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学校と教育

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上海日本人学校の教材

またか、と思ってしまった。
去年だったか、一昨年だったか、
大連日本人学校でも、同じ問題が。

社会科に関する教材の問題である。

つまりは領土問題に関することであり、日本から取り寄せようとしたら、それが中国の税関で引っかかってしまったとのこと。

ものすごいデリケートな問題である。

日本人学校と言っても、全員が純粋な日本人ではない。ハーフの子もいれば、完全に日本人ではない子も実はいるのである。上海や大連はどうか知らないが、香港に関して言えば、実はそうなのである。

ここで、中国の税関の問題とか、日本人だから日本の教材は当然使うべきとか、そんなことを述べるつもりはさらさらない。

私も社会科教師として復帰するつもりであるが、
今まで教え子たちが全員、完全な日本人だったわけではない。外国人がほとんどいなそうな、そんな地域で教師をしていたが、実は完全な日本人ばかりではないのである。
特にどの地域に行っても考えられるのが、朝鮮半島に祖先を持つ人たち。
実は私もそういう生徒を持っていたらしい。
らしいというのは、後でなんとなく聞こえてきた話で、本人たちやその家族は、日本人として生活しているから、あえて学校が知る事項でもなかったみたいだ。
その子たちに、普通に「日本海」としゃべっていたのだから、何とも複雑な気持ちになってくる。
おそらくその子たちも、普通に「日本海」と覚えたことだろうが、大人になった今、どんな気持ちでそのことを思っているのだろうかと。

私が前に勤務していた学校は、台湾のある学校との交流があり、その台湾の中学生が訪れたとき、社会科の授業を一緒にやって、台湾という表記のほかに中華民国という名前を使ったことがある。
実は、どちらの表記を使ったほうが台湾の人たちにとって喜ばれるのか、私もよくわからない。
最近は台湾という名で国連加盟を訴えているし。

教え方一つで、大きく変わってくる。

台湾は国じゃないく、なぜ地域なの?という質問があれば、それに対して簡単に日本は台湾を国として認めていないから。と答えていいものなのか。ものすごく疑問に思っている。

そしてこんな質問も出てくる。なぜ日本の領土のはずなのに、外国が「俺の領土だ」と言うのかな?
その言葉の裏側には、近隣諸国を非難する言葉が含まれているのである。
いや、社会科教師としての責任もあるが、そればかりでない。学校の勉強以上に世間からの影響を受けているから、責任逃れかもしれないが、自然とそういう発言が出てくるのだと思う。

日本人学校が日本の教材を使って勉強することは当然のことであるが、もっと深いところ、複雑なところも、子供たちにとっては必要なのかもしれない。一つの事柄が正しく、あとは間違っているという危険な考え方にならないように、様々な見方ができる人間に育てなければならないのかもしれない。

指導力不足

教員の指導力低下?というより指導力不足?

本音を言えば、世の中がどんどん変わり、多様化していく中で、学校現場は依然として大きな変化がないのが実状だと思う。別に批判的に言っているわけではない。大きな変化がないのは、それが正しいという場合もある。

果たして、私が受け持ってもらった恩師たち(数十年前)と現在の教員を比較して、指導力は低下しているのだろうか?ものすごく疑問を感じる。
指導力が不足しているというのであれば、少しは納得する。

不足の原因としては、世の中の大きな変化や多様化についていけないとか、コンピュータの時代になってもなお事務処理等多忙をきわめ、子供ときちんと向き合えることが少ないというのも考えられる。

世間が学校に要求するものは何か?と考えたとき、当たり前のことであるが、安心して通えるところであり、そのためにはルールなどを守らせなければならないし、民主的な雰囲気を造り上げなければならない。ある程度、教育するということを考えれば、指示的、命令的な部分も必要である。

と、ここまで書いて思うのだが、これって昔も今も同じじゃないかな。

なんか力んでしゃべるのもバカらしくなる。

昔の先生たち(私の)、掃除の時間は来ない先生多かったし、部活指導も来ない先生多かったし、行事等もほぼ生徒まかせ(と勝手に私が思っているだけかも)、先生は勉強を教える人、というイメージが強かった。そういえば私は学級委員長で、生徒会などから指示されたことなども担任に相談した記憶がそれほどないし、先生から指示されたこともない。全部自分たちでやっていた記憶もある。
今の先生たち、清掃指導・給食指導・部活指導にいかないとすぐに言われるであろう。内外から。
生徒会活動にしても委員会活動にしても行事にしても、先生が中心になることが多い。

昔の先生のほうが自主的に活動させることが多かったような気もする。気のせいだろうか。

学校も過保護?世間の目があるから?

