はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

時事―ニュース所感――

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


 今回の大津波には、いろいろと考えさせられました。その中で、人間という頭でっかちな生き物が、精神構造上どうしても強烈な恐怖心を忘れるメカニズムになっているらしいことを思い出しました。恐怖心に限らず、「喜・怒・哀・楽」全てにおいて、人間は激しい感情の動きに短時間しか耐えられないらしく、たとえ喜びの感情であっても、長く続くと脳はそれを異常事態と判断し、鎮静化してしまうのだそうです。なるほど、いつまでも激しく脈打ち続けていては心臓が持ちません。それは私たちの精神の自己防衛本能なのです。そんな話を、たしか昔ラジオで聞いたことがあります。快楽の感情ですらそうなのですから、“激しい恐怖心”を引きずることが体にいいわけがありません。いえ、決して津波被災者の方に賢(さかし)らな心理学を語ろうというのではありません。そんなことは、私ごときにはあまりに重すぎて、到底無理な話でもあります。ただ、自分も含めた人間全員に言えることとして、やはり私たちは先人たちの発する警告を軽んじてはいけない、という戒めが頭をもたげ、痛烈に鳴り響く今日この頃なのです。恐怖心を本能でかき消してしまうのが人間の性(さが)であるならば、やはりこれはなんらかの形で強制的に後世に伝えていかなければならないものであり、歴史を学ぶということは、私たちは先人たちの残した切実なメッセージをしっかり受け止めねばならぬこと、と真剣に考えているのです。
 最近、災害復興政策として、高台に住宅地を造成し、被災者に換地するという案が、首相を含めて真剣に論じられております。当然、これは重要な議論で、早急にしっかりと煮詰めていただきたいと願っております。
 ただ、ここで絶対に考慮しなければならないのは、過去にも大津波の度に同じ議論が繰り返されていたはずで、しかもその成果がしっかり実現もされてきたはずなのに、結局今回のような悲しい結果を避けられなかった、という“現実”です。
 ある地域では、恐ろしい津波の教訓を生かして防潮堤を築き上げたというのに、何故かその外側――海側――にも住宅が張り付いてしまいました。事情を知らないままそのニュースを聞いてしまうと、短絡的に大変な愚行に聞こえ兼ねないのですが、よく考えるとこれは極めて自然な成り行きであることに気が付きます。おそらく、最初は単純な作業小屋などから建ち始まったのでしょう。漁業を主産業とする集落の日常において、防潮堤は作業効率を著しく阻害する邪魔者でもあることも否めません。そうなると、せめて漁船との連絡がスムーズな場所、すなわち防潮堤の海側に作業小屋くらい欲しくなるのはあたりまえでしょう。作業小屋があれば、そこにはちょっとした休憩スペースも欲しくなるでしょう。繁忙期ともなれば、時にはそこに寝泊まりすることもあるでしょう。一人の漁師が、その人生の中で、はたして何回津波がくるものでしょうか。一度も遭遇せずに生涯を終える方もたくさんいらっしゃるはずです。そのような漁師から、そのまま息子に家業が継承されたなら、津波の記憶など心配性な年寄りの世迷言にしか聞こえないかもしれません。当初の鉄壁な危機意識はそうやって徐々に崩れていくものだと思われます。代替わりが進めば、千年などという途方もない時間を待たずとも、ものの百年もあれば十分恐怖の記憶は薄れていくでしょう。私たちはそのような現実も含めて物事を考える必要があります。
 偉そうに語る私も、正直なところかつて仙台平野を襲った平安時代の貞観津波など、どこか歴史上の事象にしか捉えていなかったようです。いえ、最近の調査結果から現実に再来する可能性を十分科学的に想定できたのですが、平安時代と平成の現代では、例えばかつて暴れ川であった河川も、まるっきりレベルの異なる堤防で制御されているわけで、同じ規模の津波が襲いかかってきたとしてもここまでひどいことになるとは思いもしませんでした。
 2010年8月、「産業技術総合研究所」の「活断層・地震研究センター」は、センター長の岡村行信さんをはじめ、宍倉正展さん、澤井祐紀さん、行谷佑一さんら「海溝型地震履歴研究チーム」を結成させて、仙台平野と福島県北部沿岸部の貞観津波当時の海岸線や津波浸水履歴を調査させ、その結果を発表しております――AFERC NEWS No.16『平安の人々が見た巨大津波を再現する――西暦869年貞観津波――』――。
 その調査手法を簡潔に触れておきましょう。
 津波は、海岸付近の土砂を浸食して内陸に運びますので、浸水域にはそれらの土砂が堆積されることになります。特に西暦869年の貞観津波の堆積物については、その約半世紀後の西暦915年に降下堆積したという「十和田aテフラ」なる火山灰の直下に分布しているので、比較的識別が容易であるのだといいます。
 また、当時の海岸線については、平野部の海岸線に形成される「浜堤列」という微地形の調査によって明らかになります。これは海岸線の年輪みたいなものです。浜堤列が複数列発達している仙台平野や石巻平野は、海岸線が少しずつ前進して平野が形成されていったことがわかります。肝心な堆積物は、浜堤列と浜堤列の間の湿地に沈殿して、浸水が引いた後も残されます。航空写真判定によって確認された仙台平野と石巻平野の浜堤列は20列程度とのことですが、実際にその分布を調べると、現海岸線より数列内陸にある浜堤を境に、そこから海側には「十和田aテフラ」や「貞観津波堆積物」の分布がみられなかったといいます。つまりは、そこが貞観津波襲来時の海岸線であったことを意味することになります。
 レポート資料添付の図を見る限り、そのラインは、おおよそ貞山堀、東名運河、北上運河のラインと考えてよさそうです。
 このような調査結果から、津波の波源を数値シミュレーションによって求めた結果、貞観津波は宮城県から福島県にかけての沖合の日本海溝沿いにおけるプレート境界で、長さ200キロメートル程度の断層が動いた可能性が考えられ、マグニチュード8以上の地震であったことが明らかになっておりました。
 また、この調査はあくまで宮城県沿岸を中心に進められているので、震源域の長さは200キロメートル程度にとどまっておりますが、仮に福島県以南の沿岸でも同じ調査をしたならば、おそらく今回の大震災同様500キロメートル程度の長さにまで及ぶことでしょう。
 それにしても、このレポートの資料を見ると一瞬今回の震災データと見まがいます。それほど、震源域や浸水エリアなどが酷似しているのです。この調査がいかに高い精度で行われたかに驚かざるを得ません。
 この調査は、宮城県沖で巨大地震が発生する確率が30年以内で99%というショッキングな発表を受けて、文部科学省が東北大学を中心に委託した「宮城県沖地震における重点的調査観測」の一環で調査されたものです。つまり、一研究グループの論考という類のものではなく、公式な発表と言っても差し支えない類のものでありました。したがって、極めてリスクを伴う原発を管理し、万が一の事態にも備えなければならない東電が「想定を超えていた」とする弁明はとうてい受け入れられないのです。
 念のため強調しておきますが、これは今回の震災の半年以上前に発表されているものなのです。私は、せっかくのこの素晴らしい調査結果を得ていたにもかかわらず、それがみじんも防災に生かされなかった現実が大変悔やまれてしょうがないのです。
イメージ 1
ありし日の名取川河口の風景――閖上付近――

