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東北地方から日本史を眺めていきます。

トビの一族

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 隠蔽された日本史と東北地方を結びつけるキーワードをトビの語感から探ります。
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津軽(つがる)――。
 何故か哀愁を感じさせるこの響きは、演歌にも数多く使われる歌枕(?)です。
 「津軽平野」、「津軽恋女」、「津軽海峡冬景色」・・・なんと言いますか、懐かしい東北人の原風景のようなものを掻きたてられるような歌ばかりです。
 タイトルにその名が見られずとも、忘れてはならない津軽の歌に「りんご追分」があります。あの、良い意味での泥臭いイントロと、あたかも民謡のようなゆったりとした独特の節まわし、セリフ部分はともかく、基本的に歌詞は言葉少なで、母思いの津軽娘の涙のわけに下世話に深入りすることもなく風景の描写に徹し、聞き手には自由にその物語を想像させ、それがまた絶妙な酸味を効かせております。そして、それを歌い上げる美空ひばりさんの抜群の歌唱力との組み合わせは、まさにこの人のこの節まわしあってのあの歌詞といったような、実に見事に完成された芸術品と呼べるのではないでしょうか。
 岩木(いわき)山の麓に広がる津軽平野は、国内で圧倒的シェアを誇るりんごの一大産地です。青森りんごの代名詞とも言えるブランドに「ふじ」がありますが、これは青森県南津軽郡の「藤崎(ふじさき)町」の「藤(ふじ)」に因むといいます。
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 さて、私が本文にここを取り上げるということは、当然、この地にも見逃せない歴史が隠れていると思っていただいて差し支えありません。この地は安倍貞任のDNAが、後に“日ノ本将軍”と呼ばれる安東氏として生まれ変わった地でもあるのです。
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と、申しますか、私はそれが隠れた歴史という認識はなかったのですが、今回とりあげるにあたって同町のHPを開いてみて唖然としたのでした。私の視点では十分アピールしてもいい郷土の歴史と思っていたのですが、探した限りでは見当たりません。もしかしたらこれも『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』ショックなのでしょうか。日ノ本将軍という言葉を語ることにためらいがあるのでしょうか。意味はどうあれ、そう呼ばれていたことは間違いなく事実なのに・・・。
 この偽書ショックは根深いものがありました。
 なにしろ、今となっては一個人の偽作が確実視されている文書ですが、かつては「市浦(しうら)村――現在は五所川原市に合併――」が、公(おおやけ)の「村史」上で正式に取り上げてしまい、さんざん世間に物議をかもし出した上、結局「偽書」であったことが判明したからです。
 内容は実に東北人の夢を掻きたてるものでした。
 簡単に言えば、津軽の地にヤマト以上の古代文明国家が存在していたというモノです。この国家ではアラハバキなる神が崇敬されていたというので、一名に「アラハバキ族」とも表現されておりました。
 もちろん、これは世に悪影響を及ぼす有害な偽書であったことは認めるところですが、私が腹ただしいのは、この事件をきっかけにアラハバキそのものについても、それを取り上げた途端に、あたかも論考全てがインチキ扱いされがちな風潮と、あきらかに実在している神祀りにもかかわらず、まるで架空の神のような、そんな極端すぎるリバウンドを起こしてしまっていることです。そしてなにより、当の津軽人が自ら自粛して“誇り”を失いつつあるのではないか、という懸念です。
 自信を失いつつある津軽人の素晴らしい歴史を讃えて、私はあえて断言します。『東日流外三郡誌』の当否は別として、津軽には間違いなく誇れる歴史が存在しておりました。断言がまずいと言うなら、少なくともその可能性は大きいはず、と言っておきます。是非地元の皆様には積極的に調査研究を洗い直して、リベンジを果たして欲しいと念願します。

