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欲望の翼(1990)香港 監督ウォン・カーウェイ この映画は、暗いシーンが多く殆んど雨がドシャブリのように降っている...。 レスリーの悲劇の後見れなくて、やっとまた見ようと思い・・・。最後まで、観られるか心配だったけど段々と引き込まれていった。レスリーの排他的に生きているヨディに引きこまれていった・・・。 刹那主義で、排他的に生きている主人公のレスリーのヨディが実母に会いに フィリピンへ行ったラストシーン....。 ラテンのけだるく甘い音楽と、ジャングルのような風景の中のヨディの後ろ姿とレスリーの姿と重なり・・・涙がとめどなく流れる・・・でも一番大好きなシーン・・・。 『ついに母の家を見つけたが、会ってはくれなかった。 もう居ないと言われた...家を後にした時背中に 人の視線を感じた...でも振り返らなかった。 俺は、母の顔を見たかっただけだ。 相手が見せないなら...俺も見せる義理はない。』 生きのびる事の出来なかった、レスリーの儚い人生と交差して涙がとめどなく溢れる・・・。 「脚のない鳥がいるそうだ。飛び続けて疲れたら風にのって眠る。ただ飛び続けて、疲れたら風に乗って眠る。地に降りるのは死ぬ時だけだ。」 脚のない鳥の話ですが、テネシーウィリアムズの戯曲、地獄のオルフェウスに引用されているようです。地獄のオルフェウスは読んだことありませんが、テネシーウィリアムズの欲望という名の電車やガラスの動物園は大好きでよく読んでましたよ。ヨディの育ての母は欲望という名の電車のブランチみたいだし、スーはガラスの動物園の主人公みたいなところがありませんか?で、話がそれましたが、もともと脚のない鳥とは極楽鳥のことで、その羽根の美しさゆえに、この鳥は輸出され、ヨーロッパ貴族の飾りにされました。でも、この鳥、輸出するときに体を傷つけてはいけないので、あらかじめ足をもいでいたんですね。死んで脚のない状態しか知らなかったため、極楽鳥伝説が生みだされたそうです。もともと脚がない鳥で、ゆえに地上に舞い降りることができず、風を食べながら永遠に飛び続け、死んで初めて地上に落ちてくる。中世のヨーロッパ人はそう信じていました。その伝説がこの台詞のもとになっているそうです。 自由を奪われても死んでしまうそうで、ヨディのようですが、でもずっと飛び続けていたという点では本当のレスリーの方が脚のない鳥だったのかも。レスリーは努力家で完璧主義でしたから。それがレスリーーの監督への道も閉ざしてしまったのだと、ワダエミさんは言っていた・・・。 |

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