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人類の古代信仰の形のひとつに、祖霊信仰があります。 例えば自分の祖先をある特定の動物や自然現象であったと信仰するもので、俗にトーテミズムというものでございます。インディアンは、自分達の氏族の祖霊と考える動物などを、独特の“塔”によって表現した「トーテムポール」をもってなわばりの目印にしていたといいます。家紋のようなものといえばよろしいのでしょうか。 日本にはトーテムはなかったという学者さんもいらっしゃるようですが、私はあったと思っております。少なくとも「白鳥信仰」についてはあきらかに存在していたと思われます。白鳥が飛び立つ瞬間をご覧になられたことはありますでしょうか。一斉に飛び立つ白鳥の群れは、その迫力はもちろんですが、真っ白なモノが一斉に空に舞い上がる“絵”というものは、あたかも霊魂が召される光景かのようにも見え、神聖な気持ちにさせられるものでもあります。古代の人たちがこれを見て何も感じないわけはないと思います。毎年冬になると北の空からやってきて、春の訪れとともにまた北の空に去っていくその姿に、各々のご先祖様の来訪を映し出して出迎え、見送っていたとしても極めて自然に思えます。 事実、宮城県南部には熱烈な白鳥信仰があり、そのことは日本地名研究所所長の谷川健一さんも著書『白鳥伝説(小学館)』のなかで力説しております。 例えば、白石(現宮城県白石市)付近に強い白鳥信仰が存在することを熟知していた仙台藩祖伊達政宗は、三代綱宗に対し、くれぐれも白石では白鳥狩りをしないように釘をさしていたといいます。 また一方で、時代が下った戊辰戦争の頃の仙台藩主伊達慶邦(だてよしくに)においては、白石の百姓が一揆を起しても心配ないとうそぶいていたそうです。それは槍の代わりに竹の先に白鳥の羽をぶらさげて、それを突き出してやれば白石の百姓達はいかなるものでも震え上がるからだというのです。 白石川の白鳥 これらはおおげさな話ではありません。実際に白鳥をめぐっての大事件もあったのです。
東北諸藩が戊辰戦争に破れ、官軍が宮城県南部に進駐していた頃の話です。官軍の兵は何の気なしに白鳥を鉄砲で撃ってしまったそうです。すると、地元の柴田藩士がそれに対して怒り狂い、官軍の兵に向けて発砲してしまいました。弾丸は官軍兵の船べりをかすめ、当然ながら大問題となりました。これにより藩主柴田意広は切腹させられ、藩士は北海道に流され、柴田藩が滅びることにまでなったのです。 明治維新の頃ですらこうなのですから、江戸時代初期の伊達政宗の時代では推して知るべしです。 もちろん、そのような信仰が政宗の時代に初めて起こったものというわけではなく、また、政宗自身に苦い経験があるわけでもなく、そういう信仰があるということ自体が、古くからあたりまえに知れ渡っていたのでしょう。 特に、鎌倉時代以来の伊達家父祖伝来の地(現福島県伊達市あたり)は、白鳥信仰が根強い宮城県南に隣接するエリアでもあり、伊達家にとっては基本的な情報として備わっていたことでしょう。もっとも、政宗が生まれたのは伊達ではなく米沢(現山形県米沢市)なのですが、政宗が孫の綱宗に教えた如く、自身も父親の輝宗あたりから教えられていたのかもしれません。 とにかく、このように、この地の白鳥信仰は尋常ではなかったのです。人々は白鳥の羽に触れただけでもミミズ腫れが出来るほど、恐れ敬っていたのです。 白鳥信仰自体は全国各地にありますし、もっと言えばシベリア方面など世界各地にもあるようです。世界レベルな話は別として、少なくとも宮城県南部のそれはかなりのブランド?だったようでございます。 |
白鳥と鷹
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古代人の深層心理に大きな影響を与えたはずのトーテムについて眺めてまいります。