 塩竃の魚市場に震災後はじめてマグロがあがったというニュースが耳に入りました。東電の原発事故を筆頭に、日々絶望的なニュースが更新される中、塩竃にマグロがあがるという、ごくあたりまえの、ついひと月前まではあまりにあたりまえすぎて話題にすらならなかったことが、これほどまでに嬉しく聞こえるとは夢にも思いませんでした。
 そのニュースに先だって、先日私は、震災後ずっと気になっていた鹽竈様にご挨拶をしてまいりました。
 駐車場から向かういつもの参道は、危険なので通行止めになっておりました。いくつかの燈籠も倒れておりましたので、まだ倒れぬ諸々が参拝者に倒れては危険故の予防措置なのでしょう。
 いずれ、こういった事情もあり、私はいつもと逆に志波彦様から先にご挨拶をすることにしました。志波彦様の鳥居をくぐり、神門前の境内に着くと、大勢の鳩たちに歓迎されました。あの、かつて人生に疲れてベンチで仮眠していた私を威嚇包囲した鳩たちです。どうやら相当腹が減っていたようなのです。
 塩竃市内は直接津波が襲いかかりました。市民は自分たちの食糧確保にすら精一杯だったはずで、鳩に豆をくれてやる余裕などはなかったことでしょう。
(こんなところにも震災の余波が・・・)
 胸がつまった私は、生れてはじめて志波彦社の社務所で鳩の豆を求めました。その刹那、巫女さんがたいそう嬉しそうな表情をなされました。その笑顔を見て、私はいかに鳩たちに豆が行き届いていなかったのかを実感しました。それにしても、ここの鳩たちはわりと行儀がいいようで、志波彦様の神門の内側までは侵入してきません。少しいたずら心が湧き起った私は、あえて豆を隠しながら神門をくぐって出てみました。しかし、彼らは一部始終監視していたのでしょうか、先ほどよりもさらに勢いよく飛びかかり、私の肩や腕にとまり始めました。ハワイでオウムを肩に乗せた大道芸人を見かけましたが、外国人が見たら私もそう見えたかもしてません。
イメージ 1
イメージ 2

