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			<title>いろんな</title>
			<description>観音様を拝んでいると天国に行く</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>いろんな</title>
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			<description>観音様を拝んでいると天国に行く</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive</link>
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		<item>
			<title>地獄界の続き</title>
			<description>地獄界の続き（岡田茂吉師御論文です）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自観叢書第3編『霊界叢談』P.58、昭和24(1949)年8月25日発行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　次に他の地獄界は総括的に書く事にする。&lt;br /&gt;
　修羅道は、俗に修羅を燃やすという苦悩で例えば闘争に負け、復讐しようとして焦慮したり、自己の欲望が満足を得られないために煩悶したりする心中の苦しみが生前からあったまま持続し、修羅道界に陥るのである。これらは現界でも霊界でも信仰によって割合早く救われるものである。&lt;br /&gt;
　色欲道は読んで字のごとく色欲の餓鬼となったもので、男子にあっては多くの婦人を玩弄物視し、貞操を蹂躙する事を何とも思わず、多数の婦人を不幸に陥れた罪によって陥るのである。このため地獄においては生前騙され、酷い目に遇った女性群が責めたてる。その苦痛は恐ろしく、いかなる者といえども悔悟せざるを得ないのである。そうしてこの苦痛たるや、生前罪を造っただけの女の数と、その罪の量とを償うのであるから容易ではないのである。これによってみても世の男子たるもの、自己の享楽のため女性を不幸に陥らしむるごとき行為は大に慎しまなければならないのである。右に述べたごとき罪は男子に多い事はもちろんであるが、稀には女性にもあるので、自己の享楽または欲望のため貞操を売ったり、姦通をしたり、男性を悩ましたりする事を平気で行なう女性があるが、これらももちろん色欲道に堕ち苦しむのである。&lt;br /&gt;
　焦熱地獄は放火をしたり、不注意のため大火災を起こし、多くの人命財産を犠牲に供する等の罪によって落ちる地獄である。&lt;br /&gt;
　蛇地獄は無数の蛇が集って来るので、その苦痛たるや名状すべからざるものがある。この罪は自己の利欲のため、多くの人間に被害を与える。例えば大会社の社長、銀行の頭取等が自己利欲のため不正を行い、多数者に損害を与えたり、政治家が悪政によって人民を塗炭の苦しみに陥したりする怨みや、戦争を起こした張本人に対する犠牲者の怨み等々が蛇となり復讐をするのである。&lt;br /&gt;
　蟻地獄は殺生の罪であって、例えば虫、鳥、小獣等を理由なきに殺生する。それが蟻となって苦しめるのである。それについてこういう話がある。その目撃者から聞いた事であるがある時木の上に蛇が巻き着いていた。見ていると数羽の雀が来て、その蛇を突っつき始めた。遂に蛇は木から落下して死んでしまった。そのままにしておいたところ数日を経て、蛇の全身が無数の蟻になったのである。その蟻が群をなして幹を這い上り、その巣の中のまだ飛べない何羽かの雀の子を襲撃した。もちろん雀の子は全部死んだのであるが、実に蛇の執念の恐ろしさを知ったと語った事がある。&lt;br /&gt;
　蜂室地獄は無数の蜂に刺される苦しみで、その例として左のごとき話がある。以前私の弟子であった髪結の婦人があったが、その友達がある時霊憑りになったので、ある宗教家の先生を頼んで霊査をして貰ったところ、こういう事が判った。その友達の御得意であるある芸者が死んで蜂室地獄に落ちて苦しんでおり、救って貰いたいため憑ったというのである。その霊媒にされた婦人は、その頃某教の信者であったからでそれに縋ったのである。霊の話によれば人間一人入れる位の小屋に入れられ、その中に何百という蜂群が、全身所嫌わず襲撃するのだそうで、その苦痛に堪えられないから助けてくれというのである。この罪は芸者として多くの男子を悩まし、大勢の妻君が霊界に入ってから嫉妬のため蜂となって復讐したのである。&lt;br /&gt;
　次に地獄界は伝説にあるごとく、獄卒として赤鬼青鬼がおり、トゲトゲの付いた鉄の棒を持って、規則に違反したり反抗したりする霊を殴るのであるが、これは肉体の時打たれるより痛いそうである、何となれば肉体は皮膚や肉によって神経が包まれておるからで霊ばかりとなると直接神経に当たるからで実に堪らないそうである。そうして地獄の幾多の霊がよく言う事に、何程苦痛であっても自殺する事が出来ないので困るそうである。なる程自分達は既に死んでいる以上、この上死にようがないからである。この点霊界は厄介な訳である。また地獄界を亡者が往来する場合火の車に乗るのだそうである。地獄界の霊は自身の苦行または子孫の供養によって漸次向上するのであるから、子孫たるもの供養を怠ってはならないのである。&lt;br /&gt;
