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昨年、ニュートリノなる素粒子が光より速く目的物に到達しているという驚愕の実験結果が発表されました。 アインシュタイン以降「相対性理論」の考え方からすると、光の速さは絶対不変の最高速度であり、それを超える物質は存在しない、ということになっております。 具体的にどういうことかというと、例えば、移動している乗り物などから、進行方向とその逆方向に各々同じ速度の何らかの物質を放った場合、一般生活で経験し得る常識をあてはめるならば、進行方向のそれについては速度が加算され、逆方向については速度が差し引かれるので、各々の速度はあきらかに異なるはずなのですが、放たれたものが光であった場合、その速度については加算も減算もされず常に一定である、ということです。 参考までに、よく取り沙汰にされる実験方法の一つ、1887年の「マイケルソンとモーリーの実験」を紹介しておきます。これは、一つの光源から照射した光をハーフミラーでニ方向に分け、片方は地球の公転の影響を受ける東西方向へ、もう片方はその運動方向と垂直の南北方向へと向け、各々の等距離に反射鏡を設置し、そこで反射されて戻ってきた光を検出器で捕え、光の波としての性質が生じさせる「位相」すなわち干渉縞の濃淡によって到達時間のズレを検出するというものです。この計測器は舞台装置全体が水銀上に浮かんだ円盤状で、回転が可能となっており、万が一東西と南北の距離にズレがあったとしても、そのまま90度回転させれば各々を入れ替えた検出も可能なので、誤差は補正されます。この方法では、光の速度の一億分の一の変化までとらえることができたそうなので、光の速度の一万分の一である地球の公転速度――秒速30キロメートル――の影響は十分検出可能ということになります。しかし、実験の結果、両方向の光の速度にズレはみられなかったのです。 速度というのは、言うまでもなくある距離を移動するのに要した時間から割り出されるわけですが、速度が絶対変わらないというならば、時間なり距離――空間――が変わったと考えなくてはなりません。つまり時間も空間も絶対的なものではなく、あくまで相対的なものでしかない、というのが相対性理論の大きな主旨で、それは、幾多の天体観測などによっても裏づけられております。 例えば、宇宙から降り注ぐ宇宙線――放射線――が地球の大気上層部にある原子と衝突して生じるミューオンという粒子は、光とほぼ同じ速度で大気中を飛行するわけですが、その寿命はわずか100万分の2秒ほどであるため、計算上600メートル飛行するだけで寿命を終えて別の粒子に変質してしまいます。しかし、実際には厚さ約20キロメートルもの大気を突きぬけて地表に到達したミューオンが大量に検出されます。20キロメートルとは止った状態の私たちから見た距離、すなわち空間の厚みであって、移動速度が光速に近づくにつれ、それは短くなるのです。これを時間に置き換えて表現するならば、止まっている私たちから見れば、光速移動しているものの寿命が延びたように見える、すなわち時間が遅くなったように見えるわけです。では、光速移動している人がいたとして、その人から見たら私たちは時間が早く進んでいるように見えるのでしょうか。いえ、それが違うのです。向うから見れば光速移動しているのは私たちの方であるからです。細かいことを言えば、今例に挙げたのは光速移動している立場と止まっている立場の間でのいわゆる「特殊相対性理論」でありますが、両者とも加速度運動している場合などもあるわけで、そうなるとまた違った変数が出てまいります。それを考慮した「一般相対性理論」というものもアインシュタインは到達しておりますが、そこまで踏み込むと話がややこしくなるのでやめておきます。 いずれ、今回のニュートリノのように光の速度を超えて移動した物質があったとしたならば、それはもはや「時間を遡って到達した」ということも含めて想定せざるを得なくなってしまうのです。メディアが、「タイムマシン」やら、『宇宙戦艦ヤマト』の「ワープ航法」云々などという話にまで発展させて盛りあげていたのは、こういった背景があったからなのです。 タイムマシンについては、実際に未来から来た人と遭遇した話は聞かないので、発明されていないと断言してもさしつかえないと思うのですが、だからといって時間が遡らないという理屈にはならないと思います。