はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

はてノ鹽竈夜話:今ちゃんの珍道中

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 本文とはあまり関係のない旅の暇話を紹介します。
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時間旅行

 昨年、ニュートリノなる素粒子が光より速く目的物に到達しているという驚愕の実験結果が発表されました。
 アインシュタイン以降「相対性理論」の考え方からすると、光の速さは絶対不変の最高速度であり、それを超える物質は存在しない、ということになっております。
 具体的にどういうことかというと、例えば、移動している乗り物などから、進行方向とその逆方向に各々同じ速度の何らかの物質を放った場合、一般生活で経験し得る常識をあてはめるならば、進行方向のそれについては速度が加算され、逆方向については速度が差し引かれるので、各々の速度はあきらかに異なるはずなのですが、放たれたものが光であった場合、その速度については加算も減算もされず常に一定である、ということです。
 参考までに、よく取り沙汰にされる実験方法の一つ、1887年の「マイケルソンとモーリーの実験」を紹介しておきます。これは、一つの光源から照射した光をハーフミラーでニ方向に分け、片方は地球の公転の影響を受ける東西方向へ、もう片方はその運動方向と垂直の南北方向へと向け、各々の等距離に反射鏡を設置し、そこで反射されて戻ってきた光を検出器で捕え、光の波としての性質が生じさせる「位相」すなわち干渉縞の濃淡によって到達時間のズレを検出するというものです。この計測器は舞台装置全体が水銀上に浮かんだ円盤状で、回転が可能となっており、万が一東西と南北の距離にズレがあったとしても、そのまま90度回転させれば各々を入れ替えた検出も可能なので、誤差は補正されます。この方法では、光の速度の一億分の一の変化までとらえることができたそうなので、光の速度の一万分の一である地球の公転速度――秒速30キロメートル――の影響は十分検出可能ということになります。しかし、実験の結果、両方向の光の速度にズレはみられなかったのです。
 速度というのは、言うまでもなくある距離を移動するのに要した時間から割り出されるわけですが、速度が絶対変わらないというならば、時間なり距離――空間――が変わったと考えなくてはなりません。つまり時間も空間も絶対的なものではなく、あくまで相対的なものでしかない、というのが相対性理論の大きな主旨で、それは、幾多の天体観測などによっても裏づけられております。
 例えば、宇宙から降り注ぐ宇宙線――放射線――が地球の大気上層部にある原子と衝突して生じるミューオンという粒子は、光とほぼ同じ速度で大気中を飛行するわけですが、その寿命はわずか100万分の2秒ほどであるため、計算上600メートル飛行するだけで寿命を終えて別の粒子に変質してしまいます。しかし、実際には厚さ約20キロメートルもの大気を突きぬけて地表に到達したミューオンが大量に検出されます。20キロメートルとは止った状態の私たちから見た距離、すなわち空間の厚みであって、移動速度が光速に近づくにつれ、それは短くなるのです。これを時間に置き換えて表現するならば、止まっている私たちから見れば、光速移動しているものの寿命が延びたように見える、すなわち時間が遅くなったように見えるわけです。では、光速移動している人がいたとして、その人から見たら私たちは時間が早く進んでいるように見えるのでしょうか。いえ、それが違うのです。向うから見れば光速移動しているのは私たちの方であるからです。細かいことを言えば、今例に挙げたのは光速移動している立場と止まっている立場の間でのいわゆる「特殊相対性理論」でありますが、両者とも加速度運動している場合などもあるわけで、そうなるとまた違った変数が出てまいります。それを考慮した「一般相対性理論」というものもアインシュタインは到達しておりますが、そこまで踏み込むと話がややこしくなるのでやめておきます。
 いずれ、今回のニュートリノのように光の速度を超えて移動した物質があったとしたならば、それはもはや「時間を遡って到達した」ということも含めて想定せざるを得なくなってしまうのです。メディアが、「タイムマシン」やら、『宇宙戦艦ヤマト』の「ワープ航法」云々などという話にまで発展させて盛りあげていたのは、こういった背景があったからなのです。
 タイムマシンについては、実際に未来から来た人と遭遇した話は聞かないので、発明されていないと断言してもさしつかえないと思うのですが、だからといって時間が遡らないという理屈にはならないと思います。それは単に、生命体を含むマクロな物質がその「時間を遡る」という特殊な状態に耐えられないだけかもしれないからです。これは宇宙人がいないという理屈に似ております。地球に生命体があるのに、広大な宇宙空間に他の生命体が存在していないと考える方に無理があるとは思いますが、タイムマシンと同じ理屈で、光を超える速度の異常環境にマクロな物質が耐えられなければ、お互いが遭遇することは未来永劫あり得ないと考えるべきかもしれません。
 それはともかく、ニュートリノのように光を超えて移動する物質の存在について、当然、未だ多くの物理学者が受け入れられずにおります。しかし、彼らはとにかくその実験の不備を探り出すしかありません。とことん不備を探り出して、尚、それが見つからなかった場合は、ついにこの事実を受け入れなければなりません。
 かつて、一見矛盾する「ニュートン力学」をも包括してしまった「相対性理論」のように、今度は相対性理論をも包括するさらに大枠の新たな理論を見い出さなければならなくなるのかもしれません。

