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久しぶりに都心部の仙台七夕を観てまいりました。 実は数年前、Aさんからこんな話を聞きました。 Aさんの知人に、神奈川県平塚市在住の方―以下Bさん―がいらっしゃるとのことで、丁度仙台七夕の時節に訪ねてこられたので、せっかくなので七夕祭りを案内されたのだそうです。 すると御覧になられたBさんは、「完全に平塚の負けだわ」とおっしゃったのだそうです。 言うまでもなく、平塚は、七夕祭りにおいて仙台同様に有名な街であるわけですが、Aさんがその理由を尋ねると、「全て和紙で作られている・・・」と答えられたそうです。 それを聞いた私は、「え?平塚の七夕飾りは何で作られているというのですか?」とAさんに聞き返したところ、曰く、「メラミン」なのだそうです。 メラミン・・・?給食のトレーや輸入システムキッチンの天板などに使われているあのメラミン・・・? その後ウィキペディアで確認してみたところ、厳密には「ソフトビニール」であったようですが、なにしろ夜間に電飾を施すので、和紙ではダメなのだそうです。 たしかに、七夕は星まつりでありますので、電飾を施して夜間に演出するというのはある意味では理に適っていて、それはそれで充分に風情があるように思いますし、一度観てみたいとも思いましたが、なるほど、私たち仙台人がごく当たり前に眺めてきた和紙の飾りは、必ずしも当たり前ではなかったのでありました。 もちろんBさんにとって仙台はアウェイであり、少なからずこちらに気遣われた上での発言ではあるのでしょうが、褒めていただいた「和紙」を意識し始めたここ数年の私は、じわじわと仙台七夕祭りを愛おしくなり、また吹き流しの和紙そのものを堪能したくなってきておりました。 そして昨年、共同研究者のH.O.氏が見せてくれた梅原鏡店さんの飾りの画像がさらに私の心を揺さぶりました。 それは昨年度の金賞を受賞した作品とのことでしたが、全体に落ち着いた紫色が印象的で、和紙の風合いがより上品に演出されておりました。 実物を観てみたい。たゆたう和紙に触れてみたい。 しかし既に七夕の最終日であり、もう間に合いませんでした。 来年は絶対に観に行こう、一年前にそう決めて、ついに今年の仙台七夕の日を迎えたのでした。 ふと気づけば、目の前に『ジョジョの奇妙な冒険』の飾りがありました。 そういえば、先日の河北新報朝刊にも取り上げられてました。 なにしろ、『ジョジョの奇妙な冒険』は、仙台出身の漫画家、荒木飛呂彦さんの人気作品で、現在深夜にTVアニメが放映されており、実は毎週録画して視ております、はい。 河北新報の記事その他によれば、七夕期間中からしばしの間、都心部を中心に様々なイベントが展開されているとのことでした。 特に現在放映中の第四部の舞台「S市杜王町」は、地名なり名産品なり、仙台をモデルにしていると思しきフシもあり、イベントはそれに大いに便乗して展開しているようです。大変良い事だと思います。それでこそ、他県のファンもわざわざ仙台を訪れてみたくなるというものです。 同様に、やはり仙台が舞台であるという『ハイキュー』というバレーボールのアニメ―漫画―関連のグッズ販売や七夕飾りもありました。 思えば昨年、とある商店街の振興組合が、新たな客層の開拓を目指して国民的人気のアイドルアニメ『ラブライブ!』に着眼し、アニメ制作側にオリジナル七夕飾りの出展を要請したところ、それが受け入れられて実現したという旨の記事が『河北新報』の記事にありました。 いわゆるオタクの経済効果を侮ってはいけません。気に入ったものには惜しみなく財を投入するのがオタクです。もしかしたら、萎縮した日本経済を支えているのはオタクマネ―であるかもしれません。 したがって、その最たる層への訴求を試みたことは、商店街の戦略として蓋し妙案であったとは評価しているのですが、一方で、あれ?『Wake Up, Girls!』は・・・?とも思ってしまいました。 なにしろ『Wake Up, Girls!』ははっきり仙台を舞台にしたアイドルアニメで、そもそも復興支援のために企画されたコンテンツと聞きます。 