 鳩に豆をくれてやり、志波彦様、鹽竈様にご挨拶を終えた私は、そのまま市街地を散策してみました。心配していた「銘菓志ほがま」の「丹六園」さんの建物も、銘酒「浦霞」の「佐浦」さんの建物も、内部はわかりませんが、建物としての体は保たれており、ひとまずは安心しました。落ち着いたら、必ず買い求めに行こうと考えております。
イメージ 3
イメージ 4
そして、塩竃と言えば鮨の「しらはた」さん。お店の大きなガラスに残された1メートル50〜60センチの高さはあろうかと思われる津波冠水のラインが生々しく、少々心配です。復活されたら、ぜひ特上のにぎりとあら汁を食べに行きたいと思っております。
イメージ 5

 全般的に、国道を中心にだいぶかたづけが進んでいたようですが、観光桟橋付近にはまだ船や自動車、コンテナが無秩序に転がっており、ややヘドロのような匂いも漂っておりました。
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8

 しかし、商店街ではどこからともなく蒲焼のような食欲をそそる香ばしい匂いも漂い、店先ながら営業を再開しているところも少なくなく、塩竃の完全復活は近いと感じました。
 とにかく、皆様のたくましさに脱帽です。
 今朝の『河北新報』朝刊を見て、一気に目が覚めました。
 なんと「応神天皇陵」の前方部に巨大土壇があったそうではないですか。とにかく、ニュースが旬の内に備忘録も兼ねてあわてて記事にしておく次第です。
 『東京新聞』のサイトに掲載されていた当該記事をそのままコピーさせていただきますので、ご覧ください。