 ところで、私は時折時間を遡ったのではないか、と思う瞬間があります。それは何故か神社の参道でよく起る現象なのです。前にも触れましたが、平成21(2009)年、福島県のとある鹽竈神社の参道から、隣接の小学校の廊下に衝撃的な文言を発見しました。

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 「76年ぶり ハレ―すい星来たる」
 目を疑いました。私は、今から26年前の昭和61(1986)年、兄と二人で夜明け前の海にそれを見に行っております。朝早くに出向きましたが、残念ながら水平線上に雲が立ち込めて目撃叶わず、「次来る時まで生きていられるだろうか・・・」などと嘆いたのです。それが、この学校の少年少女たちは既にハレ―彗星を迎える準備をしていたのです。私は23年過去へ、あるいは53年未来へタイムスリップしてしまったのでしょうか・・・。
 そして先日、丹後の国のとある神社の参道で、私はまたしても衝撃的なものと遭遇しました。

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 「passola(パッソーラ)」、たしかにそう書いてあります。しかも、泥除けには懐かしのプレイボーイのウサギさんまで描かれているではないですか・・・。これをタイムスリップと呼ばずしてなんと呼ぶのでしょう。それは、あたかも『宇宙戦艦ヤマト』の主人公古代進が、西暦2199年、ガミラスの偵察機を迎撃するため東シナ海に出向き、そこで朽ち果てた遥か大昔の戦艦大和の残骸に出会い、その後、地下深くからその船尾部分が地下工場に露出しているのを見上げたときのような衝撃に似ておりました。
 パッソーラ。もう35年も経ちましょうか・・・。スクーターがもはや絶滅したと思われたその時代、たしか八千草薫さん出演のCMで「足を揃えて乗れる」という触込みで、ヤマハさんから登場しました。それがパッソルそして姉妹品のパッソーラだったのです。それは、スカートの女性でも跨ぐことなく安心して乗れるとして一世を風靡したのでした。口の悪い輩は「なんだ、ただのスクーターじぇねえか」と揶揄しておりましたが、ヤマハさんは屈しません。「スクーターとは異なる新しいタイプの商品」と主張して憚りませんでした。
 数年後、世に再びスクーターブームがやってきました。このブームは一過性に留まらず、現代に至ってはもはや原付≒スクーターというイメージが定着するほどにまで至っております。
 ちなみにブーム到来時、ヤマハさんはパッソル&パッソーラを「元祖日本のスクーター」と言わんばかりにアピールしていたように記憶しております・・ぉぃぉぃ・・・。
 いえ、良いのです。ヤクルトさんのヒット商品「ジョア」が飲むヨーグルトブーム到来時に「元祖飲むヨーグルト」になっていたり、吉幾三さんのヒット曲『俺ら東京さいぐだ』が、ヒップホップブームの現在「元祖ジャパニーズヒップホップ」と呼ばれたり(呼ばれてない?)、時流を敏感に察知しそれを素早く反映させるこの柔軟性こそが、市場経済を生き抜くための営業センスなのだと思います。
 うまくまとまりませんが、「光より速いニュートリノ」。今後の議論の進展を楽しみに注目していきたいと思います。
 北陸自動車道でフォッサマグナを通過した車は、新潟県と富山県の県境のトンネル群に突入します。当然このトンネル群が貫く山塊も、フォッサマグナを取り巻く地殻変動と密接な関わりをもっているわけですが、縄文期のヌナカワ――糸魚川――が、ヒスイなる鉱物資源の我が国最大の産地として確固たる地位にあっただろう特殊事情も、おそらくこの地球規模の地殻の営みと無縁ではありません。地殻プレート同士の壮大なせめぎ合いで生じたひずみは、少なくとも深さ6000メートルを超えます。それは、6000メートルものボーリング調査をしても、断層を隔てた隣接の北アルプス同様な古い地層に到達出来なかったとのことから、間違いありません。その北アルプスの山塊が3000メートル級であることを考えると、少なくとも合わせて9000メートルを超えるわけですので、延べの深さ――高さ――だけで言うならヒマラヤ山脈ですらすっぽり入ってしまう壮大な溝であるということになります。その溝を埋め尽くしている地殻マグマの噴出物は比較的新しい火山列を成し、地層岩石の山塊は日本海の深部からもせりあがり、それを強引に貫く北陸自動車道は、当然トンネル三昧となります。さすがにインターチェンジまでは山塊の内部というわけにもいかず、海の上に押しやられた形で展開しておりますが・・・――親不知インター――。
