はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

はてノ鹽竈夜話:暇話

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 おそらく今年最後になるであろう鹽竈様への御挨拶に行って参りました。
 しかし、駐車場に入るなり、ふと違和感を覚えました。

 何かが違う・・・。

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 わかりました。
 駐車場の片隅にあった売店のテントがないのです。

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あの売店の主のような猫は何処へ・・・。

 
 それにしても、ここ最近、鹽竈様へのお参りは曇天の日が多かったのですが、久しぶりに抜けるような青空に恵まれました。その分寒さも厳しいものがありました。凍りついた池を見るのもだいぶ久しぶりのような気がします。

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 しかしこの鼻にツンとくるような冷気がまた良いのです。私は、粛々とした神社仏閣で味わう冷気を必ずしも嫌いではありません。
 何を隠そう、毎年大晦日、NHKの『ゆく年くる年』の寒々しい映像と独特の暗いナレーションに耳を傾けなければ歳を越した気分になれない私でございます。それを視る為だけに受信料を支払っているといっても過言ではありません。
 ・・・まあ、大抵は実家で視ることになるのですが・・・。

 東参道を進もうとしているとき、先年お亡くなりになられた御神馬「金龍号」の神馬舎をまじまじと眺めている老夫婦がいらっしゃいました。
 それを横目に鳥居を潜ろうとすると、婆様が何かを叫び始めました。

 「あれゆうじでねの?ゆうじ!ゆうじ!」
 「違うべ。」
 「ゆうじぃ!」
 「違うでば。似でる人だべ」
 「ゆうじぃ〜!」

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 もしかしたら私を「ゆうじ」なる人物と間違っているのかもしれませんが、むげに否定するのも婆様に恥をかかせてしまうような気がしたので、聞こえなかったゆうじとしてそのまま進んでしまいました。


 いよいよ唐門をくぐり、左・右・別宮をぐるりと見渡すと、前回参拝したときにはまだ残っていた別宮の第18回式年遷宮の養生もいよいよ外され、久しぶりに神々しき社殿を目の当たりにしました。

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 たいてい、リニューアルすると渋さが弱まって物足りなさを感じることが多いのですが、心なしか別宮はむしろ迫力を増したような気がします。
 鹽竈様への参拝を済ませ、鹽竈櫻様への御挨拶も済ませ、志波彦様への参拝も済ませ、各々の御神符を受け来年のカレンダーを手に入れた私は、志波彦神社の鳥居で振り返り、一礼をし、外へ出ました。

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 右手には神馬舎・・・。

 何故か要らぬ緊張に体をこわばらせながら、あの老夫婦はまだいるかな・・・などと、横目で確認しましたが、もうおられませんでした。

 後でゆうじに会っても責めないであげてください。

瞑想の松ブルース

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 いくたびか ここに真昼の夢見たる 高山樗牛 瞑想の松

 これは、『荒城の月』の作詞家としても有名な仙台出身の偉大な詩人「土井晩翠(どいばんすい・つちいばんすい)」の詠んだ詩です。
 晩翠は、山形県鶴岡市出身の文豪「高山樗牛(たかやまちょぎゅう)」が仙台在住の学生時代に「瞑想に耽った」と伝えられる場所と、そこに立つ一本の老松を新名所たらしめました。

 それが「高山樗牛瞑想の松――仙台市青葉区台原――」です。

 かくいう私も、思春期にはこの松の下をよく通りました。妄想癖のある私に因んで「今野政明 妄想の松」などと呼ばれたらどうしよう、と要らぬ心配なんぞしてしまうところです。
 この松は、東北薬科大学が所有するところの樹齢約620年のクロマツですが、甲子園の常連校としても有名な東北高校のグラウンドに隣接しており、私事ながら、ここでは中学生時代に2〜3度ほど東北高校の怖いお兄さんたちにカツアゲ―恐喝―されたこともあります。しかし、さほどに痛い目をみたことはありません。

