人生これからです!

今年もマラソンやドラゴンボートを頑張るぞ!!!

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左腕が!!!

先週末から、ちょっと左腕に違和感を覚えていたが、山歩きをした日曜日にかなり痛み出し、月曜日は、少しでも動かすものなら、強い痛みが走った。

昨年もこのようなことがあった。

原因を考えるといろいろあるが、木曜日の筋トレでちょっと無理しすぎた?金曜日に大量の買い物をして、それを持ち運んでいた?そして肩をぶつけられた?ドラゴンボートはまず考えられない。ボートの練習に行くときにはすでに痛くなっていた。

そして昨日病院に行ってきた。

診断によると、筋肉の使いすぎであり、テニス肘のような症状だそうだ。

やはり夏休み期間中の運動量が減ったことと、木曜日の筋トレに無理したのが一番の原因のようである。そして夏休みサボっていた買出しも、久しぶりに重いものを持って、筋肉がびっくりしたのだと思う。

現在の状態であるが、病院に行き、リハビリもさせてもらった。ジェルのようなものを超音波(?)のような機械で塗り、その後に針を刺して、電気を流してもらった。ちょっと緊張したが、やった後ものすごく良くなっているのに気付いた。そして現在は割りと自由に左腕を動かすことができる。ちょっと痛みはあるが。

当分は腕を使った運動は控えたほうがいいのかもしれない。そのあとは徐々に腕の筋力とつけるトレーニングをしていこうと考えれている。(ただしドラゴンボートはやる!!)買い物は大量に買い過ぎないように、少しずつ毎日でも買い物したり、重いものはちょっと離れたスーパーまで行って帰りはタクシーにするとか、フラットのシャトルバスを利用するとか、休み休み持ち運ぶとか、気をつけたいと思っている。


やはり年齢には勝てないのだろう。無理しすぎるとどこかに異常が来る。そして何よりも計画的な継続的な運動が必要なことがわかる。そして急にペースを上げることは絶対に禁物である。最初は軽く、徐々にペースを上げることが必要だと感じるのである。

伯母の死

昨日、父親からメールがあった。27日に伯母がなくなったとのこと。
事前に、母親からの電話で、末期の癌であり、そう長くはないことを聞いていた。
母方の伯母である。そして早すぎる死である。まだ70歳になったかならないくらいであった。

私の記憶では、物心ついた頃に伯母は箱根に住んでおり按摩さんをしていたと思う。一時期八戸に戻ってきていて、時々母に連れられて遊びに行ったが、しばらくしてまたどこか遠くに引越しした。名古屋かその周辺だったと思う。そして京都に移り住んだ。京都では按摩さんとしてだけでなく責任者として働いていたと思う。その頃出会った人と一緒に経営していたのではないかと思うが、母親からは詳しい話を聞いたことがない。ただ籍は入れていなかったが、夫婦のようにして、一緒に生活しながら仕事をしながら、やっと自分の場所を見つけて、有意義な人生を送っていたのではないかと思う。

エピソードをいくつか。

大学時代に京都へ遊びに行った。事務所兼仮眠所みたいな場所に泊まった記憶がある。昼は一人で観光したり、伯母にどこかへ連れて行ってもらった。そして夜は按摩さん仲間と楽しく話しをしたりした。そして電話が鳴る。どこどこのホテルへ行ってくれと。誰が行くか決めて、次々といなくなる。最後は私と伯母だけになり、伯母も、じゃそろそろ帰るから、また明日ね、と言ってどこかへ行って、私は一人で事務所に泊まった。伯母が按摩さんになったのはどうしてだろうと考えた。極度の近視というのも関係あるのかもしれない。

結婚したばかりの頃、女房と京都に行き、伯母に世話になった。さすがに事務所に泊まるのは気が引けるので、ホテルに泊まったが、晩ご飯などご馳走してもらった。何を食べたか記憶してないが、ちょっと高価なものだった記憶がある。寿司だったか、高級焼肉だったか、

最後にあったのは、いとこの結婚式で東京のどこかのホテル。もう5年くらい、いやそれ以上前だったかもしれない。伯母もけっこう年取ったなあ、と私は見ていたが、まさかあれが最期の出会いになるとは思わなかった。

最期にもう一つ、私はあまり記憶してないが、小学校に上がる前に、伯母に十和田湖へ連れて行ってもらったときがある。そのとき、伯母が、「好きなものなんでも買ってあげる。」とか何とか私に言って、「私が、伯母ちゃん、お金大丈夫?」と答えたそうである。伯母は母親に、「あんたの子は変わっている。」と言ったそうである。「どういう教育してんだ!」ということであろう。子どもの癖に、妙に遠慮したり、気を遣ったりしている、もっとのびのびさせろ!という意味だったのかもしれない。でも、数年たって、その話しを母親から聞かされた時に、「お前は小さいときから変わっていた。」でその話しは終わった。大学時代、結婚後に伯母のところへ尋ねたときにも少々遠慮したかもしれない。身内なのに。


葬儀はごくごく身内だけでやるとのことだったので、事前に、「無理して日本に戻ることはない。」と、母親には言われていた。半年後、日本帰国の際に訪ねていけばいいと言われていた。余命数ヶ月でも、半年後尋ねて行ったらまだ生きていたりして、と笑って母親と話しをしていたが、それから1週間くらいで、伯母は還らぬ人となった。来年の3月、日本帰国後にそのまま京都まで向かい、仏壇に線香を上げてから、青森まで帰ろうと思っている。

「予知夢」

今読んでいる、東野圭吾の小説である。
その前に読んだ本は同じ東野圭吾の「探偵ガリレオ」である。

日本でドラマ化されるそうで、探偵ガリレオ役を福山雅治がやるそうだ。

小説の内容の話しではない。予知夢という言葉の話である。

私も最近、予知夢ならぬ、半年後からその先の夢を見るのである。
日本帰国のために、香港国際空港にいる夢から始まり、成田空港に到着した夢、いよいよ現場復帰になって職員紹介されている夢、復帰してから一月くらい経ち、バリバリ働いている夢、続き物である。そして最近見た夢は、現場復帰して半年くらいを経過していた。
そして夢から覚めるとほっとするのである。まだ香港にいる!!

