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学校と教育

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学力向上

私も教師をしていたし、これから教師に復帰する身なので、あまり偉そうに書くことはできないが。

と前置きして、

学力向上のためには、学校教育だけでは無理な時代になってきている。それは誰もが思っていることだろう。
大都市では学習塾に通うのが当たり前だし、中学受験もある。有名私立の学校の話しを聞くと、中学校ですでに高校レベルの勉強をしているという話しを聞いたこともある。
そのレベルに、どうして青森のレベルが太刀打ちできるのだろうか。
学校の教師のレベルの問題はここでは取り上げないことにして、いや正直、どの都道府県もそんなに変わらないと思う。

同じ青森県内でも都市部と農村部では大きな開きがあるのは確かであり、それは学校だけの問題ではない。環境の問題が大きく左右されることは、誰もが思っていることだ。

別に農村部の環境が悪いとは言っていない。実はそういう場所にこそ本来の教育の姿があると、私は思っているところもある。
毎年のように、研修などで、どうしたら子供たちの学力が伸びるかということを話し合ってきた。
私の本音は、無理である。である。こんなことを話し合っても無駄じゃないかな。である。
たくさんいい点数を取らせたり、学力の高い高校へたくさん進学させたかったら、まずは地域の環境(地域や保護者の考え方)を変えなければならない。と思っている。でも、環境を変えることがベストとは思わない。
もし、本当に地域が学力向上を願っているのであれば、もっとたくさん塾もできるだろうし、部活動の時間を減らしとか、全員部活制をやめてほしい、など要望がたくさんくるはずである。
もちろん、ある程度の学力を見につけさせてほしい、という要望はどの保護者でもある。それにはきちんと応えるように頑張っていかなければならないと思うのだが、30人以上のクラスでは、完璧はありえないと思う。
いや、これは素人がしゃべっている話しではない。私は17年間教師をしてきたから言えることである。どの教師も適当にやっていない。一生懸命に授業を頑張っている。

日本人は、けっこう無駄と思われることに時間を費やすのが多い。それが美徳の場合もある。実はそれが世界に誇れる日本文化の一つであると思っている。
でも、ときにはそれが本当に無駄であると思うことも、教育のなかにはあるのかもしれない。
本気で学力を向上させたかったら、教育課程やさらには教育全体を大きく見直すことである。教師の授業のテクニックの問題だけではない。
ある指導主事からこんなことを言われた。授業のレベルは中程度の生徒に合わせたやりかたでやるのがいいかもしれないと。もっとも高レベルの生徒や低レベルの生徒のことを無視してのは発言でないことはわかっている。でもそれが現状なんだね。と内心皮肉を言いたくなるのも事実である。
近年、課題解決学習で、まずは課題を持たせ、それにたいしてまとめをするという授業が主流だと思われるが、更に評価が重要視され、どこまで達成させたかを3段階くらいで自己評価や教師側で評価しなければならない。それを毎日やっていたら、教師は寝る時間がなくなるだろう。
これもある指導主事の発言。毎日全員は無理だから、今日はこのグループとか、そうせざるを得ないのが現状だ。

世界でもトップクラスを誇っていた理数系が、だんだんと下降しているという。
だからなんなんだ!
他国と比べてもしょうがない。

比較して学力向上でなく、それぞれの生徒がどのくらい頑張っているか。たとえ目に見える評価の部分に現れなくても、生徒一人一人に通信簿とは別に評価してあげるのが、本来の教師の役目だと思う。

私は社会科の教師なので、歴史や地理などに関してはある程度の知識を持っている。
日本に地形はほとんどわかっているつもりだし、知り合った人などが、どこどこの出身だと聞けば、イメージが湧く。でも、逆に青森の出身だと私が言えば、いろいろと間違って言われることが多い。田沢湖は青森県だよね。とか、三陸の海はいいねえ。とか。
大学を出た人でもそんなもんである。
逆に化学記号式を聞かれても、私はまったく思い出せない。あんなに受験で勉強したはずなのに。

でも、学生時代に勉強してきたことは無駄にはなっていないはず。無駄だったと思うのは、ただ単に自分の生き方をしっかりとまだ見つけられていないだけだと思う。

こんなの勉強して何の役に立つの?と言われ、自分の生き方をしっかりと見つけていくためと、生徒に言っても、おそらくまずは受験のことで精一杯で完全に理解してもらえないだろう。それは大人になり、自分の生き方が見つかればわかることだと思う。それも七転八倒の場合もある。

