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【会津慈母大観音像】 磐梯山SAを出ると、いよいよ会津盆地へ下り始めます。会津盆地の広さは東京の山手線の内側がすっぽり収まるほどなのだそうですが、山間部から突如開ける眼下の風景はなかなか圧巻です。広大な田園風景と、時代によっては東北地方の首都であったと言っても過言ではない会津若松市の市街地が、雄大なスケールで広がります。一度、夜間に訪れたこともあるのですが、漆黒の闇から忽然と眼下に現れる会津若松の夜景はなかなか見事でした。 会津盆地の風景の中で、独特な存在感を放っているのが会津慈母大観音像です。 実に巨大な観音様です。 ただし、我が仙台に一時日本一の高さを誇っていた仙台大観音が現れて以降は、さすがに初めてみたときほどのインパクトはなくなりました。 それでもこの会津慈母観音様が、会津に到着したことを実感させるランドマークであることには昔も今も変わりありません。 【鶴ヶ城】 目的地の博物館に到着したのは8時50分頃でありました。 途中、ゆっくり休憩しながら向かってきたものの、9時30分の開館にはだいぶ早すぎます。幸い、博物館の駐車場は9時開場であったので、鶴ヶ城のまわりを一回り流してみると丁度いい感じで車を駐められました。 それでも尚博物館の開館までは30分もあるので、久しぶりに徒歩で鶴ヶ城を散策してみました。 【喜多方ラーメン】
博物館の見学を終えると、まもなくお昼になろうとしておりました。 先日、喜多方方面への会津縦貫道が開通したというニュースも新聞で目にしましたので、ここはその道路の走り初めも兼ねて喜多方ラーメンを食べることにしました。 どの店もおしなべて美味しい喜多方ラーメンですが、14〜15年前、ついに“また食べたくなる店”と出会いました。かと言って、決してグルメやら本格やら、そんな華美な言葉は似合わない、極めて大衆的な、飲んだ後に食べたくなるような、そんな喜多方ラーメンでありました。田舎くさい醤油と煮干しのうまみが、ネギもろとも喜多方のちぢれ麺にからむとたまらない、そんなラーメンでありました。学食のラーメンのような小ぶりなどんぶりなのでついついスープを飲み干してしまいます。 元々、偶然立ち寄った店でした。詳細は覚えておりませんが、たしか夕方の半端な時間で、有名どころはどこの店にも入れず、妥協して入った店がそこだったのだと思います。目立たない横丁に貧相な店を構え、清潔感とはほど遠く、衛生的に決して褒められない、やる気のなさそうな店だったので、全く期待していなかったということもあるのですが、いざ食べてみたら、少なくとも私にとっては、今まで食べた喜多方ラーメンのどこよりもうまかったのです。 しかし、はたして本当にそんなにうまかったのか、6〜7年前、「徳一」のことを調べに来たときに確認しに来ました。 店の場所がわかりにくいのですが、記憶だけを頼りになんとかまた見つけました。 たしか、北朝鮮の放った弾道ミサイルがつい先ほど東北地方を横断したというニュース速報が店内のテレビで流れ、鼻から麺が飛び出るかと思った記憶もあります。 それはともかく、そのときにここはやはりうまい、という確信を得たのです。そこで 、この店の名前と場所を今回この場にてご紹介しようと思っておりました。 しかし、やめました。 何故なら、今回食べてみて味が変わったと感じたからです。ダシの煮干しの個性が強くなりすぎているのです。もっと言えば、気になるくらい魚臭かったのです。 どうしてしまったのだろう、最近の濃厚系の流行に迎合したのか、あるいは不衛生な雰囲気も否めませんし煮干しが腐りかけていたのか・・・。 そういえば、来店三度目にして、はじめて私の他に客がおりました。 ふと、窓ガラスに「食べログ」のステッカーが貼ってあることに気づきました。 もしかしたら舌のこえたグルメな方に、さりげない隠し味の煮干しをさんざん褒められて、気をよくしてそれにすり寄ってしまったのだろうか・・・そんな勝手な想像をしながら、店を出ました。 いつの日かまた来るかもしれません。その時は、ぜひ従前の味に戻っていて欲しいと願うのでした。 |
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2015年09月11日
