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「熊本地震」被災地の皆さま、このたびは大変な苦痛と先の見えない心労の日々をおくられていることと思います。謹んでお見舞い申し上げます。 震度7のニュースがラジオで耳に入って以降、数日はテレビ・ラジオ共にNHKばかり視聴しておりました。 NHKは緊急地震速報をそのまま全国に流していたため、仙台に居ながらも緊迫感だけは現地に同期しておりました。もちろん、次の瞬間にはほぼ間違いなく新たなインパクトに襲われる該当地域の方の切迫したそれとは比較にならないわけですが、少なくとも宮城県に住むものとしては、いちいち5年前の東日本大震災のあの感覚に引き戻されていた感がありました。 それにしても震度七・・・。 これはほとんどの人たちが一生涯体験することなどないであろう危険な最強震度でありますが、そんなものに二日連続で見舞われた皆さまの精神状態は如何ばかりのものであったのでしょう。 一日も早く日常に戻れますよう、お祈り申し上げます。 少し熊本について語りたくなりました。 東北人の私が、遠き九州の「熊本」という地名を初めて知ったのはいつのことなのか・・・。 生まれながらに地図好きであった私でありますから、かなり幼い頃から知っていたことは間違いありませんが、案外「肥後てまり唄」の 〽 あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 〜 の歌詞から知ったのかもしれません。 そんな私が、拙くも「都市地理学」に興味を持ち始めたのは40年ほど前になりますが、当時、日本の都市の人口ランキングをみていてひとつ気になっていたことがありました。 「熊本」なる大都市の存在です。 当時の日本の都市の人口上位20位は、おおよそそのまま人口50万人以上の都市でもあったわけですが、その中に熊本も含まれておりました。 東京や大阪のような1000万人を超える巨大な都市圏域内であれば、母都市の市街地が広大に連続しておりますので仮に衛星都市であってもそのくらいの人口を抱え得るでしょうが、それ以外の地域であれば、たとえ県庁所在地であってもなかなか50万の壁は超えません。熊本市は熊本県の県庁所在地ではありますが、東京・大阪などの巨大都市圏はおろか、いわゆる太平洋ベルト地帯からも外れているわけであり、そこで50万もの人口を抱えているというのは実は異例なことと言って良いかもしれません。少なくとも、熊本が単なる県庁所在都市でないことはあきらかです。 ちなみに、昭和五十(1975)年の国勢調査の内容を確認してみると、上位20都市は以下のとおりでありました。 1、東京、2、大阪、3、横浜、4、名古屋、5、京都、6、神戸、7、札幌、8、北九州、9、川崎、10、福岡 11、広島、12、堺、13、千葉、14、仙台、15、尼崎、16、東大阪、17、岡山、18、熊本、19、浜松、20、鹿児島 この中で、札幌、仙台、鹿児島も巨大都市圏や太平洋ベルト地帯からは外れているわけですが、札幌と仙台は、福岡や広島と共に広域四大中心都市と呼ばれる都市でありますから特段不思議はありません。つまり、各々北海道地方や東北地方の政治・経済・文化の中心都市であり、例えば高等裁判所や管区気象台のような、各々の地方全域を統括するような国の出先機関や、大手企業の母店的機能の支社・支店が集中しておりますので、ある程度人口が多くなって当たり前なのです。 それからすると、鹿児島はたしかに不思議であります。しいていえば鹿児島が維新立役者となった島津薩摩藩77万石の本拠であったことは大きいでしょう。 実は、その薩摩への抑えとして重視されていたのが熊本でありました。 現在の熊本は、関ケ原の戦いの後、その功によってこの地を与えられた加藤清正によって築かれたわけですが、幕府がここに名将加藤清正を置いたのは、最大に警戒しなければならない島津がその先にいたからに他なりません。 このあたり、東北地方における会津に似ているかもしれません。 豊臣秀吉による天下統一後の会津は、徳川家康と伊達政宗を分断する抑えとして蒲生氏郷や上杉景勝など名だたる武将が置かれていたわけですが、徳川政権下に至り、二代将軍秀忠の子保科正之がこの地に置かれました。当然、伊達への抑えの意味もあったことでしょう。保科正之は会津松平家の祖となったわけですが、以降会津若松は戊辰戦争で理不尽に蹂躙されるまで、奥州の要として君臨しておりました。 それはともかく、直近の平成二十七年の国勢調査での人口は熊本が74万、鹿児島が60万ですが、雇用都市圏人口でみるならば熊本は100万を超え、70数万の鹿児島との差はだいぶ開きます。 もちろんこの両都市は九州のみならず国内でも指折りの大都市と位置付けて良いと思うのですが、九州には、先に触れた福岡があり、更に四大工業地帯の一角を担う北九州工業地帯の母都市北九州もあったのです。それらの強力な引力に飲み込まれることもなく、特に熊本などは100万を超える雇用都市圏を維持しているわけですから、何か特別な理由がなくてはなりません。 調べてみると、その理由を垣間見れるような情報がありました。 現在NHK福岡局が担っている九州管内放送関係業務は、実は平成四(1992)年まで熊本局が担っていたのだそうです。旧陸軍の第六師団が置かれていたこともそうですが、実はかつての熊本には九州全域を管轄するような国の出先機関が集中していたのです。なるほど、現在の熊本大学は旧制第五高等学校でありました。熊本はわりと近年まで九州の広域中心都市的な立ち位置であったようです。 熊本市民には、福岡に対する対抗心が強い方も少なくないようで、現在でも熊本こそが九州一の都市、と自負している方々もたくさんいらっしゃると聞きます。若い女性のファッションセンスに関しては、国内屈指の芸能人畑たる福岡よりもあか抜けていると耳にしました。 あらためて九州の地図を眺めてみると、熊本は九州各地に最も均等に連絡できる場所だということに気づきます。 外洋から奥まった内湾の島原湾は港に適しておりますし、外敵の侵入に対しても警護しやすく、何より海の幸に恵まれております。 また、阿蘇の外輪山一帯に降り注いだ雨は、地下に浸透し20年もかけて平野部に達するのだそうですが、驚くことに、熊本の水道水はその地下水だけでまかなわれているのだそうです。 この地の利は、古代においてより魅力的であったはずで、おそらく阿蘇國造もそのあたりを利用して繁栄したのでしょう。
思うに、もし九州が独立国で本州とも大陸とも交流しないでいられるなら、熊本ほど九州の首都にふさわしい場所はないのではないでしょうか。 今回被災した阿蘇神社は、阿蘇國造の祖速瓶玉神―阿蘇津比古命―がその両親を祀ったことに始まるとされております。阿蘇國造の更なる祖は信濃國造の祖と同じ神八井耳命とされており、すなわちオホ氏の同祖系譜です。阿蘇神社へはいつの日か訪れてみたいと思っていただけに、今回の被災は実に残念に思っております。復旧が叶うことを、切に願っております。 |
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2016年04月30日
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