考えるブタ

私たちはほんとうに現実を見ているのか?

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同じ働きに同じ賃金を

資本主義の社会はつねに自己を更新していくエネルギーを必要とする。労賃も含めた市場の商品価格の変動を通じて調整されて行いくが、かつての植民地のような収奪のエリアを周縁に持つ時代は内部にイノベーションが起きにくいから成長が止まってしまう。収奪や低賃金で何とかなると思えば成長はない。ポルトガル・スペインなど多くの帝国はそれで凋落して行った。今の社会でも似たようなことが言えるんじゃないかと私は思う。
 
非正規という名の低賃金で年々更新を余儀なくされる労働者を使って、経営が傾けばそういう層をまず解雇すればいいという安易な発想が常識化している。
 
限りなく労働コストを削って行けるとなると技術革新によって市場の競争に勝ち抜こうとする動機が低下する。いったんこういう低賃金でもそれが合法的にやれる仕組みを作ってしまうとこれを変更するのが容易ではない。これが「小泉改革」以後の我が国の格差社会だ。この構図は少数の富めるものと圧倒的多数の貧しいものというものに収斂せざるを得ない。
 
人々は辛抱することを学んだ。それが経済に跳ね返ってデフレという現象になっている。私はそう認識している。そしてこのデフレが長期間続くとそこからの脱却は困難になる。これをコントロールできないでおいて、インフレ目標2%などという金融緩和策がうまくいくはずがない。雇用・労働政策を抜きに対策はない。
 
労働市場における格差は根深い問題だ。これは大量の非正規公務員まで生んでいる。公務員の定数削減や賃金カットを言い出すとまずそういう人たちが首を切られる。学校の用務員や役所の事務員には時給800円にも届かない非正規がいる。この給与の差別は通勤手当にまで及ぶ。何かにつけ口にする「民間並み」がここでは悪用されている。
 
私が若いころは、アルバイトや季節工などが正規より高い賃金をもらうのが当たり前のような時代もあった。社会的価値観もくるってきた。正規を中心とする組合はほとんど戦えない。自分たちのことしか関心が働かないほど余裕がない。せめて同一労働同一賃金の原則にかえさないとまずい。
 
 

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春よ(6)

身辺の日常雑記しか書く気がしない。今日、東京では風が強い。埃が目に入らないように街を歩く。街ではゴミ箱が吹き飛ばされ中身が散乱している。駅前の駐輪がなぎ倒されている。
 
風がゴーゴー、ウーウー、ヒーヒー唸っているが、私はこれをまともに食らう場所にはいない。ただ、この春風というヒステリー女の声を聞いているのは堂に落ち着かない。窓やドアをガタガタ揺すって「出てこい、この卑怯者」と言われているようにも感じるから不思議だ。「おれは何も悪いことはしてないぞ」そんな心の位置になるのも何とも情けない。
 
朝、出てくるときもこの風が花や蕾を吹き飛ばしていた。アンズの花もこれでしまいかと思ったが、さにあらず、散るどころか、枝がピンクの花で猫の尻尾のように膨らんでいる。これは、これは…。
 
散れと言って風をゴーと送る。ヤダヨと言って笑っている。桜の出番はまだだがそういうせめぎあいの時期にあることはたしかだ。
 
 

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先日の日曜のことだ。春うららの陽気になった。昼過ぎには暑いぐらいだった。杏の花も初めて開花した。アンズというと峠の釜めしに入っているアンズ煮を思い出す。あれは味のアクセントだ。
 
去年アンズは花が咲かないままだった。それが今年は咲いた。これだけでもうれしいことだ。ホトケノザ・カタバミ・ハナニラ・カラスノエンドウなど数知れぬ野草も花をつけた。街行く人々も軽装で嬉しそうに歩いていた。
 