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 この地形を鑑みるに、同じ越エリアとは言え古代の越中――富山――と越後――新潟――は、陸路としては隔絶されていたことでしょう。追いつめられた阿彦は、この天嶮を越えて越後の魚沼に逃れたのでしょうか・・・。
 さて、富山県は、私にとって北陸自動車道を利用して関西方面に向かう際の、一つの目標地点でもあります。このルートを走行する場合、必ず富山県内のサービスエリアで「鱒の寿司」とサントリーの「伊右衛門はん――宮沢りえさん風に表現――」を堪能するものと決めており、途中での間食状況に応じて器の丸型か長方形かも決まります。それが私の越中入りの儀式なのです。
 しかし、富山県を目的地とした旅の場合、少々リズムが狂います。何故なら、目的地に到着して尚、サービスエリアで弁当を買う意味があるのだろうか、という葛藤が生じるからです。街中に繰り出して地元の名物を堪能した方がいいのではないか・・・、道中そんなことばかりを考えて車を走らせてしまうのです。結局は鱒の寿司と伊右衛門はんを買ってお茶を濁してしまうのですが・・・。
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 蛇足ながら、サービスエリアで求める自動販売機のコーヒーにも多少のこだわりがあります。基本的にミル挽きレギュラーコーヒーであることは必須であり、コーヒールンバが流れるものであればモアベターです。ただし、ミル挽き抽出の待ち時間はおろか、その旅の間もずっと「昔アラブの偉いお坊さんが〜」と頭を駆け巡り続けるということには気をつけなければなりません。
 コーヒールンバを聞くたび、妙に思い出してしまう情景もあります。かつて、深夜割引を利用した道中、あるサービスエリアに同機種が二台並んでいて、身も知らぬ御方とほぼ同時に購入したときがありました。微妙にずれた購入タイミングのおかげで、不細工な不協和音として奏でられた名曲コーヒールンバは、もはや不快な雑音と化しておりました。
 深々とした夜の闇に心を休めるとき、数多あるサービスエリアのこの時この場所で、何も同時に買わなくてもいいではないか・・・と、おそらく先方も思われていたことでしょう。見知らぬ二人が無言で不快な不協和音を聞き入るその空気感・・・、夜のしじまのなんと饒舌なことでしょう・・・。


栗原郷の神秘なる混沌

 栗原(くりはら)――宮城県栗原市――は、東北地方の歴史を調べようとする際に必須のエリアであろうと私は考えております。
 ヤマトと蝦夷の激突の歴史で、ヤマトを本格的に震撼させた事件の第一号は「伊治公砦麻呂(これはりのきみあざまろ)」の反乱であったと考えますが、これは栗原において発火した事件です。
 また、機会があれば語ろうと思いますが、高橋克彦さんの言葉を借りれば「豊臣秀吉に喧嘩を売った男」、すなわち南部藩の反乱分子「九戸政実」が処刑されたのも、何故か政実の本拠――岩手県北――ではなく、かと言って京でもなく、この栗原でした。
 この処刑について、私は伊達政宗はもちろん、栗原という歴史的な反乱分子の巣窟に対して、見せしめ、つまりデモンストレーションであったのではないかと想像しております。
 ある意味で、東北の蛮賊とヤマトの戦争は、初めも終りも栗原が舞台であったと言えるのかもしれません。
 そして、そのようなエリアに「武烈天皇伝承」があることも捨ておけないところです。