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石城(いわき)國造家と仙台平野のつながりを探っている昨今ですが、「小萩物語」や「徳尼伝説」など奥州藤原氏の遺児伝説と共生する仙台市周辺の天神信仰は、一説に平(たいら)何某によって宇田郡―宇多郡:現:福島県相馬市周辺―から持ち込まれたものと伝わります。 このことについて、天神信仰―アマテル信仰―の多くがなにやら江戸幕府によって北野天満宮に代表される菅原道真信仰にすり替えられたらしいとするならば、道真に全幅の信頼を寄せて彼を右大臣にまで引き上げた「宇多天皇」の“宇多”が語呂合わせされたものではなかろうか、と弱含みながらも一応の仮説を立てておきました。 しかし、広義に石城エリアとして分類され得る福島県浜通り地方の宇田郡―宇多郡―なれば、その地からなんらかの人文が仙台平野に持ち込まれたとしても不思議ではありません。 なにしろ、宇田郡の南隣にあたる「行方(なめかた)郡―現:福島県南相馬市周辺―」の「多珂神社」は、ヤマトタケル伝説や白鳥信仰、そして鷹信仰を匂わせている部分において、仙台平野の「名取郡―現:宮城県名取市と仙台市太白区周辺―」の「多可神社」と属性を共有します。 そのようなことを考え続けている私の眼に、つい先日―平成二十七年八月二十五日―、『河北新報』朝刊のとある記事が飛び込んできました。それは会津若松市にある「福島県立博物館」の企画展についての記事でありました。 『被災地からの考古学1〜福島県浜通り地方の原始・古代―主任学芸員 荒木隆』 というわけで、会津に行って参りました。 この博物館を訪れるのはおそらく約10年ぶりでしょうか。あらためて大変勉強になりました。 今回得られた情報は、これから私の頭の中でなんらかのかたちにまとめていこうと思いますが、とりあえず、本稿では道中に感じたこと、考えたことなどを、小学生の絵日記風に書き殴っていきたいと思います。 【菅生PAで朝食を】 秋雨前線が長引く憂鬱な早朝、渋滞嫌いの私は5時台にさっさと東北自動車道に入って会津に向かいました。 しかし腹が減っていたので、早くも菅生PAに立ち寄り、海老天丼を食べました。あまり期待をしていなかったということもあってか、なかなかに満足の一品でした。なんと海老が三本も盛ってありました。しかも衣でごまかしたようなものではありません。ちゃんと先っぽまで目いっぱいの海老でした。味噌汁も海老ダシなのでしょうか、ほのかに潮を感じました。 食後にはコーヒーを、ということで、当然ミル挽きのレギュラーコーヒーの自販機を探しました。残念ながら、このPAには私の好きなコーヒールンバの流れる機種がありませんので、今回は寡黙な機種にてブラジルエスプレッソを買い求め、再びドライビングに入ったのでした。 【仙台南〜福島国見のザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード】 仙台南ICから福島の国見ICの間は、東北自動車道全体を通して最も急カーブが多い区間だと思うのですが、アップダウンも激しく、単調な高速走行に慣れて速度に麻痺した状態でこの区間に入ってくると大変危険です。事実、このあたりでの交通事故はやたらと多く、頻繁に通行止めになっております。 そんなこともあってか、以前は路面に注意を喚起する細工が施されておりました。断片的に舗装状態を変えて、あえて異音が発生するようにして、その音が三三七拍子に聞こえるようになっておりました。タンタンタン、タンタンタン、タンタンタンタンタンタンタン、と小気味よく音が鳴るので、つい途中で「よ!」、「は!」、「もう一丁」、などと合いの手を入れてしまうのですが、いつのまにかなくなってしまったようです。結構通っているわりには今回はじめて気が付きました。 【安積】 安達太良(あだたら)付近でしょうか、どこかに「安積(あさか)」の表記を見かけ、このあたりの丸子氏が大伴安積連に改姓したんだよなぁなどと考えていると、ふと、これって「あづみ」とも読めるなぁ・・・と思いました。 【五百川】 磐越自動車道に入ると、高速道路と並行して流れている「五百川」が「いおかわ」なのか「いもがわ」なのかをいつも考えておりました。安積原野を潤した人工的な安積疎水の開拓とも無縁でなかろうこの五百川、通り過ぎると毎度記憶から消えているので特に調べてみたこともありませんでしたが、今回何気なく、併記されているローマ字表記を確認してみました。するとなんと、「GOHYAKU GAWA」ではないですか・・・。「いおかわ」でも「いもがわ」でもなく、「ごひゃくがわ」であったようです。 【磐梯山SA】 磐梯山SAで一休みしました。 |
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