はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 大崎八幡宮―仙台市青葉区―が発行する「仙台・江戸学叢書」シリーズのナンバリング「65」として、昨年発行された小西幸雄さんの『真田幸村と伊達家』は、仙臺藩祖伊達政宗家臣の片倉小十郎重綱が大坂の陣において激戦を展開したばかりの敵方真田幸村からその娘「阿梅」の保護を託された理由として、次の3つの説があることを紹介しておりました。

1「片倉重綱の人柄を見込んでとする説」(『老翁聞書』、『仙台士鑑』、『史伝片倉小十郎景綱』)
2「重綱の背後にいる政宗への期待説」(紫桃正隆著『仙臺領国こぼれ話』)
3「同じ信州、同じ諏訪神人という同郷同職説」(海音寺潮五郎)『実説武侠伝』)
 
 いずれ劣らぬ魅力的な説でありますが、さしあたり、従前からの私論としては、「重綱の背後にいる政宗への期待説」が最も近いといえるのでしょうか。
 ちなみに著者の小西さんが最も惹かれるのは「同じ信州、同じ諏訪神人という同郷同職説」とのことでした。
 しかし、これらに疑問がないわけでもありません。
 何故なら、少なくとも同書の当該箇所だけでみる限り、いずれの説も幸村が重綱を選んだ理由にしかなってないからです。
 かつて私は、勇猛な幸村の遺伝子を政宗が欲した旨の推測を挙げておきました。
 しかし、政宗の切り札―であったろう―松平忠輝を失脚させるという、幕府側の先廻りによって、完全に野望が潰えた後も尚、系図を改竄してまで徳川家康の天敵血族を延々匿った政宗の動機は何であったのでしょうか。
 もちろん、その答えこそが小西さんが推察するところの「武士の約束」なのかもしれません。
 つまり、家康と刺し違えるつもりの幸村の覚悟を、重綱の陣営に投降した阿梅を通じて伝え聞いた政宗が、秘密裏に幸村の子女の保護を約束し、それを守ったのではないか、ということです。
 基本的に賛同するものですが、実は私の頭の中には別な角度からの思惑もよぎっております。
 結論から言うならば、このことはもしかしたら、信濃と奥羽をつなぐ古来の馬産文化に関わりがあるのではないか、と想像しているのです。

イメージ 1

白石城
イメージ 2


 かつて私は、「瀧澤(たきざわ・りゅうたく)」、「柳澤(りゅうたく・やぎさわ)」、「八木沢(やぎさわ)」という言霊の因果について論じておりますが、特に「藤原秀衡の八木沢牧場――その7:信濃系移民の気配――」という記事の中では、奥州藤原氏の牧場伝説が存在する仙台市泉区上谷刈八木沢地区に、かつての上谷刈村一村鎮守としての八木沢神社があって、その御神体が兜であること、一方、瀧澤一族ゆかりの信州上田の八木沢にはその名もずばり兜神社が存在すること、について触れました。
 言わずもがな、信州上田は真田家の本拠でもあるわけですが、いみじくも小西さんは次のように記しておりました。

―引用:『真田幸村と伊達家』―
真田氏は信濃小縣郡真田郷の地士であり、滋野系海野氏の庶流とされている。滋野氏は早く中世武士としての位置を確保していたが、その一部は牧官という前代の職掌を離さず、依然として陰陽の業をよくする巫祝(ふしゅく)の徒として活躍した。やがて修験派の諏訪神人として、その布教に国々を歩いていたといわれる。(福田晃著『神道集説話の成立』)

 真田家の祖先とされる滋野(しげの)氏の一部が、「牧官」なる前代の職掌を離さなかった、とあります。
 信濃の滋野氏は、紀國造の裔たる楢原國造の流れをくむ滋野朝臣が牧監―牧官―として信濃に下向したものとも伝わっているようですが、すなわち、勅営的な信濃の馬産業を管掌する一族であったと考えられます。
 もしかしたら、小勢力に過ぎない真田一族が甲斐の武田家から重宝されていたのは、戦巧者の側面もさることながら、むしろ、信濃の馬産業に関するなんらかの鍵を握る一族であったが故ではないのでしょうか。
 それを踏まえると、同書に列記された「真田左衛門佐幸村の子女」13名のリストに添えられたとあるさもない記述が気になり始めます。
 六女「御田」と四男「幸信」の菩提寺についての記述です。
 同書によって初めて知ったことなのですが、彼女らの菩提寺「妙慶寺」は、秋田県由利本荘市にあるようなのです。
 言わずもがな、由利本荘市の一帯、すなわち、かつての由利郡は、戦国時代にあっては信濃系移民による由利十二頭がしのぎを削っていたエリアでありました。
 唯一、信濃系ではなく地元勢力たる伝統を主張していた由利中八郎末裔の瀧澤氏についても、かつて触れたように遡れば信濃にたどり着くものと思われます。
 羽後國由利郡瀧澤邑―秋田県由利本荘市―に起ったとされる瀧澤氏は、元をたどれば信濃國小縣郡瀧澤邑―長野県上田市周辺―に発生した中原姓の瀧澤氏が羽後國由利郡に土着し由利氏を名乗っていた一族であったと推察されるからです―拙記事:「藤原秀衡の八木沢牧場――その6:瀧澤の由利氏」参照――
 いずれ由利郡は古来、信濃系移民が多く住む地域でありました。はたして御田や幸信の菩提寺がその由利郡に所在していることは偶然なのでしょうか。