まだまだ香港で暮らしたいという気持ちが、そういう夢を見させるのであろうが、現実になってはちょっと困るところもある。なぜかというと、夢の中では前の学校に戻っているからである。前の学校のほうがシステムなんかもわかりいいだろうと思われる人もいるだろうが、長年の希望であった生まれた場所での生活が、今度は退職まで帰れなくなる可能性がある。同じ青森県でも車で2時間も離れた場所だから、おいそれとは帰れない。

予知夢にならないことを祈っている。

何もしたくない

たまにこうなる。

日本人の数人に1人の割合で、鬱の傾向があると言われている。

うつ病と自覚し、または周囲からの勧めで通院をする人はほんの一握りで、忙しい仕事や生活で、うつ状態がいつの間にか改善されて、また普段どおりに生活している人は、かなりの数にのぼるという。でも、うつ病の潜在は無くなったわけではない。

私は数年前に、何度か心療内科に通ったことがある。仕事上のストレスである。子供との対応も、家庭との対応も、どんなに苦しくても乗り越えてきたのであるが、40歳近くになり、いわゆる中間管理職的な仕事を任され、上からと下からの攻撃にほぼ毎日苦しんでいた。時々理解ある同僚から、「あんたは怒られ役だね。気の毒だと思う。」と言われたときもあった。
でも、それは気休めにしかならなかった。そういう状態が3年も続くと、学校に行きたくないという気持ちが出てくる。朝に体調が悪くなるのである。これが不登校の生徒の気持ちか、と思った。
そして何度か病院に通った。通いながらも、なんとか最後(3月)まで仕事をした。

私よりも20代の若い教師がかなり攻撃を受けていたときがあったので、私は彼を守ってやらないと、と思っていた。彼にはかなり感謝されたが、私と一緒に退職と転勤した後も、つかえない奴などと思われて、仕事上でのいじめを受けていなければいいなと心配している。

香港にきてからはもちろん仕事上のストレスなんて無い。うつ病傾向のある人は何もしないことが一番いいのだそうだ。だからはここ2年半はかなり落ち着いている。
ただ、何かしらのきっかけでちょっと落ち込んでしまい事もある。半年後の仕事復帰が心配になったのだろうか、それは私にはわからない。原因として一番近いのは、私の役割は何なんだろうかと思っただけである。香港に来て無職であること、社会的地位が無いことへの気持ちだろう。妻は変なプライドを捨てようと私に言ってくれる。あまり気張りすぎて生活をするのもよくないし、だらだらしすぎるのもよくない。毎日何かしらの達成しやすい目標を持ちながら生活をこれからもしていきたいものだ。

ちょっと3日くらい何もしたくない時間があったが、妻にも迷惑をかけたが、頑張りすぎないように、これからも香港生活を楽しんでいきたい。

でも、

仕事はいずれしなければならない。私たちの仕事の一つは、人と人の輪を考えることである。どんな職場(学校)が待っているかわからないが、これだけは絶対に譲れない。毎日笑って生活してやるぞ。

実は昨日の夜の試合予定だったが、台風の影響もあり、今日の午後の延期されたのである。

私にとってラッキーだったのか、それともアンラッキーだったのかわからない。

というのも、実は昨晩は風邪を引いて寝込んでいた。そして今日になり調子がよくなったのである。だから昨日試合をしていたらサッカーの試合を見に行けなかっただろう。

じゃなぜアンラッキーかというと、サッカーの試合が今日の午後に延期されたために、山歩きに行けなくなったのである。100kmトレイルに向けての練習ができなくなってしまったのである。

お金を払っている分(380ドル、日本円で6000円くらい)、そしてスーパースターたちを見る機会はなかなかないということで、サッカーのほうを選択したのである。

余裕を持って出かけたつもりが渋滞に巻き込まれ、キックオフと同時にスタジアムに到着。何とか全部試合を見ることができた。(お金の元をとった。)
座席は正面と反対側で、ほぼ中央の一番高いところであった。見下ろして試合を見るという感じで、選手の表情などは見えるわけがない。それでも背番号や髪型などから有名選手を少しは見分けることができた。ロナウジーニョ、エトー、アンリはすぐにわかった。残念ながらそれほどサッカーについては詳しくないので、そのほかの選手はちょっとわからない。名前を知っている選手もバルセロナにいるが、見当たらなかった。来ていないのかもしれない。

前半でバルセロナは3点も入れてしまった。バルセロナのすばらしいサッカーを見ることができたが、なんか途中から遊びが入っているような感じもした。
「アンリ!!あんた休みすぎじゃない?!3点も取ったから余裕なんだね。」という具合に。

そして後半の15分過ぎくらいにトップ3人はすべて入れ替わってしまったのである。

その後にバルセロナは1点を挙げた。その選手はメキシコ出身のドンサントスという選手で、今回かなり活躍をしているという。横浜との試合で決勝点を挙げた選手らしい。これからのスーパースターかもしれない。

帰りもものすごい渋滞の中を帰ってきた。近くで選手の表情を見ることはできなかったが、バイエルンミュンヘンやサンパウロ、そして中田ヒデの世界選抜チームに続き、世界のトップクラスのチームのサッカーを見れたことはいい記念になると思う。

それでも私は相変わらずサンダルに半そでに短パンのオヤジスタイルで観戦していたのである。

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