私がある霊を救い鎮祭してやると、間もなく私に憑って来た。その霊いわく。「今日御礼と御願いに参りました。御蔭で極楽へ救われ嬉しくてなりません。私の嬉しい気持はよくお判りでしょう」という。なる程その霊が憑依するや、私は何とも言えない嬉しさが込み上げて来る感じである。次いで霊の御願というのは、「どうか再び人間に生れて来ないように神様に御願して頂きたい」と言うので、私は不思議な事を言うものかと思いその理由を質（たず）ねると、「極楽は生活の心配がなく実に歓喜の世界であるに反し、娑婆は稼いでも稼いでも思うように食う事さえ出来ずコリゴリしたこと言うのである。これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽しみという事になるが、それには生きている中に善根を積み天国行の資格を作っておかなければならないという訳である。&lt;br /&gt;
　次に人霊以外の他の霊の状態を概略書いてみよう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28549111.html</link>
			<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 15:51:37 +0900</pubDate>
			<category>工学</category>
		</item>
		<item>
			<title>唯物主義と唯心主義</title>
			<description>唯物主義と唯心主義（岡田茂吉師御論文です）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『光』4号、昭和24(1949)年4月8日発行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　本教が発展するにつれて予想もしない事が次々起こって来る、それは本教の発展に対し嫉視する者、敵意を持つ者等あらゆる方法をもって妨害しようとするのである、その手段として彼らが一番用うる戦術は当局者に向かって投書する事である、その投書たるや実に荒唐無稽のはなはだしいところではない、吾らの全然知らない事や虚構に満ちたもの、中には反対に書くものもある、ちょうど小説や脚本を読むような感じである、このような邪悪なる手段をもって傷つけんとする彼らの意図は何がためであろうか、実に不可解極まると共にかような邪悪によって目的が達せらるると思うその浅間しさが問題である、そうして投書するくらいの人間とすれば、相当の教育を受けたものである事はもちろんで、まずインテリ層に属する者ともいえよう。&lt;br /&gt;
　日本人中に、かくのごとき邪悪が成功すると思う思想の持主が相当あるという事は実に寒心に堪えないところで、新日本建設などはいつの日か、前途遼遠を想わしむるものがある、しからばこのような不徳漢（ふとくかん）の絶えない原因はどこにあるかを大いに検討してみると、この最大原因としては何よりも教育に重大欠陥がある事である、何となれば投書家には青年がすこぶる多いというにあるからで、それは全く唯物主義一点張りの思想を注入されるためである。&lt;br /&gt;
　元来唯物主義とは見えざるものは信ずべからずという信念によるのでそれが大中小学を通じて長期間注入されるのであるから一種の危険思想の卵が作られる訳である、ゆえに彼らは正不正の区別などはテンデ頭に置こうともしない、ただ利欲のためには虚偽も不正も邪悪も問うどころではない、何とかして自己の目的を達すればそれでいいというのであるから実に恐るべき事だ、しかも驚くべき事は、社会の指導階級である国務大臣や大会社の社長級までが、同様の虚偽不正を行い小菅行となるのであるから、他は推して知るべきである、どうしてもこの際大浄化を行い日本人全体を自覚させ、道義的向上を計らなくては国家危ういかなというべきである、それには何よりもまず徹底的に唯物主義を打破するより外に方法はない、そうするにはいかにしても宗教の力によらなければ絶対不可能である事を痛感するのである。&lt;br /&gt;
　しからばなぜ宗教の力によらなければならないかというに、それは見えざるものを信ずるという信念である、ところがそれは宗教のみの分野であって人の眼は誤魔化し得ても神の眼は誤魔化せない、否自分の眼さえ蔽い隠す事は出来ない、悪事は必ず暴露する、正義は必ず成功するという悪因悪果、善因善果の真諦を徹底的に青年層に植付ける事である、それに対しては、宗教家の熱と力である事はもちろんであって、特に望むところは当局においてもそれら悪質投書家に迷わされざるよう充分戒心されん事である、もっとも一口に宗教といっても正邪の差別もあるから、これらに対しても鋭い批判の眼を向ける事はもちろんである。&lt;br /&gt;
　最後に言いたい事はシャーナリストに対してである、彼らの大部分は唯物主義のカンカン者が多いので、この面からの悪影響も見逃し難いところである。&lt;br /&gt;
　これについていつも思う事は、彼の野蛮人に対し空気の存在を知らしても信じないそうである、見えないという理由によってである、と同様の感は唯物主義者に神霊の実在を語る時もそうである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