 とにかく栗原は魅力的なのです。

 そんなこんなで、ここ数年で、私は果たして何度栗原を訪れたでしょうか・・・。
 ある時、毎度のように栗原市内を縦横無尽に走り回っていると異様な光景が目に写りました。
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 はて、目の錯覚でしょうか。私には街道沿いの道端、極めて不自然な場所に電子レンジらしきものが置かれているように見えました。
 一旦通過したものの、しばらく私の角膜に写しだされた残像が消えず、ついにその場所まで引き返してしまいました。

 間違いありません。

 とある家の敷地入口に紛れもなく“電子レンジ”が置いてありました。
 どなたかが置き忘れたのでしょうか。あるいは家電製品回収にでも差し出されたものなのでしょうか。
 ところが、よく見るとレンジの下に専用の台座があり、それだけにとどまらず、しっかり金具で固定されておりました。
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 かつて、トーテムポールというものがありました。
 インディアンなどは、自らのトーテム――祖霊神――を集落の入り口などに設置し、各々誇示していたと聞きます。

 この御宅のトーテムはもしかしたら電子レンジなのでしょうか・・・。

 なんという時間軸の混沌でしょう・・・。
 もしかしたら、野蛮であると蔑まされてきた蝦夷は、はるか遠い昔に電子レンジを発明していたのかもしれません・・・。
 これまでもたくさん私の好奇心を煽ってくれた謎多き栗原ではありますが、これほどの神秘に出会ったのは初めてかもしれません。
 偉大な歴史のいたずらに思いを馳せて、目を閉じて悠久の時間に浸っていたとき、停車している私の車を大変邪魔そうに郵便局の車が通り過ぎていきました。
 「あ、すみません」
 と言っても聞こえなかったでしょうが、軽く頭を下げました。
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 もしかしたら・・・・。

 ポスト?

 ・・・・・・・・。

 かつて、私の知人が洗濯機を買い替えた後、古い洗濯機を玄関ポーチに置きっぱなしで宅配ボックス化しておりましたが・・・・。
 いえ、そんなものと等質にしては失礼です。この御宅のここには、台座を作成し、金具で固定するといった積極的な意思が見受けられるからです。
 エコロジーが叫ばれる現代、これは実に素晴らしい模範的行為と言えるかもしれません。

