「京都、明日香の紅葉の旅」
、 新幹線のぞみで、京都駅で大阪からくるT君と待ち合わせ
ダイワロイネットホテル京都八条口に、荷物を預け
東福寺
京都市東山区にある臨済宗東福寺派の大本山。九条家の氏寺で、東大寺と興福寺から
1字ずつとって寺名とした。創建当初は、真言・天台・禅の三宗兼学。また、三門は
禅宗様としては日本最古で国宝臨済宗東福寺派の大本山として、また、京都五山の
一つとして750年の法灯を連綿としてつたえ、360余ヶ寺の末寺を統括し信仰の
中心となっています。
東山を背景に国宝三門を始め重要文化財に指定されている大伽藍が甍を並べ、その壮
観は古くから東福寺の伽藍面といわれています。
通天橋 開山堂周辺
開山堂を結ぶ通天橋には、「通天紅葉」と呼ばれる、葉が3つに分かれて黄金色に
なるカエデ数十本が見られる。また、通天橋 から見下ろす紅葉は絶景として名高
く シーズンには鮮やかな渓谷美を堪能できる。
写真はネットより借用
写真のような光景は残念なことに早過ぎて紅葉はみられませんでした。
東福寺天の架け橋谷紅葉
朱に染まぬ紅葉莢かな白土塀
永観堂
別名「もみじの永観堂」と呼ばれるほど、秋の紅葉は有名です。
比叡山延暦寺、貴船神社(貴船神社)、哲学の道、平安神宮、下鴨神社。京都には
たくさんの紅葉の名所がありますが、永観堂は別格といわれているそうです。
京都の左京区にあり、空海(弘法大師)の高弟である僧都・真紹(しんしょう / しん
じょう)によって建立されました。学問がさかんで、そのうえ、千年以上の古から
「秋はもみじの永観堂」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる永観堂。
永観堂(えいかんどう)は、正しい名前を禅林寺(ぜんりんじ)と言います。
紅葉の名所としても有名ですが、禅林寺は2つの国宝とあまたの重要文化財を所蔵し
ていたことでも有名です。国宝の2つ、「金銅蓮華文磬(こんどう れんげもん け)
および鎌倉時代の仏画「絹本著色山越阿弥陀図」は、東京国立博物館に寄託されてい
ます.
藤原関雄は「古今集」に『おく山の岩がき紅葉散りぬべし 照る日の光見る時なく』
という歌を載せていますが、その歌にある「岩がき紅葉」は、今も境内の奥にそびえ
る東山の斜面にしっかりと根を下ろし、秋になると真っ赤に色づきます。
この「岩がき紅葉」が既に「古今集」にあるということは、永観堂は創建当時から紅
葉で有名なお寺だったということです。お寺の歴史よりも古い紅葉があることも、
“もみじの永観堂”と呼ばれる由縁なのでしょう。
いにしえより詠まれ継がれし紅葉寺
これが盛りのころでしたら大変な混雑、境内を染め上げる紅葉には、まだ少し
早かったけれど、色づき始めの紅葉も見応えがありました。
写真はネットより借用
みかえり阿弥陀と永観律師
永観堂は、863(貞観5)年に公家の藤原関雄(ふじわらのせきゆう)が所有する
別荘を弘法大師の弟子であった真紹僧都(しんじょうそうず)に寄進したことが
始まりとされています。
なにか語りかけているかのように、顔を左に向けている阿弥陀様。その姿から、
この阿弥陀像は「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。
どうして、この阿弥陀様は左を向いているのでしょうか。
1082(永保2)年2月15日の明け方のことです。律師が冷えきったお堂で日課の
念仏を唱えながら、阿弥陀如来の周りを行動(ぎょうどう:仏道の修行)してい
ると、突然、阿弥陀如来が須弥壇(しゅみだん:仏像などを安置する一段高く
なっている場所)から降りてきて、律師を先導するかのように行動を始めたのです。
これに驚いた律師が立ち止まると、阿弥陀如来は左に振り返って、律師に対して
「永観、遅し」と告げたと言われています。それ以来、阿弥陀如来の首の向きは
元に戻らず、今も左に振り返った姿のままなのだそうです。
岩がき紅葉みかえり如来の声優し
名刹のみかえり阿弥陀や薄紅葉
語りかける阿弥陀如来や秋惜しむ
南禅寺
南禅寺 は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。
山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国
師 日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの
寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。
五右衛門にまつわる京都の話としては南禅寺の三門に登った五右衛門が「絶景 かな」
と見栄を切る歌舞伎「楼門五三桐(ろうもんごさんのきり)」の場面が知られてしま
す。
見得を切る楼門黒き秋の寺
祇園 新橋 白川 巽橋
巽橋は祇園の北側に位置し、切り通しを抜けた先に流れる白川に架かる橋です。
巽橋のすぐ向かい側には、祇園の舞妓さん、芸妓さんが芸事の上達を願って訪れる
辰巳大明神が鎮座し、祇園の人々にとっても大切な場所となっています。
巽橋 白川
辰巳神社の御祭神は狸で、すぐ横の巽橋に住んでいた狸が、橋を渡る人を化かしては
白川の中を歩かせていた。また巽橋の目の前では、新橋通、そして白川南通が交差し
ていますが、それぞれの通りには、整然と石畳が敷かれ、同じ高さに揃った町家の風
景が印象的です.巽橋周辺は、華やかな雰囲気、情緒を感じさせてくれます.