じゃあ、昔の先生たちは中学生に自主的にできるようにきちんと指導していたのだろうか?
これも疑問である。

私は小学校で、ただひとりだけの6年間同じクラスの同級生がいる。その同級生は6年間私に対して圧力をかけたというか、からかっていたというか、今で言えばいじめだろう。進級するたびに別々のクラスになってくれ!と思ったものである。今思うと、私が苦しんでいたことを察知できない先生たちもどうかと思う。
でも、恩師たちを特に恨む気持ちは当時も今もない。
それよりも、なぜ自分はもっと強くなれないんだ!という自分に対しての悔しさが強かったような気がする。
中学校に入り学級のリーダーに半ばからかわれるように推薦され、委員長に。そして3年間やり続けた。
委員長になってからは、その6年間一緒のクラスだった彼もいじめなくなった。
自分が周りに対して、少しずつでも、自分の意見をきちん言えるようになってきたからだと思う。

最初の学級会のとき、うまく進行できないでいる私に向かって、担任がクラスのみんなの前で怒鳴り散らした。
叱咤激励することで変われる人と、逆効果になる人と、それも時と場合がある。
今思うに、担任が私の性格やら小学校時代のことやら、すべて把握して起こったわけではないと思う。
ただ単に腹が立っただけだと思う。
でも、怒鳴られたことで、私は変わった。「絶対にきちんとやってやる!」

これって指導だろうか?いや指導かもしれない。でも今の時代にやったら通用しないところもある。
だから今の先生たちは大変なのである。

もっとも、いろいろなことでこの先生にはお世話になったから、うらむ気持ちはまったくない。かえって自分を変えてくれた先生だと感謝している。

なんか取り留めのない話になってしまった。

数ヵ月後に迫った教職復帰に向けて、少しでも自分の考えをまとめてみようと思ったが、やはり現場に立ってから、いろいろと考えていったほうがいいのかもしれない。
今は残りの香港生活を大切にすることなんだろう。
自分を大切にしていこう。

生徒指導その1

子供が問題を起こしたとき、早急に解決のために動くことは大事なことである。

何度となく、非行問題やいじめ問題や、とにかく多くの経験をしてきた私であるが、今振り返ってもどうも納得がいかないことがたくさんある。

子供の性格も家庭環境も千差万別である。そして学級担任とクラスの生徒との信頼関係もある。
だから一つの方法だけで生徒指導を行うのは、私はすごく疑問を感じている。

様々な問題を解決するために、どうして先生は解決できないのか?と攻められたときもある。
こうすればいいとか、ああすればいいだけの話しじゃないか、とかアドバイスをしてくれるのはまだましだ。
なんでできないの?と平気で言ってくる人もいる。

じゃ、やってみろよ!と言いたくなる。

とかく先生として強気でやっている人は、生徒指導をしっかりとやってきたと勘違いしている人が多い、そういう人に限ってまわりもものすごく気を遣ってしまう。だから、冷静にみるといろいろと問題があるのに、誰も指摘できないでいるのだ。という私もであるが。

学校の先生にもそれぞれ持ち味があり、生徒指導の仕方もいろいろあると思う。もちろん共通理解の部分は必要だ。
私のようなタイプの先生としては、まずは安心して子供たちが話しをできる雰囲気を作ることが大事だと思っている。そのための子供の性格や家庭環境などをしっかりと把握し、さらに信頼関係を作って、その上で、けっして色眼鏡で子供を見ないことである。

だから早急に解決しなければならない問題もあるが、じっくりと腰をすえて解決していくことも大切ではないかと思っている。

余談であるが、いじめ問題というか子供たちの対立問題に取り組んだときに、なかなか解決に至らず、かなり怒られたときがあった。実は親同士も対立して、お互い顔も見たくないと言う。そんな状態でうまく解決するわけがない。ただ担任教師が苦労するばかりだ。
でも時が解決するときもある。もちろんそこまでの様々な努力は必要だと思うが。
私が受け持った、一番大変で小学校時代からいじめをしてきた子に言われたことがある。
「もう私はいじめしないよ。だっていじめるほうもたいへんだし、それにこのクラスは今いじめがなくて楽しい!!」
私が最後に持ったクラスである。学級が団結していた。楽しいクラスだった。

給食指導

給食指導と名前がついているくらいだから、これも仕事のうちである。
実際、給食の時間は勤務の時間になっている。

で、いくつか思い出の話しを。

給食の時間は楽しみでもあり、指導する側としてはたいへんな時間でもあるが、私もかなり残食してしまうクラスを持ってちょっと苦労したこともあった。

ただ、最後の学校ではほとんど苦労なし。一番最後に持ったクラスは最高だった。

年度始めに給食指導の共通理解をして、給食指導をしていくのであるが、最初の1ヶ月でもきちんと指導していけば、子供たちにとっても楽しみな時間だし、スムーズに進むこともある。
そして私のクラスであるが、

はっきり言って食べすぎ!!