コンテンツの立案者でアニメ監督の山本寛さんをはじめ、アイドルユニットを兼ねている可愛い声優さんの方々、その他関係者の方々は宮城県や仙台市などの「官」とも連携して意識的に仙台の聖地化に御尽力くださっているのです。実にありがたいお話ではないですか。せっかくの地元コンテンツ、こちらも大いに活用してほしいものです。 さて、マーブルロードおおまちのアーケードの西端、その辻から一番町のアーケードに切り替わるわけですが、人混みの先に圧倒的な存在感の飾りが目に入りました。 仙台市教育委員会のそれでした。 結論からいうと、私の中ではこれが今回の最高の作品であったと思います。まるで仙台市内の小学生たちが総力で何かを訴えかけてくるようでした。 その余韻に浸っていると、一番町側のアーケードに入ってすぐに、一転して祭りの興奮を鎮めるような神々しい白装束のような飾りが現れました。 そこには切実な訴えがあります。あるいはこれこそが七夕のあるべき祈りの姿なのかもしれません。 飾りはまだまだ続きます。 斬新という意味で群を抜いていたのは、笹かまぼこをイメージした鐘崎さんのこの飾りでしょう。↓ なんとも可愛らしく、楽しい気分にさせられました。目に入るや思わず笑う方も結構おりました。 なんじゃこりゃ! いよいよアーケード街も終わり、勾当台公園の出店を巡って締めることにしました。ビールと牛タンを買い求めたものの、飲食コーナーのテントは満員だったので、適当なベンチを探すことにしました。 するとそこに・・・。 なんと・・・こんなところに出展していたとは。このこけしは何? ともあれ、ほっとしました。 結構歩いたつもりですが、スマホの万歩計で約9000歩。10000歩を歩くというのは結構大変なようです。
いずれ、大変楽しい地元観光となりました。 仙台七夕祭りは明日までです。事情の許す方はぜひ訪れてみてください。仙台人からのお願いでした。 |
はてノ鹽竈夜話:暇話
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仙台の官庁街にどこからともなくヘリコプターが飛んできました。 もしや、どのビルかのヘリポートに着陸するのでは・・・。 都心の高層ビル屋上にヘリコプターが着陸する場面など、ハリウッド映画か西部警察でしか見たことがなかったので、思わず童心に帰ってドキドキしてきました。 ドコモビルか、県庁か、はたまた先日完成した合同庁舎か・・・。私は慌ててデジカメを構えました。 どうやら合同庁舎のようです。 無事着陸! 素晴らしい! 感動した! お見事でございます。実に良いものを見せていただきました。
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【会津慈母大観音像】 磐梯山SAを出ると、いよいよ会津盆地へ下り始めます。会津盆地の広さは東京の山手線の内側がすっぽり収まるほどなのだそうですが、山間部から突如開ける眼下の風景はなかなか圧巻です。広大な田園風景と、時代によっては東北地方の首都であったと言っても過言ではない会津若松市の市街地が、雄大なスケールで広がります。一度、夜間に訪れたこともあるのですが、漆黒の闇から忽然と眼下に現れる会津若松の夜景はなかなか見事でした。 会津盆地の風景の中で、独特な存在感を放っているのが会津慈母大観音像です。 実に巨大な観音様です。 ただし、我が仙台に一時日本一の高さを誇っていた仙台大観音が現れて以降は、さすがに初めてみたときほどのインパクトはなくなりました。 それでもこの会津慈母観音様が、会津に到着したことを実感させるランドマークであることには昔も今も変わりありません。 【鶴ヶ城】 目的地の博物館に到着したのは8時50分頃でありました。 途中、ゆっくり休憩しながら向かってきたものの、9時30分の開館にはだいぶ早すぎます。幸い、博物館の駐車場は9時開場であったので、鶴ヶ城のまわりを一回り流してみると丁度いい感じで車を駐められました。 それでも尚博物館の開館までは30分もあるので、久しぶりに徒歩で鶴ヶ城を散策してみました。 【喜多方ラーメン】