――引用――
「応神陵」前方部に土壇 血縁者埋葬か、異例の構造
日本で二番目に大きく宮内庁が応神天皇陵に指定している前方後円墳、誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(大阪府羽曳野市、五世紀前半)の前方部頂上に巨大な方形の土壇があることが十九日、二〇〇八年に墳丘を立ち入り調査した研究者らの証言で分かった。
 通常は古墳の主を葬る後円部上にあり、聖域を示す結界や祭壇との説が有力。“埋葬施設の目印”ともいわれ、同古墳では後円部の天皇だけでなく、前方部にも血縁者ら重要人物を埋葬した可能性が高いとみられる。
 日本考古学協会などは二十四日、同庁の許可を得て内壕(ないごう)の土手を調査するが、墳丘本体への立ち入りは認められていない。
 関係者によると、宮内庁陵墓管理委員会(考古学者ら八人)が〇八年秋、整備計画検討のため専門家として初めて墳丘内を立ち入り調査。
 内容は非公表だが、委員の河上邦彦神戸山手大教授(考古学)によると、前方部の先端寄りに土を盛って築いた壇があった。保存状態は極めて良く、未盗掘の可能性もあるという。後円部には神社の施設が置かれた時期があり、土壇の有無などは確認できなかった。
 共同通信社の依頼で、産業技術総合研究所の寒川旭招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)が、明治−大正時代に旧宮内省が作成した測量図を解析。底面の一辺約四十メートル、上面の一辺二十メートル以上、高さ約八メートルと推算した。
 同様の方形壇は邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)の後継者・壱与(いよ)(台与(とよ)とも)の墓説もある西殿塚古墳(奈良県)や、銅鏡八十一枚が出土した桜井茶臼山古墳(同県)などにあるが、今回が最大。最新の研究では、当時の古墳に複数の人を埋葬した場合、大半がきょうだいと判明している。
 宮内庁は大型前方後円墳の大半を陵墓などに指定し調査を制限しており土壇の存在は墳丘の内部を考える重要な手掛かりとなる。
◆天皇陵では異例
 高橋克寿花園大教授(考古学)の話 方形の土壇は、結界や祖先の霊を降ろすための特別な囲い込みではないか。土壇の規模からみて、誉田御廟山古墳では前方部にも本格的な埋葬施設があった可能性が高い。前方部はもともと後円部に対する儀礼の場や参道と考えられており、天皇陵としては異例の構造だ。五世紀は外交、軍事面で優位に立った大和王権が全国統一に乗り出す「倭(わ)の五王」時代。天皇の力が強大になり、男系社会が成立する。前方部には皇位を継がなかった天皇の兄弟で、対になって活躍したような人物を葬ったのではないか。

 記事タイトルを目にした瞬間、まず私の脳裏をかけめぐったのは、「これは神功皇后しかいないだろう」ということでした。
 なにしろ、応神天皇と言えば母親である神功皇后を無視して考えるわけにはいきません。そしてこの母子をセットで祀る八幡信仰は、言わずもがな、我が国で最も絶対数の多い神社ネットワークの一つでもあるのです。
 ところがどうでしょう。記事にはその方向への勘繰りが一切ありません。正直なところ、拍子抜けしております。タブーなのか、全く的外れなのか・・・。もちろん、私の寝起きの直感が議論のテーマとして成り立つためには、そもそもこの巨大古墳が本当に応神天皇陵である必要がありますが・・・。
 さて、何故議論になり得ないのかを考えた場合に、しいてあげれるそのヒントがこの記事の中にありました。恥ずかしながら今朝初めて知ったのですが、「最新の研究では、当時の古墳に複数の人を埋葬した場合、大半がきょうだいと判明している」のだそうです。
 その判明の顛末がわからないので、今のところ賛否を保留しておくしかありませんが、これはこれで面白い研究成果だと胸躍っております。
 何故なら、その場合引用記事の末尾の花園大教授の高橋克寿さんの見解「前方部には皇位を継がなかった天皇の兄弟で対になって活躍したような人物を葬ったのではないか」に私も賛同したいからです。
 言うまでも無く、そこに私がイメージしているのは、第一子の「祭祀天皇」と第二子の「いわゆる天皇」の兄弟です。
 とりあえず、なんの精査もしていない私の寝起きのインスピレーション的記事につき、支離滅裂な部分を感じられても何卒ご容赦ください。

開く トラックバック(1)