巽橋流る白川秋闌ける
青鷺のじっと佇み冬を待つ
高瀬川
川には船が浮かんでいますが江戸時代はこのような船で、京都中心部と伏見間を
物資輸送に使っていたそうです
高瀬船逢魔時の秋の川
「逢魔時」「大禍時」とも使われている
がんこ寿司「高瀬川二条苑」
高瀬川二条苑(たかせがわにじょうえん)は、1611年(慶長16年)、高瀬川開
削者である豪商角倉了以がその源流に建設した別邸跡にある日本庭園である。
高瀬川源流庭苑とも呼ばれる。庭園の一角には、江戸時代初期に小堀遠州により
作られた茶庭が現存する。
明治時代になって、元勲山県有朋が当地に第二無鄰菴と称される別邸を建設した。
このときに庭園は、無鄰菴を作庭した小川治兵衛により改修され、現在に至って
いる。山県以降は、日本銀行総裁川田小一郎、総理大臣阿部信行らが当地に別邸を
構えていた。
今日の食事処、現在は日本料理レストラン「がんこ高瀬川二条苑」となっている。
高瀬川の源流がお店の庭園を流れていると言う、とても風情のある料亭です
同期生で大津に住むHさん、食事会にわざわざ参加してくれました。
故郷を遠く離れて、滅多に帰ることもなく、すっか現在地に腰を据えて京都で
書道教室を開き、沢山の生徒に教えている彼女、日展に連続六回も入選した実
績を持つ書道家として活躍しているそうです。
私は学生時代はクラスも一緒になったこともなく、知らなかったのですが、悦ち
ゃんは三年の時の同級生、男性2人は中学が一緒だったとのこと、話は尽きず、
和やかな時間を過ごすことが出来ました。
今、東京の新国立美術館で開かれている日展に作品が展示されているとのこと、
招待状をいただいたので、疲れが取れたら観にいってこようと思います。
暮れの秋人の縁の深さかな
食事のあと、1606年、秀吉の正室であるねねさんが亡き夫を弔うために開いた高台寺。
のライトアップを見に行ってきました。火災で焼失したものもあるが、開山堂や霊屋、
時雨亭など、当時を思わせる建造物が残されている。桜と紅葉の名所としても知られ、
秋の特別拝観では、
“輪廻”をテーマにしたプロジェクションマッピングが庭いっぱいに映し出されて
いた。
さらに、昼間は「わび茶・天下人の茶〜芭蕉 古池や… の軸、初公開」を開催する
など、昼も夜もに見逃せない特別拝観となっているそうです。
ライトアップされる夜間は、昼間とはまた違った幻想的な雰囲気に包まれていました、
秋しぐれ夜の幻想高台寺
プロジェクションマッピング(英語名:Projection Mapping)とは、
パソコンで作成したCG とプロジェクタの様な映写機器を用い、建物や物体、あるい
は空間などに対して映像を映し出す技術の総称
同寺所蔵の「百鬼夜行絵巻」の赤鬼や青い妖怪、開山堂(重文)の天井画に描かれた
竜が次々と登場し、死後の世界を表現する。後藤典生執事長は「生や死を考え命を見
つめ直す機会にしてほしい」と話している。
境内には約1000本の紅葉が植えられ臥龍池を彩る様子も美しい高台寺
まだ紅葉にはもう少し時間が必要、残念なことに雨が降ってきてしまいました。
以前来た時は紅葉の盛り,今も目に焼き付いています.
雨が降ってきたので、この後祇園の花灯路を散策する予定でしたがとりゃめ
ホテルに戻ったらもう一〇時をを過ぎていました、
足の痛みがこのくらいで収まればいいのだけれど、ひどくならないように願って
います。
ねねさんの愛のあかしや薄紅葉
ねねさんに思いを込めて秋暮るる
高校時代の同期の旅仲間で、「京都.明日香の旅」を楽しんできました。
還暦を過ぎてから、何故かメンバーが揃い、毎年、いろいろな旅を楽しんでき
ました。長い間には亡くなった友もあり、体調を崩したり、予定が重なる人あ
りで今回は5名、平成25年の伊勢神宮の遷宮の時、私はその少し前に坐骨神経
痛が起きて歩行が出来なくなり、参加をキャンセル、それ以来、体調を崩した
りした人もあって、計画が途絶えていました。私も何か起きたらと思うと旅に
出かける気持ちになれなかったのです。
仲間で揃って旅行をするのは、これが最後になるだろうということもあって
計画された旅、思い切って参加してみました。参加者はs君、Y君、T君、悦ちゃん
の私の5名、旅の計画、食事処は大阪に住むT君、詳細な、わかりやすい計画を
立ててくれました。ホテルや新幹線の手配と観光タクシーの予約、一番大変な
会計も悦ちゃん、私は参加するだけ。いろいろ手助けをしていただき感謝
カメラの充電不足で京都の写真が撮れませんでした。
移動のタクシーがすぐに拾えたのも良かったです。
足の痛みは出たものの、何事もなく1日目は終わりほっとしました。。
明日は飛鳥を訪ねます。