津軽平野のシンボル「岩木山」
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敗者の信仰の悲しい性

 大阪府東大阪市「石切劔箭(いしきりつるぎや)神社」の参拝を済ませ、小腹がすいたので、早朝にもかかわらず開店していた門前町の喫茶店にこれ幸いと立ち寄りました。
 コーヒーを飲みながらトーストをほおばり、境内からいただいてきた『石切劔箭神社 参詣のしおり』を眺め、いろいろ思考をめぐらせました。
 しおりをよく見ると、商店街の坂道を登りきったあたりに「石切劔箭神社 上之社」「登美霊社」や、「石切祖霊殿」なるものを見つけました。
 祭神は、上之社は「饒速日(にぎはやひ)と可美真手(うましまで)」で、登美霊社が「三炊屋姫(みかしきやひめ)」つまり長髄彦の妹のトミヤビメ、そして祖霊殿については「石切大神」と書かれております。
 気になるのはその石切大神なる神様です。上之社と登美霊社の顔ぶれの家族関係は、前者が夫と息子、後者が妻です。では、残る一つ、祖霊殿の石切大神とは何者なのでしょうか。やはり、前に述べた新藤治さんの仮説どおり、妻の兄「長髄彦」なのでしょうか。
 そう考え始めると居ても立ってもいられなくなり、湯気の消えかけたコーヒーを一気に飲み干し、祖霊殿に向かいました。
 到着すると、予想を激しく裏切る禍々しさがありました。こここそ“いわゆる新興宗教の教団”っぽい雰囲気がありました。
 このときふと、歴史上の敗者の信仰ほど、なまじ隠密に祀られてきた分だけ執念が強く、新興宗教の教団にも発展しやすいのではないか、と頭をよぎりました。
 また、その延長線で、どうしても反体制、一歩間違うと反社会性に、限りなく紙一重な部分を宿命的に内包する傾向もあり、その教義なり理念なりは、ごくごく稀とは言え、悪意を持った詐欺的宗教者の理論武装にも利用され易いのではないか、と懸念しました――別にこの祖霊殿がそうだと言うわけではありません――。そのような行為は、代々由緒ある信仰を受け継いできた方々の尊厳を踏みにじるもので、本当にやめてもらいたいものです。
 さて、せっかくここまで足をのばしたので上之社と登美霊社も参拝しました。
 登美霊社は、上之社とほぼ同じ境内にあるにも関わらず、別個に独立した参拝のしおりが存在しておりました。特別な扱いなのでしょうか。そのしおりをありがたく頂戴して目をとおしてみると、
「〜略〜 三炊屋媛は、古代に生駒山麓から奈良盆地にかけて勢力を誇っていた一族の長、長髄彦の御妹にあたられ、〜略〜 大和建国の大任を受けて天の磐船に乗り、哮ヶ峰(たけるがみね)(現生駒山)に天降られた饒速日尊と、兄である長髄彦の仲を、その大いなる慈愛の心によって取り持たれ、国造りに大きな功績をあげられました。」
と書いてありました。

登美霊社――説明板のみは過去二度ほど画像掲載しました――
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 このあたり一帯は、神武天皇が長髄彦に惨敗したとされるエリアでもあります。その地に饒速日ご一家を祀る、延喜式にも記載された由緒ある神社が鎮座しているというのは感慨深いものがあります。

 とりとめもなく、この神社の風景のようなものに触れてみましたが、新藤治さんの語るところで記憶にとどめておきたいのは、長髄彦の名前そのままでは到底『延喜式神名帳』への記載が叶わなかったであろうという考え方です。
 つまり饒速日よりも更にタブーだということなのでしょうか。
 大阪府東大阪市東石切町に「石切劔箭(いしきりつるぎや)神社」という神社があります。ここは、「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」とその御子「可美真手命(うましまでのみこと)」の二柱を祭神とする延喜式式内社の神社です。
 数年前にここを訪れた時、私は大阪市内のビジネスホテルに宿をとっておりましたので、とにかく渋滞にはまらないようにと朝早くに出発しました。
 レンタカーのカーナビと持参の地図をたよりになんとか到着すると、門前町の予想以上の発展に驚きました。氏子の崇敬がよほど篤いように思えます。
 参道にも朝早くから、まるでお祭りでもあるのかと思われるほど露店が並んでおりましたが、面白いのは金物屋さんの露店まであったことです。それも、玩具の針金細工を扱っているというような文字通りの子供だましのレベルではありません。それなりにまっとうな金物屋さんといった風情の商品構成でした。主祭神の饒速日は製鉄氏族となんらかの関係が想像されるわけですが、その縁なのでしょうか。
 また、朝早いというのに参拝者が三々五々集まってきて、なんとお百度参りをしておりました。根強い信仰心の篤さを実感せざるを得ません。
 正直なところ、半ば新興宗教に近いものも感じました。
 念のために申しあげておけば、私は必ずしも新興宗教を全て怪しいものだとは考えておりません。ただ私の性にはあまり合いませんが。
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ところで、ここを訪れようと思ったのは、以下のHPに次のような興味深い説が紹介されていたからです。

――引用――
新藤治氏の講演(埋蔵文化財センター11/27)によると
「いしきり」という言葉は、縄文時代より先住人としてこの地に住んでいた長髄彦が、神武天皇大和征服に逆らった朝敵、逆賊(日本書紀)として扱われている。この悲劇の英雄長髄彦を祭神とする為に、アイヌ語の音に漢字の石切を宛て、朝廷よりの奉幣を受け式内社に列した。
延喜式神名帖に載せてもらうため、長髄彦と堂々と名乗れず「石切」となり、真の祭神とし復権を果たしたという