 先日テレビを視ておりましたら、故マイケルジャクソンさんの未発表作が大量に発見されたというニュースをやっておりました。利権相続者は、今後順次アルバム化して世に出していくとのことで、しばらくはファンの皆様も楽しめそうです。
 そもそも、何故それだけ大量な未発表作が残っていたのかというと、マイケルさんの仕事の進め方に理由があったようです。マイケルさんは一つのアルバムをつくる際、収録必要数の何倍もの曲を作り、そのなかから納得のいくものを選びぬく手法をとっていたのだそうです。もちろん今回発見されたものには今後発表するつもりであったものも含まれているのでしょうが、ほとんどはマイケルさん自身が何十年もの間でお蔵入りにしていったものだったようです。
 それを聞いてふと思いました。もし死人に口があったなら、マイケルさんはこの未発表作の顕在化に対し、猛烈に反対するのではないでしょうか。マイケルさんが世に出さなかったのは、その作品に“納得がいかなかったから”でしょう。
 人気映画などでも、よく「完全版」と銘打ってカットされた部分を含めて公開することがありますが、その場合カットした張本人が御存命でそのことを納得しているものであればよろしいのでしょうが、これが故人の作品となると微妙な気が致します。
 私の好きな映画に『ニューシネマパラダイス』という名作がありますが、この映画には、実は後半に大幅カットされた部分があり、その部分にのみ出演している女優の名が字幕には残っております。この映画は、後に完全版としてそのカット部分も含めて再上映されました。しかし私の所感を述べると、この映画はその後半部分がカットされていた方が素晴らしい作品でした。なるほど苦渋の決断(?)でカットした監督のセンスを讃えざるをを得ないといったところでしょうか。
 いずれにせよ、ビッグアーチストであったマイケルさんの未発表作への評価は、やがてファンが決めることなのでしょうが、仮にそれが質の劣るものであったとしても、もともとお蔵入りであったということを含め置いて、決して賢らな酷評などをせずに、生の人間としてのマイケルさんを温かく見送れるようであってほしいと願うところです。
 今朝の河北新報――仙台の地方紙――朝刊に『奈良時代も肉食習慣 平城宮の土壌調査 寄生虫の卵裏付け』なる記事が載りました。以下に全文を転載致します。

――全文転載――
 平城宮(奈良市)内の役人らが奈良時代後半(8世紀後半)、牛や豚の肉を食べていたとみられることが、土壌化した当時の人ぷんから検出された寄生虫の卵で分かり、調査した奈良文化財研究所が17日発表した。
 出土したのは官庁が集まる地区の一画。木簡から宮や天皇を守る軍組織「衛府(えふ)」があったとみられ、外国人のものである可能性は低いという。
 牛や豚の肉食は、これまで外国人の食習慣と考えられる傾向にあった。当時の日本人の肉食は文献からもうかがえるが、実際に牛や豚を食べていたとみられることを物証的に裏付けた。古代の食生活を研究する上で貴重な史料となりそうだ。
 寄生虫の卵は、トイレットペーパー代わりに使われた棒状の木片「籌木(ちゅうぎ)」とともに、奈良時代後半とみられる5カ所の穴の土壌から検出した。
 アユやコイに特有の寄生虫が高密度で検出され、これらの淡水魚を好んで食べていたことが分かるほか、牛や豚の寄生虫の卵も見つかった。
 日本書記や続日本紀によると、7世紀後半の天武天皇の時代には牛などを食べることを禁止する命令が出たほか、奈良時代の天平年間にも仏教的な観点から鳥獣の殺生禁止の命令が出た。
 奈良文化財研究所の今井晃樹主任研究員は「食べる習慣があったからこそ禁止令が出たのだろう。平城宮内ではイノシシを献上する木簡も出ており、ある程度一般的だったのではないか」と話している。
 研究成果は同研究所発行の「奈良文化財研究所2010」に掲載されている。

