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日本の良さ

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助け合い、協力、感謝

浜通りは壊滅的な被害を受けているが、それでもなるべく平常通りに行動しようとする人々がほとんどである。

私の住む地区は、線路の下が津波により壊滅状態であるが、それから100m内陸に入ったところにスーパーがあり、まだ停電であったときにその入口にたくさんの人が並んでいた。一人ひとり入れて、入口のところにワゴンを置き、買い物をさせていた。誰一人文句を言わずに並んでいるところが、考えてみればすごいと思う。ガソリンスタンドも然りである。ずっと並んでいるにもかかわらず、横入りなど絶対にしない。信号が消えていた時も、お互い譲り合って運転していた。

外国人から見れば不思議な人々であるかもしれないが、こんな今日大地震の時だからこそ、お互い協力したり、我慢したり、助け合ったり、とても素晴らしいことだと思う。

といっても、私たち日本人にとってはごくごく当たり前のことかもしれない。

学校でも、私は先に帰宅させてもらい、しかも次の日(土曜日)は休ませてもらったが、若い先生や管理職などは寝ずに避難してきた人々のお世話をしていたとか。
日曜日の朝に学校へ行ってみると、寝不足の先生たちがいて、私はとても申し訳なく思ったが、彼らから出てきた言葉が、

「できる人がやれるときにやればいいんだから。」
「みんな協力しているから、その多さは関係ない。」

私もついつい、自然に返答の言葉を発していた。

「帰ってください。私がこれから学校待機して対応しますから。休んで!」

感謝の気持ちで、普段から生活することの大切さを、身にしみて感じることができた。

この気持ちを忘れないことが大切である。

香港はよかった

久しぶりの香港で、旅行というよりも、里帰りという感じで、なんとも感慨深い感じであった。

日本に戻り、もちろんいろいろな面で日本の便利さや良さを感じるわけであるが、
もう少し日本も柔軟に行けるところもあるのではないかと思うところもある。

それにしても、香港に着くなり、人ごみでぶつかりそうになりながら歩いても、電車の中での降りる前に乗られてきても、まったく腹が立たなかった。電車などで騒がれたりしてもである。

日本に戻ってきた途端、うるさいのが気になる。車の運転の仕方が気になる。

そんな感じである。

やっぱり私は日本人だなあ!

歴史というものを勉強する以前、私は、というか、みんなもそうであると思うが、たくさんの昔話や物語を聞かせてもらったり、読んだりした。

なぜか幸せになる話しのなかには、裕福に暮らせたということが、当然のことのようにプラスαとして付いてくるのである。そして、それが当たり前だと思っていた。ところが、日本昔話の中には貧しくても幸せに暮らせたという話しが、気のせいか多い様な気がする。貧しくてもいいの?と当時は思ったものである。

日本では、一番上の階級とされる武士が、けっして一番裕福ではない、それどころか農民よりも貧しかった人もたくさんいただろう。
これは世界的に見ても珍しいことだと思う。権力には金銭がつき物であり、勝ちあがったものは当然のごとくに賞金を手にすることができるのが世界の常識である。
ところが日本はどうであろうか。武士社会以前はともかく、武士社会の時代に入り、必ずしもそれが当てはまらない。

でも、武士は一番偉い階級であるから、たくさんお金を持っている商人たちからさえも、ある意味尊敬をされていたと思う。

それで今の日本はどうだろうか?
なんか世界の常識に近づきつつあり、偉い人イコールお金持ち、というのがだいぶ多くなってしまった様な気がしてならない。
いや、別にそのことを否定しているわけではないが、
幸せがイコールお金になることが、将来の日本をダメにしてしまうのではないかと危惧しているだけである。

もちろんある程度のお金は必要だし、そのための努力も必要だ。

でも、本当の日本のよさはお金よりも、どれだけ幸せに暮らせるか、そこに本質があるような気がしてならない。具体的には家族を大切にすること。仲間を大切にすること。そのための思いやりの精神。勝負事でも勝利者は敗者を思う気持ちを忘れないこと。などなどである。柔道や剣道などのスポーツで勝ってもけっして相手のことを思いやり、ガッツポーズなどをしないことが当たり前だと教えられてきた。(今はそうでもないが。)敗者への思いやりを持つことで、それは自分自身の誇りとなり、それが人生における幸せとなるのだと思う。

そんなんじゃ、世界から取り残されるよ!、いつまでたってもバカにされるだけだよ!と思う意見もあると思うが、日本がそういう精神的な伝統文化を持ち続けることで、ある意味世界から尊敬される国であり続けることはできると私は考えている。

四季

香港にいると、あまり四季を感じることはない。
さすがに11月も末になってくると、香港も寒さを感じるようになるが、それでも、街を歩く人を見れば、半袖の人もいる。(特に西洋人)
という私も、家にいるときは半袖に、しかも短パン姿である。

今年は故郷の青森も11月ですでに大雪に見舞われているようで、今年は大雪の年なのだろうかと心配にもなる。でも、ここ最近では、早めに大雪になると、後半はあまり雪が多くないという傾向もある。
雪が降るくらいだから、もう氷点下の世界なんだなあ!と思えば、香港にいる幸せを感じざるをえないのである。

しかし、季節を感じることが出来ないのも、ある意味、不幸かもしれないと思うこともある。

日本人は四季を感じることで、様々な文化を発展させてきたと思う。
そして四季に対しての芸術的な趣を、世界のどこの地域にも負けないくらいのものを持っている。

雪はそこに住む人にとってやっかいなものである。でも、真っ白になった街を見ていると何か感じるものがあるのも確かである。雪にもいろいろある。(演歌の世界ではないが。)様々な雪を見ていると、優しさを感じるときもあるし、ものすごい厳しさを感じるときもある。

冬のイメージは閉じ込められているという、ネガティブなイメージもある。だからこそ、春になると桜が咲き、多くの草花や木々がだんだん緑になっていくと、開放された気分になる。

香港生活で、ほとんどが夏の格好をしている私であるが、日本に帰るとその季節によって服装を変える。(当たり前のことだが。)それは楽しみでもある。

美しい言葉

DVDで「ライオン先生」なる日本のドラマを見て思った。
こういう先生が理想だという、作り手の意図もあるだろうが、マスコミも含めてメディアの影響はとても大きい。

一生懸命に頑張っている先生を描いていること自体については、それはすばらしいことだと思う。
でも生徒の描き方はどうなんだろうかと思う。

ドラマは時として社会に大きな影響を及ぼす。それを考えると、生徒たちの表現の仕方などをもう少しドラマの作り手は考えるべきだと、私は個人的に思っている。

たとえ相手が学校の先生であろうと、初対面の相手に、10代の若い人たちが、乱暴な言葉遣いや態度をしてもいいのだろうか、それを黙って受け止めている大人がいていいのだろうか。

日本には目上の者や年下に対する、美しい言葉の表現がたくさんある。そしてそれは人間関係を円滑にする表現だとも、私は思っている。
丁寧な言葉などはいらない!年齢も関係ない!それでこそ本当の人間関係を表現できる!と思う人もいるかもしれない。果たしてそうだろうか。自己表現が強くなればなるほど、勝ち負けの世界になり、和の世界が崩れてくるような気がしてならない。もっともある程度の自己表現能力は必要だが。
聖徳太子だって言っている。和をもって尊しなし、と。
そして日本のものは和物なのである。

もしかしたらそうした根本的なものから教育を作り直していかなければ、これから先、美しい言葉が失われていくようで、私はちょっと怖い様な気がする。
言葉遣い一つとっても、品格を持たせるような教育をしていかなければならないだろう。と思うのである。

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