だから、個々に対する何気ない普段の教師の評価もしくは励ましが大切になってくると、私は思うのである。

私は子供たちが将来の夢などを語っているときが一番好きだ。

今日は終業式

さっき、今学期最後の出勤で、妻が出かけていった。
明日からはニュージーランドへ出かけるので、年内は休みをもらっている。

おそらく児童たちも、明日からの冬休みで、家族とともに旅行に出かけたり日本に帰国するのだろうと思う。

私は何となくこの2学期の終業式のほうが好きである。
もちろん夏休みに比べて、冬休みは短いし、青森に住んでいるときは雪に覆われて、スキー以外は楽しみもない様な気がするが、でも部活動も少なめだし、けっこうフリーの時間が持て、旅行などにも出かけやすくなるからである。
ただし、私は数年ほどスキー部を顧問していたので、これにはさすがに参った。正月も何もないのである。もっとも最後の年度はわがままを言って、ちょっと年末年始にカナダへオーロラを見に行かせてもらった。おかげさまで部員にも保護者にもコーチの方にも、先生だけずるい!とは言われなかったので、そのことは感謝している。
彼らにすれば好きでやっていることだから、休みであろうと正月であろうと関係ない。私のような顧問にとってみれば、他にやりたいこともあるのにと思い、それがものすごく苦痛になるのである。
子供が頑張っているのに、先生は休んでいていいのか!とプレッシャーをかけられると、私の人生はどうなんだ!と言えるわけもなく、我慢するしかないのである。

私が子供のころとは違って、最近の子供たちは部活なども忙しい。大会の数も多くなり、シーズンオフというものがまったくないといっても過言ではない。年に数度の休みしかない子供たちもたくさんいる。それが楽しみでやっている子はいいが、もっといろいろな経験をさせるのもいいのではないかと私は思っている。休みのときも学校に来て部活動に励み、何か広い視野が持てなくなる可能性も無きにしも非ずである。

とりあえず、女房にはご苦労様と言っておこうと思う。そして明日からちょっと長い休暇を楽しんでももらおうと思う。

詰め込み教育からゆとり教育へ、そしてまた詰め込みの復活?

あるインターネットの記事を読んだが、ゆとり教育の失敗(失敗だったかどうかはわからないが)は当時の文部省の責任だけではないという。当時の社会情勢、世論もゆとり教育を願っていたという。だからそれに答えるべく、当時の文部省が改革を進めていったのであるが、今の時代になり、学力低下や非行問題等の多さ、そして指導力の問題などから、ゆとり教育を見直せという世論が多くなり、現在の文部科学省がまた改革を始めている。
すべては文部科学省に責任転嫁すればいいだけの話である。そして、その皺寄せは下部にある、それぞれの学校にくるのである。

だから、私はマスコミの役割は大きいと思っている。
それぞれの時代のそれぞれの人々の言葉を代弁するだけでいいのだろうか。逆に新聞などが発言することで人間は左右される。

今の時代、何が正しくて何が正しくないのかを見極めるのがとても難しいと思う。
先日起こった銃乱射事件についても、詳しくは読んでいないが、警察への責任転嫁みたいな記事も見受けられる。これでは誤解をしてしまう国民もでてくる。銃規制の見直しが大切なこともわかるし、警察としての取り組みについても大切なことだとわかる。でも根本的なところを改革していかないと、本当に平和で安全な社会を作り出すことができないのではないかと思うのである。そこを重要視しないのはなぜなんだろうと思う。

学校教育だけに責任を転嫁していいものだろうか、公的機関にだけに責任を転嫁していいものだろうか。
なぜ、全体の共有の問題として考えていけないのだろうか。
「今の若い連中は…」というが、それを作り出したのはそう言う人々である。
「俺は何も悪くない。」いやいやみんなの責任なのである。

今の教育改革が100年先、いやもっと先を見通してのものであればいいと思う。もちろん時代により改革は必要になってくると思うが、行き当たりばったりのものでないことを願っている。それは教育の専門家たちだけではなかなかできないことである。様々な意見や助言が必要になってくる。もちろん、それがけっして批判的なものではなく建設的意見としてである。