博物館の見学を終えると、まもなくお昼になろうとしておりました。 先日、喜多方方面への会津縦貫道が開通したというニュースも新聞で目にしましたので、ここはその道路の走り初めも兼ねて喜多方ラーメンを食べることにしました。 どの店もおしなべて美味しい喜多方ラーメンですが、14〜15年前、ついに“また食べたくなる店”と出会いました。かと言って、決してグルメやら本格やら、そんな華美な言葉は似合わない、極めて大衆的な、飲んだ後に食べたくなるような、そんな喜多方ラーメンでありました。田舎くさい醤油と煮干しのうまみが、ネギもろとも喜多方のちぢれ麺にからむとたまらない、そんなラーメンでありました。学食のラーメンのような小ぶりなどんぶりなのでついついスープを飲み干してしまいます。 元々、偶然立ち寄った店でした。詳細は覚えておりませんが、たしか夕方の半端な時間で、有名どころはどこの店にも入れず、妥協して入った店がそこだったのだと思います。目立たない横丁に貧相な店を構え、清潔感とはほど遠く、衛生的に決して褒められない、やる気のなさそうな店だったので、全く期待していなかったということもあるのですが、いざ食べてみたら、少なくとも私にとっては、今まで食べた喜多方ラーメンのどこよりもうまかったのです。 しかし、はたして本当にそんなにうまかったのか、6〜7年前、「徳一」のことを調べに来たときに確認しに来ました。 店の場所がわかりにくいのですが、記憶だけを頼りになんとかまた見つけました。 たしか、北朝鮮の放った弾道ミサイルがつい先ほど東北地方を横断したというニュース速報が店内のテレビで流れ、鼻から麺が飛び出るかと思った記憶もあります。 それはともかく、そのときにここはやはりうまい、という確信を得たのです。そこで 、この店の名前と場所を今回この場にてご紹介しようと思っておりました。 しかし、やめました。 何故なら、今回食べてみて味が変わったと感じたからです。ダシの煮干しの個性が強くなりすぎているのです。もっと言えば、気になるくらい魚臭かったのです。 どうしてしまったのだろう、最近の濃厚系の流行に迎合したのか、あるいは不衛生な雰囲気も否めませんし煮干しが腐りかけていたのか・・・。 そういえば、来店三度目にして、はじめて私の他に客がおりました。 ふと、窓ガラスに「食べログ」のステッカーが貼ってあることに気づきました。 もしかしたら舌のこえたグルメな方に、さりげない隠し味の煮干しをさんざん褒められて、気をよくしてそれにすり寄ってしまったのだろうか・・・そんな勝手な想像をしながら、店を出ました。 いつの日かまた来るかもしれません。その時は、ぜひ従前の味に戻っていて欲しいと願うのでした。 |
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石城(いわき)國造家と仙台平野のつながりを探っている昨今ですが、「小萩物語」や「徳尼伝説」など奥州藤原氏の遺児伝説と共生する仙台市周辺の天神信仰は、一説に平(たいら)何某によって宇田郡―宇多郡:現:福島県相馬市周辺―から持ち込まれたものと伝わります。 このことについて、天神信仰―アマテル信仰―の多くがなにやら江戸幕府によって北野天満宮に代表される菅原道真信仰にすり替えられたらしいとするならば、道真に全幅の信頼を寄せて彼を右大臣にまで引き上げた「宇多天皇」の“宇多”が語呂合わせされたものではなかろうか、と弱含みながらも一応の仮説を立てておきました。 しかし、広義に石城エリアとして分類され得る福島県浜通り地方の宇田郡―宇多郡―なれば、その地からなんらかの人文が仙台平野に持ち込まれたとしても不思議ではありません。 なにしろ、宇田郡の南隣にあたる「行方(なめかた)郡―現:福島県南相馬市周辺―」の「多珂神社」は、ヤマトタケル伝説や白鳥信仰、そして鷹信仰を匂わせている部分において、仙台平野の「名取郡―現:宮城県名取市と仙台市太白区周辺―」の「多可神社」と属性を共有します。 そのようなことを考え続けている私の眼に、つい先日―平成二十七年八月二十五日―、『河北新報』朝刊のとある記事が飛び込んできました。それは会津若松市にある「福島県立博物館」の企画展についての記事でありました。 