 「おう少年、カンパしてけろや」
 「すみません、今百円しか持ってません」
 「なにぃ?身体検査すっぞ?」

 そう言われても、品行方正な私は本当に百円しか持っていないのだからしょうがありません。

 「・・・これで消しゴムを買うんです・・・」

 すると一人の怖いお兄さんは、

 「誰か消しゴム持ってね―が?」

と仲間たちに呼びかけ、せめてもの慈悲を見せてくれました。

 勉強とはおよそ縁のなさそうなお兄さん達でありますので、消しゴムも綺麗なモノです。百円は取上げられましたが、新品同様の消しゴムを入手するという目的も達成されたので、良しとしました。

 また、他のケースでは、たまたまトレーニング中の東北高校ナイン御一行様が通りかかりました。この松の下でインターバルをとるところであったのです。
 いたいけな私が数人の不良少年にからまれていることに気付いた野球部のお兄さんたちは、

 「何やってんだ、おらぁー!」

と一喝しました。ツッパリ兄ちゃんたちは、せめてもの威勢をとりつくろいながら、すごすごと退散しました。

 「ありがとうございます」
 「ごめんな、ウチの学校の馬鹿どもが迷惑かけたな。この辺は人気(ひとけ)がないから気ぃーつけろな」
 「はい」

 そんなやりとりをしていると、一人の少女が涼しげな表情で通り過ぎて行きました。小学生の時に同じクラスだった子でした。オリエンタル美少女とでも言うべき容姿に成長していたその少女に、東北高校ナインは色めき立ちました。

 「おお!めんこい!今の子のこと知ってるか?」
 「はい」
 「名前教えてくれ!」
 「○○○○です」

 個人情報云々という感覚がまるでないおおらかな時代です。私は助けてもらったお礼に彼女の名前を教えました。

 「おお、どうもな!お礼にサインしてやるよ。生徒手帳貸せ」

 別にいらなかったのですが、恩人の厚意を無碍にも出来ず、私は生徒手帳を差し出しました。

 「△△投手はいないんですか?」

 どうせだったら、当時甲子園のヒーローだった△△投手のサインが欲しかったので、気遣いを知らない子供の私はついそんなことを口走ってしまいました。

 「なんだよ。あいつは今一人でランニングしてるよ。俺ので我慢しろ。特別唾もつけてやっからな」

 彼は指をベロっと舐めてその唾液を私の手帳の一頁に塗りたくりました。

 (いらねー!)

 気持ち悪いので、後にそのページは破り捨ててしまいました。

 数年後、プロで活躍する某選手の名を見ると、驚くことに私の生徒手帳に書かれたあの名前でありました。同じくプロ入りした△△投手よりもよほど活躍していたのです。

 (・・・唾液つきサイン、とっとけばよかった・・・)

 さて余談が過ぎました。

 推定樹齢620年とされるこの瞑想の松、実は「國分彦九郎盛重」が天神社の霊地を穢さぬように植えたものと伝えられているのです。
 その天神社とは、仙台東照宮に遷され、その後更に榴ヶ岡に遷されて現在に至る「榴ヶ岡天満宮」のそれであり、すなわち、先に触れた「島津陸奥守」が勧請したと伝わる天神社のことなのです。
 余計な暇話にだいぶ字数を費やしてしまいましたので、稿をあらためて本題を語っていきたいと思います。
 本日は仙台七夕の最終日です。仙台七夕は、毎年8月6・7・8日の三日間にわたって開催されます。
 中学二年生の時、我がクラスに青森市から一人の少年が転校してきました。私は何故か転校生と仲良くなる習性がありました。その後に郡山市から転校してきた少年も、半ば強引に私の交遊グループに引き込んでしまいました。生まれながらに自称地理学者の私は、彼らから異文化(?)の話を聞くのが楽しかったのです。
 時に、「お国自慢合戦」がエキサイトすることもありました。そんなエキサイトした話題の一つに、青森の彼の
「七夕ってつまんねえな」
発言がありました。彼は事あるごとに「ねぶた祭り」を自慢しておりました。正直なところ、実は私も当時七夕をつまらないと思っていたのですが、他県の人間に言われるのは不愉快なのです。にわかに土着魂が発火し、「七夕」対「ねぶた」のエキサイティングな議論が展開されるのです。
 やがて私も社会人になり、自分の金でそれなりに気ままな旅もできるようになり、時はめぐり、また夏が来て(←青葉城恋歌風)、転校生の彼もいつしか忘れかけた思い出の中の人物となっていた頃、私はようやく青森ねぶたをこの目で観る機会にめぐまれました。そして・・・

