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録ってから見ていなかった「古畑中学生」を見た。最初は回想物語なんて
田村本人がでるわけでもないし絶対本編よりつまらなくなると思っていた。
ところが見終えた今ではシリーズの傑作に数えられる作品という感想を持っている。
演出がいい、役者がいい、そしてなにより台本がいい!一見脈絡のない事柄が
ひとつにまとまっていく様は爽快だ。どんでん返しの見事さは以前放送された
石坂&藤原の回をしのぐかも。そして現在の古畑とのつながりにもなるほど
と思わせる仕掛けが!見る前の悪いイメージは完全に覆された。
こういう感想を私だけでなく日本中の多くの人がもっているんだと思うと、三谷さん
ってすごいなあとおもわざるを得ない。今の日本、オペラでこういう現象を起こす
のは無理だ。もちろんテレビで気軽に見られるのと劇場まで足を運ばないとだめ
という違いはあるわけだが、見るものに直球でインパクトを与えられるのがすごい。
オペラでもそんなインパクトを与えられたらと思うが、なかなか難しい。
ただカプレーティやバタフライを高校生が見に来てちゃんと反応してくれること
を考えるとそんなに悲観することはないのかなあ…
トリスタン二幕にマルケ王の嘆きという長丁場がある。トリスタンの裏切りを本人を
目の前にして訴える場面だ。私は初めてここを聞いた時はなんだかわけのわからない
音楽としか思えなかった。それもそのはず、ぜんぜん解決しない音楽でどこへ
連れていかれるのか想像がつかないのだから。しかしひとたびその細部を理解すると
このような音楽しかありえないと思っちゃうから不思議だ。内容からいっても
安易に解決音にいけないのである。同様の「語り」が中心のシーンはワーグナーには
たびたび登場する。有名なのはワルキューレ2幕のヴォータンであるとか、
黄昏1幕のワルトラウテだろう。パルジファル1幕のグルネマンツの語りも
すごい。またここまでごっつくなくてもジークフリート2幕1場や3幕2場、
はたまた1幕2場だって聞き通すのにはかなり骨がおれるはずだ。
以前にも書いたがこういう音楽を楽しめるようにするためには、対訳を読み内容を理解し
音楽を聞き込んで自分自身をこれらの音楽が楽しめる体にしてしまうのが一番よい。
とにかくこういう音楽ははっきりいって通向きだ。一般の聴衆、予備知識なしで
音楽を聴いたり見たりする方は一度でこれらのよさがわかるものではない。
いわば直感的感覚的に楽しめる「古畑中学生」のようなエンターテイメントと
正反対なのである。
ただ私はワーグナーを味わうというのはそういうことだと思っている。もちろん
細部は気にせず流して観賞してもそれなりに楽しめるだろう。しかし細部を追求した
者にはさらなる悦楽が待っているのだ。「ワグネリアン」なる種族が生まれる
わけはここにある。「長い」とか「退屈」とかネガティブな印象だけを持ってしまうと
ほとんどの場合引き戻すことは難しいが、少しでもポジティブな印象、例えば
「なんだかワーグナーって壮大ですごい!」とか「ストーリーの深層を知りたい!」
とか「あんな長い音楽のスコアはどうやって書いたんだろう?」というような
感想を持ったならば、はまれる可能性ありなのだ。中には「なんとなく
ワーグナーには興味があるんだけど、どうも最初の一歩が踏み出せない」という
方もいるようだ。そういう方にはまず勇気を出してCDなりDVDを体験して
みること!わけがわかんなんくてもいい、一つでも何か興味を持ったなら
それでファーストステップ通過なのだ。
例えはよくないが、これって宗教ににているかもしれない。素晴らしい宗教なのかも
しれないが、最初の一歩が難しい。でもその素晴らしさを知ったらば一生かけてでも
それを追求できる。でもワーグナーのほうが楽なのは「入信」しなくてもいいこと!
私たちオペラの音楽スタッフは楽譜や歌唱の細部にこだわるのが仕事であって
ある意味「オタク」なのだが、特にワーグナーと付き合う場合はその度合いが顕著
になる。そんなスタッフの中でも私は特に細かいのかもしれない。でもいやというほど
しつこく迫ってもそれに耐えうるのがワーグナーだ。深い聞き方のできる観客に
納得してもらえる音楽を私達は作らなくてはいけない。そういうこだわりの集まりが
あのワーグナー独自の世界を生み出すのだ。トリスタンのマエストロは私の10倍以上
こだわる飯守氏である。ほんと先生の練習はしつこい!いやになるくらいこだわる!
でも、これがないとワーグナーはできないのだ。
一般の方が「古畑中学生」を気楽に楽しむように、オペラにもそういう気楽な
楽しみを見いだしてくれたらなあという思いをもつ一方、トリスタンのような
聴衆の理解力を試すような作品も必要だと感じるのである。
さて、新国立劇場の鑑賞椿姫の特設ページなるものができたようだ。時間があったら
覗いてみていただければ幸いである。
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