盛り付け指導もしっかりとしたが、やはり最後は少なくなってしまう。
先生によっては、まず最初は先生の分から用意しなさい!と指導する人もいるが、私はそれが嫌いなので、一番最後に生徒と一緒に並ぶか、もしくは係りの生徒に準備をお願いしていた。
で、私の分がなくなるのである。

泣きそうになる。ていうか、「先生の分がないの?」といいながらエヘ虫になっている。

それを察した係りの生徒はあちこち回って何とか私の分を調達してくれるのである。

しかもこのクラス食べ残しはかなり少なかったと記憶している。

この学校の給食は自校給食でもあり、けっこう美味しかった。私も生徒に負けじとおかわりをしていたものである。

給食が楽しみで学校に行っているという生徒は、もう昔のことだろうか?と思うこともしばしばだが、この学校では給食のおじさんやおばさんたちも、よく子供たちに声をかけていたし、子供たちもおいしいという言葉を何度も発していた。

そんな学校にまた行きたいものである。
給食指導はけっこうたいへんだが、弁当よりはまだいいかもしれない。毎日弁当となると、作るほうがたいへんであるし、我が家の場合は自分のものは自分でということになりかねないので、毎朝自分の弁当を作るとなると気が狂いそうになる。

そう意味もあるのか、作ってくれた人、さらには給食に関わるもの全体に感謝の意味を込めて、いただきます、ごちそうさまでした、と言いたいものである。
ありがとうということである。

評価と特別支援のこと

相対評価の時代は、定期テストの点数を中心に、普段の授業の様子や小テスト、宿題の提出状況などを加味しながら、7、24、38,24,7の%にだいたいあわせて評価していた。でも5段階の1はなかなか付けづらい評価である。私はよっぽどのことでなければ付けなかった。PCの時代になり成績処理も少し楽になった。
それから絶対評価がだんだんと重要視される時代がやってくる。
内伸点との関係などでどう対処していったらいいのか悩む時期もあった。

そして最近になり、絶対評価というか到達度評価というか、正式にその時代になってしまったようである。というのも3年間私は学校現場から離れているので、現状がどうなのかは知らないが、私が退職扱いになる前の数年は、この評価のことでだいぶ研修やら学校での会議やら、たくさんあったことを記憶しているのである。

この絶対評価に移行することで、問題がないわけではない。それぞれの教師の見方によってもだいぶ評価がかわってくることもある。そこで評価規準と評価基準の作成が必要になってくるのである。前者は「のりじゅん」後者は「もとじゅん」と俗に読んでいる。最初の研修のとき、指導主事らがこの言葉を使ったのだが、何言っているの?という感じだった。あとで調べたら、そういうことか!と理解できた。

たとえば、「のりじゅん」は、逆上がりをすることができるか、とすると、
「もとじゅん」のほうは3段階くらいにわけて、最初の段階は器具や手助けをしてもらいながら逆上がりをするができた、次の段階が一人で逆上がりをすることができた、そして最後が逆上がりをするために何が必要なのかを理解することができた。
というようなものである。

これって、1年分を作るだけでも膨大な量である。中学校の教師はまだいい!小学校の教師は何教科も作らなければいけない。こうなると1年ないし数年かけて作成していかなければ絶対に無理である。おそらく授業の準備ごとに作成するのが今の段階ではベストのような気もする。そして更に見直しが必要になってくると思うと、きりがない。

評価に関してだけでもこれだけ大変面倒な時代になってきているのだ。


次に特別支援について、

私がまだ教師のとき(3年前)はこの言葉はまだ一般的ではなかったような気がする。インターネットで特別支援のことを調べて読んでも、前の特殊学級とどのように違うのか、いまいちきちんと理解できていない。
言葉遣いも変わってきている。昔の言葉でしゃべると差別扱いの言葉になる可能性もある。

何かしらの障害を持った子供たちを見てきた私は、他の生徒と同じクラスで勉強するには限界もあるということは感じている。やれる教科もある。でも教師一人ではどうにもならない。専門的な教師の援助がなければ無理だと思うし、何より同級生たちのヘルプが必要になってくる。このことが実は狙いの大きな一つなのかもしれない。障害者がともに共存していける社会を作り上げるという意味で。
でも、やっぱり限界を感じないわけではない。
以前、特殊学級と呼ばれていた時代に何度か授業をもったことがあるが、とにかく大変だった。特に現在LDとかADHDと呼ばれる子どもの場合は。
また耳に障害がある生徒を通常学級で授業したこともある。ちょっと授業を他のクラスとは変えて私なりに工夫したが、ほとんどは同級生たちに助けられた。その同級生たち曰く、耳が聞こえないことをいいことに実は授業サボっているんだよ!ということも言われた。でも授業が面白くなかったからという見方もある。反省である。

ただ、こういう方面でも気を遣いながら子どもたちを育てていかなければならないと思うと、ますます教師の負担は大きくなり、更に大変な時代になっていくことを予想せざるを得ないのである。

だから、少人数制とか、教師の数を増やすとか、でも、それは税金の無駄遣いと言われるのであれば、教師の資質云々を言う前に、もっと別なところで大きな教育改革をしてほしいものである。団塊世代の教員がどんどん退職し、子供たちも少なくなってきている。財政の問題もあるので、だから学校を併合させよう!というのは何か安易じゃないかな?と思ってしまう。それによる弊害がたくさん出てくるような気がして、結局は大きな学校ばかりで、一人一人の子供たちをきちんと見れないという結果にならないことだけを祈っている。
その責任のすべてを現場の教師たちがとらなければならないからである。


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