 「これは・・・熱い!」

 はっきり言って度肝を抜かれました。「ラセラーラッセラッセ」と、激しく跳ねまわる狂喜の青森人たち。あの巨大な札幌ドームを震わせるどさん子達の稲葉ジャンプを青森市内の人たちがみんなでやっているようなものです。
 「都市全体が躍動している!」
 そう感じました。
 思わず『いなかっぺ大将』の大ちゃんの如く、踊りたくなってくるのでした。
 仙台に帰った私は、丁度入れ替わりの日程で開催される仙台七夕に落胆し、心の中であの懐かしの彼に「俺の負けだよ・・・」とつぶやきました。

 しかし、年輪を重ねてきた今の私はやや違います。七夕とねぶたは根本的に違うのです。祭りは祭りでも静と動。七夕は静かなる祭りなのです。観光的に、どうしてもパフォーマンス性を高めようと市民みんなで頑張ってはおりますが、それはそれとして、七夕の魅力は、本来“静”にあると知るべきです。静かに星に願いを込めて祈ることこそが七夕なのだと私は思います。
 それを意識し始めると、七夕飾りが妙に美しく見え始めるのです。
 都心部の豪華な飾りも素晴らしいですが、ここ10年くらいの私は、周辺部の商店会の庶民的な飾りが好きです。
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 かつては、仙台市内のどこに行ってもそういった庶民的な七夕飾りにお目にかかれたのですが、めっきり減ってしまいました。少子高齢化のこの時代、いずれ消滅してしまうのかもしれません。
 だからこそ、最近は意識的にそういった商店街などを通ってみたり、そこに掲げてある短冊の願い事などを観て癒されたりしております。地元の子供会が中心となっているのか、その願い事がまたいいのです。時に、意味不明であったり、あり得ない願い事も見かけますが、それもまたいいのです。