白梅が強風で散って、ハリエニシダの茂みにふりかかっている。「散るや白梅玉垣に」というが「散るや白梅エニシダに」では話にならん。だが、白梅の小さい花弁と黄色いエニシダの花の調和は悪くない。ただ、このエニシダの長い鋭い棘はいやだ。これでずいぶん家畜が傷ついている。
 
私もぶらぶら歩きながら池袋のLAVIの修理部門の建物に入って行った。ビデオの修理を依頼し建物を出た。おそらく10分程度のものだった。建物を出た途端一天にわかにかき曇りゴーと強風が吹いて、目の前の小さな公園の砂を巻き上げてこっちに向かって吹きつけてきた。バチバチっと砂粒が体に当たった。この突然の変化に人々は驚き戸惑っていた。
 
駅で、強風のため宇都宮線が不通になったと聞いた。これが東シナ海で吹くと「春の突風」と言われ漁船がよく遭難する。
 
私は春の漫歩を楽しみコーヒーを飲んで電車で帰ってきたが、春だとすっかり安心するのはまだ早いのかもしれない。案の定、今日は寒い。
 
 

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復興格差

大震災から丸二年経つが政治の復興支援は必ずしもうまくいっていないという問題がある。
 
マスコミは「復興特集」を組んで復興の世相をあれこれ騒ぎ立てる。そのいちいちが癇に障る。本当に知りたいリアリズムは津波の映像にもはるかに及ばない。またまた被災者をにわか役者に仕立て思いつきの煽情的なストーリーを演じさせているだけだ。
 
復興とは何ぞや?むしろ映像の端々に垣間見る人々の生活のリアリズムは凡百の復興ストーリーの嘘うそしさを暴露して、この重いテーマを我々に突き付ける。
 
仙台のような都会だけが復興特需にあずかっているだけで沿岸部や原発周辺の村々は大した効果を得ていない。復興交付金も特区制度も使えるまでに至ってないから、その恩恵も受けていない自治体も多い。
 
人も企業も出ていく一方で残ったものは高齢化し少子化はますます進む。何だ、大震災をきっかけに、格差はますます広がっているだけじゃないか。
 
都市では、復興景気や復興特需の現象がみられる一方、沿岸部や原発周辺の町村では人口と雇用の縮小は覆うべくもない。こういう状況をみるか限り、元々あった格差がより拡大し鮮明化されつつあると言うべきだろう。
 
大災害が格差を広げ、その復興施策がさらに「復興格差」を生む。災いは突然やってきた。底辺にいるものは、立ち直るいとも間もなく、もっと大きな災いの重圧で息もできない。そういう世相が見えてくる

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手短に描く。オスプレイが日本の空を堂々と飛んでいる。米国でも住民の反対で国土を自由に飛べないのどうしてこんなことができるのか?
 
ここに日米同盟の問題がある。かつて原潜、原空母の寄港が問題になったとき、日本中で反対運動が起こった。ところが、米国は「日本の核アレルギーを解消する機会」ととらえていたのである。まったく同じようなことがオスプレイ問題でも起こっている。日本中の空をイエロールートだのオレンジルートだのと命名し低空飛行の訓練に使っている。
 
政府は、これに反対するどころか、飛行ルート下の自治体の抗議に対して「規定事項なので反対はできない」という立場を貫いている。米国にしてみれば「オスプレイアレルギーの解消」でしかない。沖縄県知事の仲井間が「基地負担の公平化」と「沖縄基地の県外移設」を言い出してから、米国はそういった発言を逆手にとって、沖縄の負担の公平化をやって見せている。
 
日米首脳会談以降この動きは加速された。公平化は日本全体への負担の拡大である。
 
我々は沖縄だけに負担を押し付ければいいのではない。かといって沖縄だけの負担が軽減すればいいのでもない。駐留米軍そのものが今のようなかたちで当たり前のように存在することについて、その必要性を論じなければならない。そしてそれが日米両政権の同盟ではあっても我が国の民衆の真に求めている同盟であるのかどうかをつねに検証しなければならない。
 

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