 いずれ、謎は未だに解けておりません。

 やはり栗原は偉大なのです。

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 花も恥じらう16歳。そんな時代が私にもありました。高校に入学し、これから青春時代を謳歌しようと夢と希望と不安とが交錯していたある日、どこでどう間違ったのでしょう、私はとっても悪い先輩たちに捕獲されてしましました。そしてバラ色になるはずだった私の青春は、格闘技に没頭する陰陰滅滅としたものに塗り替わっていくのでした。それはあたかも本郷猛なる若者がショッカーなる悪の秘密結社に拉致され、バッタ能力の改造人間にされてしまったかのような出来事でした。
 その夏のその某格闘技のとある大会は、地方にも浸透させるという名目で涌谷の町で開催されることとなりました。
 涌谷に到着すると、まず試合会場の公営体育館に集合し、計量を済ませるとそこから全選手団の宿があるところまでバスで移動する段取りになっておりました。町の至るところには「歓迎○○△△大会予選」というポスター。どこかプロレスの巡業のようなイメージで、あたかも自分が著名なレスラーにでもなったような錯覚に陥り、少しいい気分になったりもしておりました。
 全校がこぞって町中を歩いて移動していると激しい爆音で一台のバイクが迫ってきました。どうやら地元の高校生らしいのですが、ジャージを着たこの奇妙な御一行様の行列が大変邪魔だったらしく、あたかも“いつもここから”のネタのごとくエンジンをふかして威嚇して通り過ぎていきました。見上げた勇気です。ここにいる少なくとも100人以上の全員が格闘家であることを知っていての威嚇なのでしょうか・・・。まして、彼が直接的に威嚇した赤備えの軍団は県下最強のチームなのですが・・・。
 さて、御一行様はある山の頂上にあるラドン温泉付き施設に到着しました。そうです、その山こそ奥州三観音の一つがある篦岳なのです。
 各校とも、団体用の各々の部屋に案内され、私たちもその流れに身を任せようとすると、
「あ、○○高校さんですか。皆様はこちらです」
と、他校とは異なる方向へと案内されました。とりあえず言うとおりに後をついていくと、どうも厨房の裏のような裏舞台を経由して“離れ”ではないかと思われるような薄暗い空間につれていかれました。狭い階段を上って「こちらです」と案内された部屋は、小屋裏のような妙に天井の低い、とはいえそこそこに面積の広い畳敷きの空間でした。何故か平安時代のような赤塗りの柱や長押(なげし)も妙で、先輩たちは騒ぎ始めました。
「なんだここは!女郎部屋じゃねえのか?」
「いや、ここは・・・布団部屋ではなかろうか・・・・」
諸説紛糾している中、私はふと天袋が気になり、低い天井故にすぐ手が届くのでそれを開けてみました。
「!」
そこに見えたのは、見覚えのある赤備えの足元でした。県下最強の○○高の部屋だったのです。私に気付いた先方の一人が、
「おお!△△高だ!」
そう言うと一斉に人が集まり、みんなでこちらを覗きこんできました。つまり、先方からすれば、自分達の足元の地袋の中に私たちがひしめいていたのです。なんという差別的屈辱的待遇でしょう。やはり私たちの部屋は布団部屋であったのでしょうか・・・。
「なんじゃこりゃあ!」
先輩たちは大騒ぎでした。
 さて、既に計量も済んでしまった私たちは夕食を楽しみにしておりましたがまだ時間があります。せっかくラドン温泉なので、まずはひとっ風呂浴びてこようと同期の仲間二人とともに大浴場へ向いました。なにしろ布団部屋発の私たちですから迷路のような館内に不案内で、途中廊下で女将さん(?)に場所を確認しました。
すると、
「今日は男性客しかいないから女湯に入ってもいいですよ」
とのこと。とは言え、そう言われてまっすぐ女湯に向かうようではいかにも変態っぽいので、おとなしく男湯に入りました。
 ラドン温泉につかると、気持ちよくなりついつい歌のひとつも歌いたくなります。浴場には私たち3人しかおらず、私は遠慮せずに歌いました。
 すると、隣の女湯から対抗するように歌いだした輩がおりました。他校の選手でしょうか。だとするならばここを明日の前哨戦と思えば負けるわけにはいきません。私はより大きな声で歌いました。しかし向こうも負けてはおりません。
「おのれ!」
お互いエスカレートしてほとんど甲子園の応援合戦の様相を呈して来ました。
 いい加減のぼせてきた私たちは部屋に帰りました。
 部屋に帰るとH先輩が怒号をあげておりました。
「どこの学校の奴だ!俺に対抗して歌ってくるヤツがいやがった!」
「・・・・」
 さて、腹が減っております。なにしろ全部員減量して先ほどの計量に臨んでいるのです。私たちは浴衣に着替え、大食堂に行きました。食堂から見渡す風景は素晴らしいものがありました。霧が立ち込めたその日の風景は実に牧歌的かつ幻想的で、しばし見入ってしまいました。
 やがて、他校の選手たちも三々五々集まってきたのですが、ふと異様な光景に気がつきました。
「もしかして・・・浴衣着てるのって俺達だけじゃねえか・・・・?」
他校はどこも厳粛にジャージのまま食堂に現れたのでした。
「・・・・・」
 気を取り直して、食事を楽しみました。
「お、なかなかうまいじゃねえか」
我が校はみんな満足げにやいのやいのと食べ物をかっこむようにほおばって団らんしていたのですが、ふと他校の様子を見ると計量が終わったというのに明日に控えた試合に備えてか、急激に胃に負担をかけまいと一品一品選びながらストイックな食事を展開しておりました。
「・・・・」
