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久しぶりに訪れた七ヶ浜(しちがはま)は霧に包まれておりました。 津波で仲間を失った松林も霧にむせび泣いているかのようです。 七ヶ浜町の菖蒲田浜(しょうぶたはま)地区に、「コータコート汐見台南」という美しい新興住宅街があります。 もう20年近くも前になるでしょうか、そこにマイホームを手に入れた某氏が、御子息とよく釣りに出かけるようになったと優しい笑顔で話していたことを思い出しました。 てっきり海釣りかと思いきや、獲物はフナであるとのこと――。 なにやら私の表情に「?」マークが点灯していたようで、氏はすぐさま近くに沼があることを補足してきました。 なるほど、ほとんど気にも留めておりませんでしたが、地図にはたしかに「阿川沼」なる大きな沼がありました。 その阿川沼こそが、今回の私の目的地です。 この沼には大蛇の伝説があるのです。 はたして、花淵家との関係はいかなるものか――。 阿川沼について、『七ヶ浜町誌』には「鮒・鯉・スズキ・鰻を産し、付近二十余町歩の灌漑用水となっている」とありました。 スズキや鰻(うなぎ)ということは、幾ばくか海水の出入りもある、いわゆる「汽水湖」の類にあたるのでしょうか。 そのあたり、町誌は、「有史以前の火口湖か海跡湖かと思われる。この沼に褐色球状の植物が繁殖しているが生態は不明である」と記し、また、「近年機関排水の設備を施し、海水の出入を阻止したので鹹水性の魚族は減っているかもしれない」ともありました。 尚、現地の案内板には「昔は菖蒲田浜への入り江でしたが、昭和33年に土砂を堆積して浜へ流れ出る水路がふさがれてしまい、ため池となりました」とありました。 なるほど、某氏親子がフナ釣りに興じていたわけです。 しかし、七ヶ浜町産業課水産商工係が2013年に発行した『七ヶ浜町観光ガイドブック』には、「東日本大震災以前は20種類以上のとんぼ、さらに蛍の生息も確認されていました」と記されておりました。 そこはかとなく哀愁漂う過去形です。 どうやらこの沼も大津波に飲まれ、しばらく海水が残ってしまい、淡水の生態系は一旦破壊されてしまったのでしょう。 現地で見かけた「機関排水の設備」らしきものは、津波に破壊されたままでありました。 いずれにせよ、町誌の推測どおりこの沼が“有史以前”に形成された“天然”の沼であるならば、私の懸念の大きなひとつは払しょくされたことになります。 すなわち、大蛇の伝説が花淵家の出自を窺い知るよすがに成り得るか否かを見極めるうえで、沼自体の形成時期は重要な鍵です。 仮にこの沼が伊達藩時代以降に開拓されて初めて出現したものであったならば、大蛇の伝説も花淵家が他の場所に移った後にしか生まれ得ないものであり、私の中での価値は割り引かれます。 それにしても霧が濃い――。 今回七ヶ浜を訪れた目的は、他でもないこの阿川沼の視察であったわけですが、湖面や全体の風景が見えません。
結局私は、あらためて晴天の日に出直すことにしました。 |
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2014年11月16日
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