『被災地からの考古学1〜福島県浜通り地方の原始・古代―主任学芸員 荒木隆』 というわけで、会津に行って参りました。 この博物館を訪れるのはおそらく約10年ぶりでしょうか。あらためて大変勉強になりました。 今回得られた情報は、これから私の頭の中でなんらかのかたちにまとめていこうと思いますが、とりあえず、本稿では道中に感じたこと、考えたことなどを、小学生の絵日記風に書き殴っていきたいと思います。 【菅生PAで朝食を】 秋雨前線が長引く憂鬱な早朝、渋滞嫌いの私は5時台にさっさと東北自動車道に入って会津に向かいました。 しかし腹が減っていたので、早くも菅生PAに立ち寄り、海老天丼を食べました。あまり期待をしていなかったということもあってか、なかなかに満足の一品でした。なんと海老が三本も盛ってありました。しかも衣でごまかしたようなものではありません。ちゃんと先っぽまで目いっぱいの海老でした。味噌汁も海老ダシなのでしょうか、ほのかに潮を感じました。 食後にはコーヒーを、ということで、当然ミル挽きのレギュラーコーヒーの自販機を探しました。残念ながら、このPAには私の好きなコーヒールンバの流れる機種がありませんので、今回は寡黙な機種にてブラジルエスプレッソを買い求め、再びドライビングに入ったのでした。 【仙台南〜福島国見のザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード】 仙台南ICから福島の国見ICの間は、東北自動車道全体を通して最も急カーブが多い区間だと思うのですが、アップダウンも激しく、単調な高速走行に慣れて速度に麻痺した状態でこの区間に入ってくると大変危険です。事実、このあたりでの交通事故はやたらと多く、頻繁に通行止めになっております。 そんなこともあってか、以前は路面に注意を喚起する細工が施されておりました。断片的に舗装状態を変えて、あえて異音が発生するようにして、その音が三三七拍子に聞こえるようになっておりました。タンタンタン、タンタンタン、タンタンタンタンタンタンタン、と小気味よく音が鳴るので、つい途中で「よ!」、「は!」、「もう一丁」、などと合いの手を入れてしまうのですが、いつのまにかなくなってしまったようです。結構通っているわりには今回はじめて気が付きました。 【安積】 安達太良(あだたら)付近でしょうか、どこかに「安積(あさか)」の表記を見かけ、このあたりの丸子氏が大伴安積連に改姓したんだよなぁなどと考えていると、ふと、これって「あづみ」とも読めるなぁ・・・と思いました。 【五百川】 磐越自動車道に入ると、高速道路と並行して流れている「五百川」が「いおかわ」なのか「いもがわ」なのかをいつも考えておりました。安積原野を潤した人工的な安積疎水の開拓とも無縁でなかろうこの五百川、通り過ぎると毎度記憶から消えているので特に調べてみたこともありませんでしたが、今回何気なく、併記されているローマ字表記を確認してみました。するとなんと、「GOHYAKU GAWA」ではないですか・・・。「いおかわ」でも「いもがわ」でもなく、「ごひゃくがわ」であったようです。 【磐梯山SA】 磐梯山SAで一休みしました。 |
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先日、夜の青葉城―仙臺城―を訪れる機会がありました。 夜に訪れるのは初めてでしたが、藩祖伊達政宗公の騎馬像がライトアップされており、驚きました。 地震被害からの復旧を終えた石垣がライトアップされている風景は日常的に目にしておりましたが、本丸内部の騎馬像まで照らされていたとは知りませんでした。夏休み期間限定のささやかなイベントなのでしょうか・・・。 そういえば、付近の「八木山動物公園」については、三日間限定ながら夜の動物の様子を見られるようにする旨の記事が、先日の『河北新報』に掲載されておりました。 その誌上で見たキリンとシマウマのライトアップ写真は実に幻想的で、おそらくその絵に魅せられた方も少なくないことでしょう。 案の定、当日は大勢の家族連れやアベックが入口に行列を成しておりました。 