部屋に帰ると、H先輩が急に全員を招集しました。
「全員外に出ろ!」
「なんだなんだ・・・」
 なにしろ、霊場の山頂ですから外は真っ暗で不気味です。
「これから一年生は二人ずつタッグを組んで肝試しだ!」
「ええ〜!」
そうして連れて行かれたのが篦峯寺の参道階段の麓でした。H先輩は言います。
「この階段の上に寺がある。そこの鐘を鳴らしてこい。その鐘の音で任務遂行を確認する」
「うわあ〜・・・」
「ジャンケンで順番を決めろ」
 私は同期のAと組んだのですが、幸いジャンケンに勝利しました。先攻はTとSのタッグと決まりました。
 彼らは暗闇の足元に注意しながら恐る恐る階段を上っていきました。そのうち彼らの後ろ姿が見えなくなりました。
 ・・・・・
 どのくらいの時間が過ぎたでしょうか、一向に鐘の音が聞こえません。
「鐘をさがしているんでしょうかね」
「おかしいな、そんなに遠くはないはずだ」
「遅すぎる・・・・」
 だんだん全員が心配になってきました。
 やがて、暗闇に階段を下りてくる二人の姿が見えてきました。任務を遂行していないとはいえ、無事戻った彼らに先輩たちも安堵したようで、叱りつけることもしませんでした。何より、彼らの顔が真っ青――まあ、暗闇でよく見えませんが――だったことが気になりました。
 「どうした!何があった!」
先輩たちが矢継ぎ早に質問しました。
 Tがもごもごと口を動かすと、全員固唾を飲んで耳をすませました。
「・・・・住職に怒られました・・・・」
「・・・・そ・・そうか・・・」
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 翌日、全員惨敗だったことは言うまでもありません。
 この一年アカデミー受賞の『おくりびと』ブームで沸きに沸いた山形県酒田市ですが、その沖合にある不思議アイランド飛島(とびしま)は、鳥海山(ちょうかいさん)の噴火によって沖合に吹っ飛んだ山体の一部であるという言い伝えもあります。
 しかし、島を形成している地質にその関連が認められないことから、科学的にはほぼ完全否定されております。
 とはいえ、私はその名前を通じての共通性に興味を覚えます。鳥海山という山の名前は、わりと近年に名づけられたもののようですが、おそらく当初は「鳥海」と書いてチョウカイとは読まず、トリミ、あるいはトミ、あるいはトビであったことだろうと思うからです。一方の飛島は紛れも無くトビ島であり、いずれかの時代に紛れも無くトビの一族が支配していたことは間違いないでしょう。
 さて、取上げておきながら恐縮なのですが、今回の話題はそこではありません。
 トビの一族についてフィールドワークで駆け巡っていたとき、さんざん耳にした言葉に「鳥海山の伏流水」というものがあります。なにしろ出羽富士と呼ばれるほど秀麗なコニーデ型、すなわち単独峰――厳密にはそうでもないのですが――の鳥海山は、その山体が集めた雨水や雪解け水が、原生林とのコラボレーションで精製されたミネラルをたっぷりと含みながら地中に染み込み、伏流水となっては各所に湧出して山麓の村里を潤しております。
 これは海についても同様で、去る夏、日本テレビの『ズームイン朝』で放映されておりましたが、遊佐町沿岸部で獲れた牡蠣(かき)などは思わず笑ってしまうほど巨大でした。
 牡蠣と言えば海のミルクと呼ばれるほど栄養豊富で、とにかくミネラルがずば抜けて多いわけですから、まさに鳥海山の伏流水の賜物ということでしょう。
 その番組で紹介された海岸に行けば、そちらこちらでこの伏流水も実感できます。
 テレビ放映の直後、家族連れが楽しむその海岸――海水浴場――を私はネクタイを締めた不調和かつ暑苦し恰好で訪れたのですが、私の存在に違和感を覚えたのか海水浴場の監視をしていた青年が近寄ってきました。彼は私を学者か変態のいずれかと思ったのかも知れません。聞けば、テレビの影響で私のような輩がちょくちょく現れるんだとか。
 さて、砂浜のところどころにはポコポコと水が湧き出ております。それを見ていると私はしばしとてつもなく大きいスケール感に吸い込まれていくような思いに囚われました。この水は、そこからゆうに10キロは離れている鳥海山から地下をはるばる流れてきたものなのです。つまり、この湧出口から鳥海山まで地下でつながっているのです。
 ここはどのくらい深いのだろうか・・・。まるで底なし沼でも覗き見るような思いで私は佇んでおりました。
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 そのとき、元気な少年が私の方に駆け寄り、なんのためらいもなくその湧水にバシャバシャと突っ込みました。

あ!

 思わず背筋がぞっとしました。

 (そこは危ない!)

 そう言いかけましたが、どうやら心配には及ばなかったようです。湧水部分の深さはせいぜい少年の腰あたりまでだったようです。
 ネイティブ&ワイルドな庄内少年には大変失礼な心配だったのかもしれません。
 私はつい調子に乗ってしまいました。

「君、今のすごく面白かったからもう一度向こうから走ってきてやってくれまいか」

「いいよ」

 交渉成立。
 少年は一度その場を離れ、もう一度こちらに勢いよく駆け出しました。

 ついにやらせ画像を撮影してしまった・・・・。
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庄内少年よありがとう。

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