 出雲神族直系であるという富當雄(とみまさお)さんが語る系譜に、少々違和感を覚える部分がなくもありません。

 例えば、「トミノ長髄彦(ながすねひこ)」の場合、トミが最初に来てあたかも姓――ファミリーネーム――を思わせるのに対し、「建御名方(たけみなかた)トミ」、あるいは「伊雑(いさわ)トミノ命」などの場合、トミは末尾についております。これらはファーストネーム、あるいは、本来職制なりを表す「臣・使主(おみ)」だったのではないでしょうか。
 例えば、「神功(じんぐう)皇后」や「允恭(いんぎょう)天皇」の重臣として、実に微妙な活躍(笑)をした「烏賊津使主・伊賀津臣(いかつおみ)――あるいは中臣烏賊津連・中臣氏の祖とも言う――」は、モノによっては時折「イカトミ」と表現されております。そもそも「中臣(なかとみ)」自体も「ナカツオミ」だったのではないでしょうか。
 意固地なようで恐縮ですが、ひょっとしたら、富さんのご先祖様は、事実トミの系譜だったとして、元からというのではなく過去いずれかの段階で、最も共感できる反骨のブランド“出雲神族――竜蛇族――”の系譜を引き継いだ、ということはなかったのでしょうか。
 もちろん、その場合でも元々役職名だったものを長髄彦なりトミノ宿禰――ノミノ宿禰――なり、富さんのご先祖がそれを姓として引き継いだことも考えられますので、必ずしもトミの意味がトーテムとは関係なくなりますが・・・。

 その一方で、神武軍に最後まで抵抗した長髄彦のキャラクターは、実は主君饒速日(にぎはやひ)自身がモデルであったのでは、という考えもあります。
 記紀の記述を考古学成果から裏付けようと試みる『日本神話の考古学(朝日新聞社)』の森浩一さんは、神武軍が戦っていた相手は饒速日だったのではないか、と興味深い投げかけしております。
 その場合、饒速日がトビ族でなければあてはまりません。
 しかし、それは十分あり得るのです。金鵄登場の後、長髄彦は次のようなことを言います――宇治谷孟『全現代語訳 日本書紀 (講談社学術文庫)』より――。

「昔、天神の御子が、天磐船に乗って天降られました。櫛玉饒速日命といいます。この人が私の妹の三炊屋媛を娶って子ができました。名を可美真手命(うましまでのみこと)といいます。それで手前は饒速日命を君として仕えています。一体天神の子は二人おられるのですか。どうしてまた天神の子と名乗って、人の土地を奪おうとするのですか。手前が思うにそれは偽物でしょう」

 何度見ても正当な抗議ですが、それに対し神武は長髄彦に、主君が天神である証拠の提示を求めます。
そしてお互いに提示しあったものは「天羽羽矢(あまのははや)」と「歩靱(かちゆき)」でした。羽羽矢とは蛇の呪力を負った矢のことを言うようですが、その漢字の使い方から鳥を想像させなくもありません――矢羽だから当然か?――。
 いずれ、長髄彦が提示したものについても神武は本物と認めました。双方本物を持っていたということです。
 つまり、ここで“饒速日と神武が同族であった”ことがわかります。
 ということは、天孫族のトーテムが鳥であったならば、それは饒速日にもあてはまるわけで、饒速日が天降ったことで「鵄(とび)邑――鳥部邑?――」という地名が生まれ、そこの豪族が長髄彦だったのかもしれません。それで長髄彦は神武が侵略してきたとき既に鵄邑の長髄彦だったのかもしれません。
 その考え方の延長でいけば、実際神武軍と戦っていたのが長髄彦軍だとしても、長髄彦軍が戦意喪失したのは、神武軍が矢の先でちらつかせたトビが、主君饒速日のトーテムであったから、と考えることも出来そうです。まさに、幕末の「錦の御旗」と同じ図式です。
 現段階では一旦そうまとめておくのが一番自然なのかな、と思っております。
 ちなみに、富家の伝承には長髄彦の妹、トミヤビメは登場するものの、その夫と言われる饒速日は登場しないそうです。

トビへのこだわり

 以前、宮城県南の根強い白鳥信仰に触れた話題を覚えていらっしゃるでしょうか。私は次のような話を書きました。

「戊辰戦争の頃の仙台藩主伊達慶邦(だてよしくに)においては、白石の百姓が一揆を起しても心配ないとうそぶいていたそうです。それは槍の代わりに竹の先に白鳥の羽をぶらさげて、それを突き出してやれば白石の百姓達はいかなるものでも震え上がるからだというのです」
http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/7106953.html