ありていに申しまして、出来れば私もこの目で観ておきとうございました。 一方、私が訪れた青葉城は静かなものでした。 ライトアップされた政宗公の後ろ姿などは、そこはかとなく哀愁が漂います。 その背中に、同じく我が仙台の偉大なる詩人「土井晩翠」作詞の名曲、『荒城の月』の情景が重なります。 〽春高楼の花の宴 めぐる盃影さして 千代の松が枝わけいでし むかしの光今いづこ なんて素晴らしい詩でしょう。「滝廉太郎」の切ないメロディもまたいい・・・。 芸術についてド素人の私が言うのもなんですが、いつの日かこの歌をテーマにじっくりと時間をかけて一枚の絵を描いてみたいと思うのです。 この歌は時の移り変わりの描写が肝だろうと感じておりますが、いざその表現となると、思い浮かびません。 結局、単純に二枚の絵が必要かもしれない、などと考えております。 一枚は、大広間で盃を交わしながら談笑する武将たちのシルエットで、もう一枚は同じ構図ながらそこに武将の姿はなく、無造作に置かれた盃が松の枝の間をぬって差し込む月の光に照らされて影を落としている絵です。モノトーンを原則として、水墨画の技能があったならば、それで左右一双の屏風を拵えたいくらいです。 荒城の月と言えば、30年ほど前までは、仙台駅前の「丸光百貨店」の屋上において、10時、12時、15時、17時にこの曲のサイレンが鳴り、市内のほぼ全域に響き渡っておりました。まさに仙台市民の郷愁に響く音の風景でありました。厳密には、サイレンそのものは21時にも流れておりましたが、何故かその回だけは『この道』が流れておりました。理由についてはわかりません。 ところで、暗闇に目が慣れてくると、仙台市街の夜景を眺めている仲睦まじいアベックの姿もちらほらと我が網膜に映りこみ、今ここは自分の居場所ではないことに気づくのでした。 それはともかく、久しぶりに青葉城を訪れて、ここに「白水稲荷大神」が祀られていることを思い出しました。 現地の説明板にも記されておりますが、この神様は政宗が青葉城を築く以前からの屋敷神のようです。 『台原のあゆみ(台原地区町内会連合会)』所載の三原良吉さんによる「白水稲荷神社縁起考」によれば、仙台市青葉区台原の同名「白水稲荷神社」は、青葉城のそれが遷されたものと伝わっているようですが、なにしろ、以前取り上げたように、台原の同名社は「小萩物語」の一つの震源地でもありました。
念のため補足しておきますと、「小萩物語」とは、奥州藤原三代秀衡の三男「和泉三郎忠衡」の遺児にまつわる伝説です。この伝説は、以前触れたように大きく二系統に分類されることが藤原相之助の論稿から推察し得ます。 すなわち、加美郡の「清水寺」の文書に書き残されたものと、今触れた仙台市青葉区台原の「白水稲荷」の別当によってにじり書きされたメモによって知られるものとがあるのです。 特に後者は、福島県いわき市の「白水阿弥陀堂」に由来する「徳尼(とくに)御前」の伝説が混濁したものと思われます。 徳尼御前は、奥州藤原初代清衡、あるいは二代基衡の娘と言われており、嫁ぎ先の夫岩城何某の亡き後、その菩提を弔うために故郷平泉の金色堂を模した白水阿弥陀堂を建立した人物と伝えられております。 奥州藤原氏の滅亡後、徳尼御前の縁故を引く白水阿弥陀堂の尼らの一部は八乙女尼ヶ澤―現:仙台市泉区南光台天ヶ沢地区―に落ち延びてきたらしいのですが、この地を選んだ理由は、この地が奥州藤原三代秀衡の右腕「信夫荘司佐藤基治」に縁ある地であったからと思われます。彼女たちは小萩物語に添えて滅ぼされた平泉の恨み節を語り継いでいったのでしょう。 いずれ、前九年の役の際、石城の勢力が安倍氏に加担していたこと、そして白水阿弥陀堂にみられるように岩城氏が奥州藤原氏の娘を娶っていることなどを鑑みるならば、陸奥全域における石城勢力の存在感が侮れないものであったことは間違いありません。 少なくとも五世紀から六世紀の仙台平野においては、石城(いわき)―現:福島県いわき市周辺―の人々が大きく関わっていたらしいと考えているわけですが、青葉城や台原の白水稲荷信仰の成立自体がそれを示唆するものかもしれない、とあらためて思うのでした。 |