イメージ 3
法体の滝

 御田の経歴について簡略に辿ってみたいと思います。
 彼女は伊達家に保護された阿梅と異なり、徳川方による残党狩りを逃れ転々と身を隠していたようです。
 やがて探索にかかり捕えられたわけですが、徳川方についていた叔父の真田信之―幸村の兄―のとりなしによって処分は軽減され、江戸に送られ大奥勤めをすることになったと伝わっているようです。
 なにやらこの大奥勤めのキャリアが縁となり、御田は久保田藩―秋田藩―に迎え入れられることになったようです。
 御田は、久保田藩主佐竹善宣の弟である宣家―宣隆―の側室となるわけですが、宜家との間に生まれた子重隆は、佐竹宗家の継嗣問題の事情で事実上の支藩である亀田藩の家督を継ぐこととなりました。
 亀田藩の藩主は本来岩城氏であるのですが、豊臣秀吉による北条征伐直後の混乱期に当代藩主が病死したことを受け、佐竹一族の人間が岩城家を継ぐ形になっていたようです。
 ともあれ、亀田藩主を継ぐこととなった重隆がまだ赤子であることもあってか、両親である宣家と御田も岩城氏としてこの藩に入ることになったようです。
 以上の御田の経歴はウェブ上で見かけた複数の情報を咀嚼してみたものですが、おしなべて出典についての記載がないため、どこまでが史料上で確認できる情報なのかは定かではありません。
 いずれ、その亀田藩の藩庁こそが由利郡に所在しました。
 いろいろな事情はあるにせよ、そもそも御田が由利郡を抱える佐竹家に見初められたのは、はたして大奥勤めの立ち居振る舞いだけが理由であったのでしょうか。
 伊達家は栗原郡を、佐竹家は由利郡を、各々が古来信濃系の移民の土着する独特な文化圏を抱えておりました。
 あくまで想像ですが、この文化圏の手綱をいかに上手く操るかは、藩政にとって極めて重要な命題であったとみております。
 奥州藤原王国滅亡の際、主君泰衡を侮辱した敵方の総大将源頼朝に啖呵をきった由利八郎が、それでも尚鎌倉の御家人として厚遇され、そのまま旧領の由利郡を任されたのも同じ理由ではないかと考えております。
 例えば、かの勝海舟は中国人について次のように語っておりました。

 「シナ人は、また一国の天子を、差配人同様に見ているよ。地主にさえ損害がなければ、差配人は幾ら代わっても、少しもかまわないのだ。それだから、開国以来、十何度も天子の系統が代わったのさ。こんな国体だによって、戦争をするにはきわめて不便な国だ。それだから日本人も、こないだの戦争〔日清戦争〕に大勝利を得たのよ。しかし戦争に負けたのは、ただ差配人ばかりで、地主は依然として少しも変わらない、ということを忘れてはいけないよ。―『氷川清話 付勝海舟伝 勝部真長編(角川書店)』より―」

 さすがは明治維新プロデューサー然の卓見ですが、戦乱の時代の領民も案外そんなものなのではないでしょうか。
 ましてや、伊達仙臺藩領の栗原郡なり佐竹久保田藩領の由利郡なり、古来栗駒山麓一帯に繁栄してきた主役はおそらく信濃系の地主たちでありました。
 なにしろ彼らは単なる地主ではなく、最高の軍事兵器でもあった高麗馬由来の奥州馬に精通した特殊技能集団でもあったはずです。
 あくまで想像でしかありませんが、もし真田幸村が、諏訪神を奉斎し信濃牧監の流れをくむ滋野朝臣の裔であることが事実ならば、その遺児を保護することは、この特殊技能集団の手綱を握る上で極めて有効であったのではないのでしょうか。

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