいですから、当然一派全員も生きて敵の辱めを受けるくらいなら・・・、と考えたはずで、姫と運命を供にしたと考えられます。ということは、守屋神社を祀りつづけてきたのは、むしろ山背大兄王の落人一派――太子信仰側――であった、ということになるのでしょうか。
 実は、それが十分あり得るのです。ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、前にも触れたように、なにしろ太子信仰の本場、大阪の四天王寺自体にその傾向があるからです。ややこしいことを言えば、厳密にはその四天王寺運営(?)の実質は「公人(くにん)」と呼ばれる物部守屋に仕えた奴婢(ぬひ)の末裔の方々によるところが大きいらしいのですが・・・。
 いずれ、現地探索によって少々気になるものも出てまいりました。それらを踏まえて、この伝説が示唆するものを、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。


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