 つい先日、私は秋田城の水洗便所から発見された豚の寄生虫の卵について触れましたが、なんと見事なタイミングの記事でしょう。
 「うぬぼれるな」と言われるかもしれませんが、もしかしたら河北新報社か奈良文化財研究所の御方が、拙ブログ『はてノ鹽竈』に目を通して「小生意気だから論破してやれ」と企んでいるのではないか、と疑いたくなるようなタイミングです。
 いずれ、私から言わせれば、曲がりなりにもこの分野の考古学に携わっている専門家であれば、本来秋田城で同様のものが発見されたときに、とっくにその検証をすべきであったものを、何故今このタイミングで「奈良時代にも肉食習慣」などと発表したのかが不思議です。
 むしろ、権威ある専門家が揃いも揃って今まで何をしていたのでしょうか、と言いたくなります。
 半年前の「纒向に卑弥呼の宮殿?」などという発掘成果も含めて、遷都1300年のタイミングを見計らった観光戦略なのでしょうか。
 なにしろ、いずれの発表にも言えることですが、私には「短絡的な考察」に思えます。
 そもそも、「木簡から宮や天皇を守る軍組織「衛府(えふ)」があったとみられ、外国人のものである可能性は低いという」と言いますが、その理屈が理解出来ません。
 平城宮のほんの120年ほど前に蘇我馬子の側近で軍事的性格を持ち合わせた氏族は何者であったでしょうか。
 渡来系の東漢直駒(やまとのあやあたいこま)です。それこそ『日本書紀』にも明記されているではありませんか。
 彼は祟峻天皇を暗殺しました。
 史上空前の天皇暗殺でしかも犯人が明らかにされた極めて稀な歴史的事件ですが、もっと言えばヤマト頂点VIPの天皇を暗殺出来るほど近くに接近出来ていたということです。
 これはまさに“衛府”ではありませんか。
 彼らは、後漢霊帝の末裔を自称してはおりますが、いわばツングース系であることは明白です。ということは肉食習慣を持ち合わせていただろう推測は容易に成り立つというものです。いかがでしょうか。
 つまり、少なくとも蘇我氏の全盛期において彼らが政権中枢に深く関わっていたこともこれまた明白なのです。
 だから私は一体何をもって「外国人のものである可能性は低い」というのかがよくわからないのです。
 また、齶田浦の神を信奉する蝦夷の恩荷(おんが)が肉食を習慣としていたことが、何故正史上でとりたてて強調されていたのでしょうか。
 それは野蛮さの強調もさることながら、そもそも肉食が珍しかったからに他ならず、また、新聞記事ではイノシシを献上したことを示す木簡が出土していることも傍証にてしておりますが、逆に言えばそれが珍品であったことを物語っているのではないでしょうか。
 少なくとも今井主任研究員が言うように「ある程度一般的だったのではないか」とは私には思えません。
 もし、一般的であったと言うのであれば、それは外国人以外ではあくまで蝦夷社会の話だと思います。
 平城宮において彼らは、悲しいかな売り飛ばされた家畜同様の奴隷であり、少なくとも一般市民の話であるとは思えません。
 少々熱く語ってしまいましたが、私事ながら、最近、どうも短絡的な語呂合わせに過ぎないような理論をふりかざして、妙に上から目線でモノを言ってくる輩が多いから性格がひねくれてしまったのかもしれません。
 「私はこう思います」なら別に構いませんが、「真実はこうなのです」と言い切るのであれば、その根拠を示してほしいものです。人に「上から目線」で突飛な説を断定してくる場合は、せめて論拠を明示してほしいものです。
 念のため補足するならば「証拠を提示しろ」とは言いません。裁判ではありませんので。
 しかし、せめて何故そのように考え至ったのかくらいは詳らかにしてほしいものです。それがなければなんでもありです。それを確認しなければ信ずるに足るか否かの判断がつきませんので・・・。

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


.

ブログバナー

検索 検索
今野政明
今野政明
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事