はてノ鹽竈

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 生類憐みの政策についてあらためて『ウィキペディア』に目を通していると、脚注の部分に看過できない一文がありました。

――引用:『ウィキペディア』――
なおこの時点で隆光は江戸に入っておらず関与不能であったという説もあるが、『真言宗年表』(国書刊行会)によれば、隆光はすでに貞享3年に江戸城で安鎮法・土公供等を行ったとされており、そのおかげで権僧正に貞享3年12月1日付で補されているため全くの間違いである。

 なんと『ウィキペディア』は、生類憐み政策に隆光が関与不能であったという説を「全くの間違いである」と完全否定していたのです。
 関与不能とまでは言わずとも、こうも自信満々に否定されてしまうと、山室恭子さんの論に便乗して隆光進言説をゴミ箱に捨ててもよかろう、と、虎の威を借る狐のような私も、さすがにとまどいを隠せません。
 しかし、よく見ると、『ウィキペディア』は生類憐みの令の制定を“貞享四(1687)年”としていることに気付きました。
 あれ?と思い、あらためて山室さんの説を確認してみました。
 たしか山室さんは“貞享二(1685)年”を第一声としていたはず・・・。
 そのとおりでした。
 どうやら山室さんの説は微塵も傷ついてはおりませんでした。山室さんは、『江戸町触集成』にある“貞享二(1685)年”七月十四日付の次の一文を生類憐み関連の第一声としていたのです。

――引用:『黄門さまと犬公方(文芸春秋)』――
先日も申し渡したように、御成遊ばされる道筋に犬や猫が出てきても苦しゅうないから、どこへ御成なさる場合でも、犬猫をつないでおかなくてよろしいぞ。

 なるほどこれはまぎれもなく生類憐みの発想です。
 『真言宗年表』などともっともらしい証拠を掲げての完全否定だけに、不覚にも思わずとまどいましたが、生類憐みの第一声を“貞享二(1685)年”と捉えて論じている以上、前稿で書いた内容でも十分に返り討ちにできておりました。
 自信満々に否定していた『ウィキペディア』の空回りは既に明らかかとは思いますが、とまどってしまった薄っぺらな私自身が悔しいので、山室さんの次の言葉をもってトドメを刺しておきたいと思います。

――引用:『黄門さまと犬公方』――
 それにこの隆光さん、なかなか筆まめなお方で、日々の活動記録が『隆光僧正日記』として残されているが、その大部な日記のどこをめくっても生類憐れみ政策は私の進言に拠るものだなどという証言はおろか、この政策への言及すらない。もし自らの発案によって施行したものであったなら、もう少し関心を寄せてしかるべきであろう。

 いやはや山室さん、天晴れでございます。

 やれやれ、思わぬ遠回りをしてしまいました。

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