それは単に、生命体を含むマクロな物質がその「時間を遡る」という特殊な状態に耐えられないだけかもしれないからです。これは宇宙人がいないという理屈に似ております。地球に生命体があるのに、広大な宇宙空間に他の生命体が存在していないと考える方に無理があるとは思いますが、タイムマシンと同じ理屈で、光を超える速度の異常環境にマクロな物質が耐えられなければ、お互いが遭遇することは未来永劫あり得ないと考えるべきかもしれません。 それはともかく、ニュートリノのように光を超えて移動する物質の存在について、当然、未だ多くの物理学者が受け入れられずにおります。しかし、彼らはとにかくその実験の不備を探り出すしかありません。とことん不備を探り出して、尚、それが見つからなかった場合は、ついにこの事実を受け入れなければなりません。 かつて、一見矛盾する「ニュートン力学」をも包括してしまった「相対性理論」のように、今度は相対性理論をも包括するさらに大枠の新たな理論を見い出さなければならなくなるのかもしれません。 ところで、私は時折時間を遡ったのではないか、と思う瞬間があります。それは何故か神社の参道でよく起る現象なのです。前にも触れましたが、平成21(2009)年、福島県のとある鹽竈神社の参道から、隣接の小学校の廊下に衝撃的な文言を発見しました。 「76年ぶり ハレ―すい星来たる」 目を疑いました。私は、今から26年前の昭和61(1986)年、兄と二人で夜明け前の海にそれを見に行っております。朝早くに出向きましたが、残念ながら水平線上に雲が立ち込めて目撃叶わず、「次来る時まで生きていられるだろうか・・・」などと嘆いたのです。それが、この学校の少年少女たちは既にハレ―彗星を迎える準備をしていたのです。私は23年過去へ、あるいは53年未来へタイムスリップしてしまったのでしょうか・・・。 そして先日、丹後の国のとある神社の参道で、私はまたしても衝撃的なものと遭遇しました。 「passola(パッソーラ)」、たしかにそう書いてあります。しかも、泥除けには懐かしのプレイボーイのウサギさんまで描かれているではないですか・・・。これをタイムスリップと呼ばずしてなんと呼ぶのでしょう。それは、あたかも『宇宙戦艦ヤマト』の主人公古代進が、西暦2199年、ガミラスの偵察機を迎撃するため東シナ海に出向き、そこで朽ち果てた遥か大昔の戦艦大和の残骸に出会い、その後、地下深くからその船尾部分が地下工場に露出しているのを見上げたときのような衝撃に似ておりました。 パッソーラ。もう35年も経ちましょうか・・・。スクーターがもはや絶滅したと思われたその時代、たしか八千草薫さん出演のCMで「足を揃えて乗れる」という触込みで、ヤマハさんから登場しました。それがパッソルそして姉妹品のパッソーラだったのです。それは、スカートの女性でも跨ぐことなく安心して乗れるとして一世を風靡したのでした。口の悪い輩は「なんだ、ただのスクーターじぇねえか」と揶揄しておりましたが、ヤマハさんは屈しません。「スクーターとは異なる新しいタイプの商品」と主張して憚りませんでした。 数年後、世に再びスクーターブームがやってきました。このブームは一過性に留まらず、現代に至ってはもはや原付≒スクーターというイメージが定着するほどにまで至っております。 ちなみにブーム到来時、ヤマハさんはパッソル&パッソーラを「元祖日本のスクーター」と言わんばかりにアピールしていたように記憶しております・・ぉぃぉぃ・・・。 いえ、良いのです。ヤクルトさんのヒット商品「ジョア」が飲むヨーグルトブーム到来時に「元祖飲むヨーグルト」になっていたり、吉幾三さんのヒット曲『俺ら東京さいぐだ』が、ヒップホップブームの現在「元祖ジャパニーズヒップホップ」と呼ばれたり(呼ばれてない?)、時流を敏感に察知しそれを素早く反映させるこの柔軟性こそが、市場経済を生き抜くための営業センスなのだと思います。 うまくまとまりませんが、「光より速いニュートリノ」。今後の議論の進展を楽しみに注目していきたいと思います。 |
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2012年01月26日
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