 そうです。
 お気付きのとおり、私は、後に金鵄の瑞兆に例えられた神武天皇の戦術もそれではなかったか、と考えていたのです。
 迷いながらも、いまだにそう思っております。
 現実として、一度壊滅状態まで追い込まれ、その後もなかなか勝てないでいる屈強な軍勢に、突如逆転勝利せしめる戦術とは、他に一体どんなものが考えられるでしょうか。
 しいてあげれば、後世の関ヶ原の合戦の徳川家康の戦略のように、予め多くの敵方を懐柔していたことは考えられます。
 しかし、まだその頃の神武軍のバックグラウンドは脆弱と思われ、関ヶ原時点の家康のように、相手に寝返りを促せるほど信頼に足るものとは思えません。
 少し横道にそれますが、関ヶ原における陣形だけで見れば、実は家康の勝算はほとんどなかったと言われております。
 家康が勝てたのは、予め敵方も含めた念入りな懐柔戦略が功を奏し、敵陣営を内部から切り崩せたからです。とは言え、それを実現するには、懐柔する担保が必要です。
 小和田哲男さんの言葉を借りれば

「恩賞の約束などというのは手形みたいなものである。その場合、二四〇万石の資本力の家康から振り出される手形と、一九万四〇〇〇石の資本力の三成から振り出される手形では、圧倒的に家康の手形の方が信頼性が高い」

ということになります。
 果たして、神武側にそのような担保力があったでしょうか。
 おそらく神武天皇は九州に繁栄していたなんらかの国家の王家や主力どころか、正規軍ですらなく、アウトロー的傍流と考えられます。
 何故なら、第一に、よほど追い詰められていた事情が無い限り、“本国の君主”が本拠を留守にして一気に移動して攻めてくることは考えられないからです。
 第二に、仮に追い詰められた国家が背景だったとしたら、敵を寝返らせる担保力としてあまりに心もとなく、“手形”は即“不良債権”になりかねません。
 第三に、もし、有力な国家の“正規軍の尖兵隊”であれば、緒戦の敗退後、本国からの援軍を仰ぐなりの作戦をとったはずです。惨敗時と同じメンバー、しかも数も減ってしまったメンバーで挑んだところで、返り討ちに遭うのは目に見えております。なにしろ司令官と思しき人物――五瀬命――が戦死してしまうほどの大敗退にもかかわらず、『日本書紀』を見ている限り、神武が本国に援軍を派遣しているような様子は微塵も見られません。神武軍は独自の意思で熊野を迂回して反撃に出たとしか思えません。もしかしたら帰る場所がなかったのではないでしょうか。
 したがって、少なくとも地元の豪族を懐柔して飛躍的に軍事力を補強できたとは、現実的視点として考えられないのです。味方につけることが出来たのは、せいぜい長髄彦を良かれと思わない少数派の反乱分子程度のものかと思います。
 そうなると、弱者が強者に必勝するための戦法としては、相手の不意を突く奇襲戦法以外に取る道はないと思われます。ただしその場合、最初の勢いで勝てずに長引いた場合には、二度と勝つ見込みはなくなります。
 『日本書紀』の記述を見ている限り、頂上決戦は長引いたフシがあり、最初の勢いでは勝てておりません。
 とすれば、やはり私は、神武天皇は最後の手段として、“鵄(とび)”――もしくは“鵄の羽”――を自軍の槍の先にぶらさげて長髄彦と対峙したのではないか、と思うのです。
 それであれば、屈強で終始優勢だった長髄彦軍が、金鵄の出現をきっかけに突如戦意喪失したという『日本書紀』の記述にも、合理的かつ現実的な解釈ができると思うのです。
 「そんな馬鹿な」と思うかもしれませんが、古代の戦争であれば、こういうことは十分起こりえます。
 近世以降であっても、例えば幕末に、少なくとも薩長軍と対等以上の戦力だったはずの幕府軍が、いとも簡単に戦意喪失して敗走したのは、「錦の御旗」を掲げられたからでした。
 また、隠れキリシタン狩りに功を奏したのは、他でもない「踏み絵」でした。
 日本人は、自分の信奉するもののイメージに対し、それが例え単なるモノであったとしても、なにかしらの臨在感を感じとってしまう民族なのです。
 これを思いついたとき、私は自分のひらめきを褒めてやりたくなりました(笑)。
 しかし、それは、相手が「“鵄”の長髄彦」、すなわち長髄彦のトーテムが鵄であればこそあてはまる仮説なのです。
 なのに、末裔の方に「われわれは竜蛇族だ」と言われてしまうと・・・。

 そのあたりについて、引き続き考えてみたいと思います。

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