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歴史というものを勉強する以前、私は、というか、みんなもそうであると思うが、たくさんの昔話や物語を聞かせてもらったり、読んだりした。
なぜか幸せになる話しのなかには、裕福に暮らせたということが、当然のことのようにプラスαとして付いてくるのである。そして、それが当たり前だと思っていた。ところが、日本昔話の中には貧しくても幸せに暮らせたという話しが、気のせいか多い様な気がする。貧しくてもいいの?と当時は思ったものである。
日本では、一番上の階級とされる武士が、けっして一番裕福ではない、それどころか農民よりも貧しかった人もたくさんいただろう。
これは世界的に見ても珍しいことだと思う。権力には金銭がつき物であり、勝ちあがったものは当然のごとくに賞金を手にすることができるのが世界の常識である。
ところが日本はどうであろうか。武士社会以前はともかく、武士社会の時代に入り、必ずしもそれが当てはまらない。
でも、武士は一番偉い階級であるから、たくさんお金を持っている商人たちからさえも、ある意味尊敬をされていたと思う。
それで今の日本はどうだろうか?
なんか世界の常識に近づきつつあり、偉い人イコールお金持ち、というのがだいぶ多くなってしまった様な気がしてならない。
いや、別にそのことを否定しているわけではないが、
幸せがイコールお金になることが、将来の日本をダメにしてしまうのではないかと危惧しているだけである。
もちろんある程度のお金は必要だし、そのための努力も必要だ。
でも、本当の日本のよさはお金よりも、どれだけ幸せに暮らせるか、そこに本質があるような気がしてならない。具体的には家族を大切にすること。仲間を大切にすること。そのための思いやりの精神。勝負事でも勝利者は敗者を思う気持ちを忘れないこと。などなどである。柔道や剣道などのスポーツで勝ってもけっして相手のことを思いやり、ガッツポーズなどをしないことが当たり前だと教えられてきた。(今はそうでもないが。)敗者への思いやりを持つことで、それは自分自身の誇りとなり、それが人生における幸せとなるのだと思う。
そんなんじゃ、世界から取り残されるよ!、いつまでたってもバカにされるだけだよ!と思う意見もあると思うが、日本がそういう精神的な伝統文化を持ち続けることで、ある意味世界から尊敬される国であり続けることはできると私は考えている。
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階級社会と富に関する歴史の話には、そぐわないかもしれないが、ふと思い出したことがある。文豪吉川英治は、その小説「大岡越前」の中で、主人公にこう言わせている。「他の者の幸福の中に、幸福を見出すのでなければ、完全なそして長い人生の果てまでの幸福にはならない」。生命には、自分のことだけを尊ぶ独善の傾向がある。自分以外の全てを手段として利用しようとするこの傾向性を仏法では「他化自在天」と名づけている。豊かな人生を生きようとするのであれば、他者への畏敬の念が重要だ、と教えられました。何気なく見かける「囍」という中国の漢字は面白い。
2008/3/17(月) 午後 0:17 [ k_k*f*ne*003 ]