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・・・・。

バレンタインデー哀歌

 先日、ラジオを聞いていて初めて知ったのですが、バレンタインデーの2月14日とは、西暦269年のこの日、ウァレンティヌスなるキリスト教司祭が処刑されたことに因むのだとか・・・。バレンタインとはウァレンティヌスの名前が変質したもののようです。
 時はローマ帝国時代、皇帝は屈強なローマ軍兵士らの士気を維持するため、戦地に出向く彼らが、残してきた妻への望郷の念などを抱くことのないように、婚姻そのものを禁じたのだそうです。
 そんな中、恋愛のシンドラーとでも言うべき司祭ウァレンティヌスは、愛し合う善男善女のために立ちあがりました。秘密裏に兵士らの恋愛感情や婚姻願望を叶え、斡旋実現させたというのです。このことが発覚し、ウァレンティヌスは処刑されました。
 古今東西問わず、軍規というものは原則として軍の内部崩壊を防ぐためにありますので、当然ながら規律を乱すことは如何なる理由があれども許されません。したがってその刑罰というものも、往々にして再発防止の見せしめの意味があり、厳しくなるものです。
 さて、こんな私にも忘れられないバレンタインデーの思い出があります。
 バレンタインデーになると、男子は何故かいつもよりやや遅い登校をし、下駄箱や机の中を何食わぬ顔でまさぐります。登校時ばかりではありません。休み時間が終わって席に戻る度に同じ動作を繰り返すのです。自慢じゃありませんが、私は机をまさぐった手で怪しきモノを感知したことはただの一度もありません。
 ある年の2月14日の昼休み、一人の男勝(まさ)りな女子生徒が、彼女を取り巻く女子グループを引き連れて私を校舎の陰に呼び付けました。校内暴力が社会問題になっていたご時世とはいえ、彼女らに私を殴る蹴るしようとするオーラは感じられません。
 「ん?なんの用だ?」
などと平静を装いながら、
 (意外なこともあるものよのう・・・)
と内心驚きながらも手招きに応じました。
 リーダー格の女子は、「これあげる」と言いながら、私に数粒の個別包装のチョコレートが入った無機質な紙袋を手渡してきました。遠い昔の記憶故、チロルチョコだったかボトルチョコだったかツインクルチョコだったかは忘れましたが、とにかく駄菓子屋で一つ10円で売っている類のモノであったことは確かです。
 (何か妙だ・・・)
 予感は的中しました。
 「あのさ〜、これあげるからT君にこれ渡してよ。○○ちゃんからなんだけど〜」
 そう言いながら彼女が私に押しつけてきたモノは、先ほど私が受け取ったあたかも内職のおばさんが貼り合わせたような茶色の紙袋とはウラハラな、何やらきらびやかでゴージャスなテリのある包装に綺麗なリボンのついたとてもかわいいチョコレートでした。
 極めて不愉快でしたが、利害に関わらず頼まれると断れない上杉謙信を尊敬する私は、先に自分ももらってしまったので――利害?――つい引き受けてしまいました。
 放課後、私は友人Tを校舎の陰に呼びつけました。Tは怪訝そうな表情で私についてきました。
 「なんだ、気持ち悪いな。まさかお前が俺にチョコでもくれるのか?」
 「そのとおりだ」
 「何?」
 驚くTに、私はかわいい紙袋を手渡しました。
 「なんのつもりだ・・・」
 「○○ちゃんからだと」
 一瞬動きが止まったTは、
 「いらねーよ!」
 「何だと貴様!とにかく俺は自分の仕事を全うするだけだ。なにしろ既に賄賂を受け取ってしまった。いらねーなら本人に返してやんな!」
 「そんなのおめーの勝手な都合だろうが。知るか!」
 何か妙に不愉快な私は、無理やり彼に押しつけました。すると彼は、一転して妙に澄み切った表情に変わり、
 「わかった。受け取ろう」
 「おう、それでいいんだ。これで俺の任務は終わりだ」
 「さて・・・」
 「ん?」
 彼は今受け取ったばかりのチョコを私に差し出しました。
 「お前にこれをあげよう」
 「なんだと?」
 「お前はちゃんと俺に渡した。俺は確かにそれを受けとった。だから今これは俺のモノで、俺はそれをお前にやると言ってるんだ!」
 「お前わけわかんねーこと言ってんなよ!」
 うんざりしてきた私は、
 「よし、わかった。後悔するなよ」
 そう言うとおもむろに綺麗でかわいい包装をあけました。中にはハート形の手作りチョコとなにやら栞のようなカードの一筆せんが入っておりましたが、私は容赦なく無造作にチョコを一気食いをしました。
 すると、
 「あー!」
 悲鳴とも絶叫ともとれる黄色い声の大合唱が聞こえました。
 「え?」
 そうです。例の女子グループがこっそりこちらの一部始終を覗き見していたのです。○○ちゃんは顔を手で覆い号泣しておりました。リーダー格の女子は、つかつかと私の方に歩いて来て、
 「なんであんたが食べてるのよ!あんたにもちゃんとあげたでしょ!」
と罵声を浴びせました。
 翌日から、私はとても肩身の狭い思いで教室に佇むことになりました。クラスの女子全員を敵に回してしまった思春期の私の心境をご理解いただけますでしょうか。とにかく、早く新年度が来てクラス替えになって欲しいと願う、切ない年度末でございました。
 善男善女の皆様、忘れてはなりません。バレンタインデーは処刑の日なのです・・・。
 今日はバレンタインデーです。明日の日本を背負って立つ若人(わこうど)の皆様、是非美しき青春の思い出を紡いでください。

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