うちの子供は大人になっても人並みに生活できない。まともな考えをもてない。
それを学校は家庭の責任、家庭は学校の責任、と責任転嫁しているだけでいいわけはないのである。

モンスターペアレント

最近の言葉だろうか?
よくわからない。

でも、私も多少経験しているので、言葉の意味はわかっているつもりである。

ニュースの記事を読んでいると、本当なのか?そんな保護者は存在するのか?と思うところもあるかもしれないが、私には何となくわかる様な気がする。

自己中心的な考えを持つ人や脅迫まがいのことをする人は、けっこういるのである。
もっとも、大部分の保護者の方は学校と協力して、子育てをしていこうと考えているが。

インターネットのニュースなどでも様々な意見が飛び交っているが、こうなった原因の一つとして、学校の権威の低下があげられると思う。けっして昔はふんぞり返っていたということではない。また、必ずしも教員の指導力が低下したというわけでもないと、私は思っている。
様々な原因が考えられるのである。そして現在は学校というところは弱者の立場に近くなり、どうしようもない社会的ストレスのはけ口にもなっている。はっきり言って、いじめの構造である。
そしてその学校が、いっこうになくならない、いじめ問題に対して右往左往しているのも、何とも皮肉なものだと思うのである。(教師がいじめに加担しているという問題もあったが。)

道徳が教科化されるという話しを聞いたが、それは政府の政策なんで、私は何も言える立場ではないが、道徳教育は大切だと思う。しつけは家でするものだ、と言っても、もう通用する時代ではないし、教員もそこは苦労して頑張らなければならない部分だと思う。

モンスターペアレントの話に戻して、おそらく多くの学校で、この問題に悩んでいると思う。
一般企業の方と接することが多くなり、時々理不尽だな、でもほんとうにお疲れ様と思うようなことがある。お客が無理難題を押し付けたり、立場を利用してふんぞり返っていたり、私だったらキレルかも、と思うようなことも、頭を下げてやっているのである。
それが悪いとは言わない。ただ、学校はある程度聖域みたいなところがあり、一般企業並みの経営をしていったのであれば、すぐに子供たちに悪影響をおよぼしてしまう。だから教師はもう一度襟を正す必要があるし、地域や保護者の方はそれを支え見守っていくという姿勢をみせていかないと、だめなのではないかと思うのである。

聖域も権威も、ちょっと誤解されそうな言葉を使ったが、けっして学校がふんぞり返るということではない。各家庭同様に、安心して生活できる場ということで、それは学校が悪い、周囲が悪い、という問題でなく、お互い理解を深めていくことだと思うのである。そしてそのための努力はどちらにも必要なのだと思う。

学期末テスト

そろそろ期末テストの時期だろうか。

12月は師走とも言う。文字通り、先生たちが更に走り回るくらい忙しくなる。

私もたくさんのテストを作ってきたが、このテスト作りもけっこう大変である。
最近は評価のことがいろいろと言われているので、4項目の評価ができるようなテスト作りが要求されてきている。
もっともテストだけで評価できるものではないが、それでもテストの比重は大きなものである。

私の場合、テストを作るときにワークブックなども参考にしていたが、暗記教科ではないと言っても、ある程度の知識がなければ興味関心も高まらないのではないかと思い、予めワークを参考に出題することを宣言していた。30%くらいの出題である。
あとは自分で考えた問題である。そして必ず自分の考えを述べさせる問題も作った。

このテストが終わると同時に、生徒たちは長期の休みに向けてワクワクしてくるのであるが、先生たちは逆に超忙しくなる。

テストの採点から始まり、評価、通信簿作成、学期末のもろもろの仕事、休みに向けた仕事などなど、短い期間でいろいろとやらなければならない。

たまにテストで珍解答がある。
生徒は苦し紛れに解答しているのだろうなと思いながらも、笑ってしまうものもある。
「そうきたか!」
と、もちろん点数にはならないが、急いで採点している中でちょっとしたオアシスにもなる。

半年後には、私もまたテストを作っていると思うが、今までのデータも持っているが、また新たな視点でテスト作りをしていってもいいのかなと思っている。


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