はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 あけましておめでとうございます。

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 おかげさまで、拙ブログ『はてノ鹽竈』も6度目の元旦を迎えるに至りました。
 開設当初に構想していた内容は、ものの半年で書き終えてしまい、一時はその後何を書き続けようか路頭に迷ってしまったわけですが、なんだかんだとあらたな興味や上積みされた知識の備忘録をのらりくらりと書き連ねているうちに、気がつけば、今、無事に6度目のお正月を迎えております。
 ここ最近は、老い始めて丸くなりつつある自らの性格の変化のせいか、現時点でもっとも興味のある分野を記事化するのにためらいを感じてしまい、何か他の内容を書こうと思いつつも今一つ乗り切れず、結局ろくに記事を投稿することもなく、いたずらに煩雑な私事におわれる日々でございます。
 にも関わらず、日々70件〜80件ものご訪問をいただき、昨日大晦日などは120件ものご訪問をいただいてしまい、なにやら本日も既に100件を超えてご訪問いただいており、申し訳ない気持ちと同時に感謝で胸がいっぱいです。
 皆様、本当に本当にありがとうございます。

 だからと言うわけでもありませんが、ここに新年のご挨拶をかねて、せめてもの記事を挙げさせていただきたいと思います。

 昨年末、私の共同研究者である、おなじみ(?)H.O.氏の熱い推奨に押し切られ、安本美典さん監修、志村裕子さん訳の『先代旧事本紀[現代語訳](批評社)』を入手致しました。

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 『先代旧事本紀』―以下:旧事紀―については、既に吉川弘文館の『国史大系』シリーズに所収のものが手元にあったのですが、それは全文漢文であり、なるほど、気軽に通読するには向いておりませんでした。これまでは、必要に応じて拙い自力を駆使して現代語訳して読んでおりました。
 つまり、この貴重な文献資料をはじめて気軽に斜め読み出来る状態になったわけですが、わかりやすく訳された志村さんの並々ならぬ労力もさることながら、言葉の一つ一つにきめ細かい注釈を展開していちいち詳しく解説を副えている安本さんの労力と、その圧倒的な造詣の深さには感服させられます。
 この注釈をランダムにつまみ食いしているだけでも相当な勉強になります。
 悔しいですが、こんな素晴らしいものを推奨してくれたH.O.氏にも感謝せざるを得ません。

 ちなみに、旧事紀とは、おそらくは平安時代に編纂されたのであろう“いわゆる偽書”でありながら、わが国最古とされる『古事記』や『日本書紀』よりも古体を残す部分が見受けられたり、それら記紀にはない貴重な情報も多分に含んでいることから、権威のある研究者からも適宜用いられている貴重な文献です。
 最も注目すべきは所載の『国造本紀』で、各国造の系譜に関する根本的な情報がふんだんに収めれられております。
 また、饒速日命に連なる系譜、特に物部氏の系譜や所伝が詳細で、平安時代初期における実際の編纂者らしき興原畝久(おきはらみくに)なる法律家が物部系の人であることから、旧事紀の原典は一般に物部氏によるものと考えられております。
 ただし、旧事紀の序文には、あくまで、聖徳太子が撰録をはじめたものの志半ばにして薨去されたがため、それを蘇我馬子が継承して撰録・編纂したことが述べられております。
 この序文は馬子自身を記す表記法をはじめ不自然な部分も多く、まともに信用する研究者もほとんど見受けられません。
 しかし実は、私はこの序文の“内容”を重視しております。
 つまり、以前大成経について語ったときにも触れておりますが、私は旧事紀の原典を編纂したのは本当に馬子であったのではないか、と想像しているのです。
 何故そう考えるのかを簡単に触れておきます。
 まず、前提として、今に伝わる聖徳太子の事績のほとんどは蘇我馬子と秦河勝のものではなかったか、という私論があります。
 物部守屋討伐が成功したがために誓願どおり聖徳太子によって建立されたという四天王寺には、驚くことに、ひっそりと「守屋祠」という怨敵たる守屋を祀る祠があり、しかも、現代に至っても四天王寺において諸々の仕事についている「公人(くにん)」と呼ばれる人たちは、守屋廃死後に四天王寺の奴婢となった守屋家臣の末裔だといい、その中の「公人長者」と呼ばれる人は、四天王寺の大祭の「聖霊会」に欠かせない役柄なのだといいます。―谷川健一さん著『四天王寺の鷹』より:拙記事『四天王寺』参照
 何より、そもそも四天王寺は守屋の邸宅跡でありました。
 これらの事から、私は四天王寺は誓願成就によって建立された寺ではなく、その真相は、守屋を鎮魂するために建立された寺ではなかったか、と考えております。
 歴史を知る私たちには、勝者の蘇我馬子と敗者の物部守屋は対等なライバル関係のようにも見えますが、よくよく観察するとそれはとんでもない誤解であり、決戦前における蘇我氏のごときは成り上がり者の新興氏族であって、伝統的な物部大連との格は圧倒的に差があったものと思われます。したがって馬子には、守屋一族を滅ぼしたことの罪悪感が相当に残っていたはずで、つまり、守屋はとてつもない怨霊候補であったものと思われます。
 祟峻天皇や穴穂部皇子の殺害に比べれば〜という意見もあるかもしれませんが、それはそれで別次元の私論もあって、以前にも多少触れているのですが、煩雑になるので通過します。
 いずれ、この四天王寺への私論と同根のものが旧事紀にもあると私は見ております。
 旧事紀には蘇我馬子による物部守屋への鎮魂の想いが反映されているのではないのでしょうか。
 それ故、物部氏の輝かしい所伝への比重が高いものとなったのではないでしょうか。

 何はともあれ、この『先代旧事本紀[現代語訳]』、しばらくは楽しく勉強出来そうです。

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