(注)&lt;br /&gt;
不徳漢（ふとくかん）、漢は男を指す。不心得者、悪人。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28548826.html</link>
			<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 14:15:08 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>唯物主義が悪人を作る</title>
			<description>唯物主義が悪人を作る(岡田茂吉師御論文です）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『栄光』155号、昭和27(1952)年5月7日発行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この標題は少し厳しすぎるようだが、事実であるからやむを得ないのである。というのは、唯物主義即無神主義こそ、吾々からみれば最も危険な思想であるといっていい。ブチまけていえば、もしこの世の中に本当に神がないとしたら、私なども随分人に知れないように、巧く誤魔化して金を儲け、したい放題の事をし、贅沢三昧に暮すと共に、相当出世もできたであろうが、何しろ神様の実在を知った以上、どうしてもそんな事はできない。できるだけ真直（まっすぐ）な道を歩いて、人の幸福を念願する人間にならなければならない。そうでないと幸福に決してならないから、生甲斐ある生涯を送る事は出来ない。&lt;br /&gt;
　これは理屈でも何でもない。昔から歴史を見ても分かる通り、悪で一時はどんなに栄えても長くは続かないで、結局は滅びてしまう例は余りにも多すぎる。そこに気が付きそうなものだが、仲々気の付かないとみえて、相変らず社会は犯罪で埋っている。強盗、詐欺、殺人などの兇悪犯罪をはじめ、地位ある人の汚職事件、市井（しせい）の巷（ちまた）などでの人騒がせや、数知れないほどの中小犯罪なども、そのことごとくは無神思想から生まれたものである。従ってこの無神思想こそ、犯罪を生む母体であるといってもよかろう。&lt;br /&gt;
　従って世の中から犯罪を除くとしたら、何よりもこの無神思想を撲滅する以外に方法のない事は、余りにも明らかである。ところが今日識者も当局も、教育家も、反対に有神思想を迷信と見ている錯覚で、相変らず法の取締りや、教育、御説教等に頼って効果を挙げようとしているが、これでは何ほど熱心に努力しても、効果のあがるはずがないのは当然である。何よりも日々の新聞の三面記事を見ればよくそれを物語っている。&lt;br /&gt;
　以上によってみても、社会を清浄にするには、有神思想を大いに鼓吹するより外に仕方がないが、情ないかな現在の日本は、智識階級ほど無神思想者が多い実状で、しかも無神思想がインテリやジャーナリストの資格とさえ思われ、無神論を大いに唱える人ほど進歩的とされているのである。という訳だからこれが一転して、無神論者は古い人間に見られ有神論者が時代の尖端を行く智識人と見えるようにならなくては、住みよい、明朗な社会とはならないのである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28548819.html</link>
			<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 14:13:22 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>今流行のインフルエンザ</title>
			<description>今流行のインフルエンザ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『救世』48号、昭和25(1950)年2月4日発行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最近、全国各地に流行性感冒が猖獗（しょうけつ）しており益々蔓延（まんえん）の兆（きざし）ありとの事で、当局も躍起となって、原因を検討しているが、今もって真の原因は判らないようである、その症状としての「特徴は悪寒、頭痛がはげしく、首、背中、腰、手足の筋肉や関節が痛み出し、また鼻血が出たり眼が充血してノドが痛む事がある、場合によっては下痢や腹痛を伴う事もある、大体五日から七日くらいの間発熱し、この症状が現れるが、気管支炎や肺炎などの合併症を伴わなければ生命に危険はない」（厚生省若林技官談）&lt;br /&gt;
　右のごとくであるから、わが神医学からみれば単なる浄化作用で、非常に結構であるとみるべきである、放任しておいても簡単に治るので、この点医学でも容易に治るとされている、吾らからみれば、この感冒によっていかに罹病者が健康を増すかという事で、心配どころか大いに喜ぶのが本当である、ところが、それを知らない医学としては、心配するのも無理はないがその原因を徹底的に知っている吾らはこういう事がある度に、今更神に感謝し、その幸福に酔わざるを得ないのである。&lt;br /&gt;
　そうして今回の感冒は、人体の表面の浄化作用であるからいいが、いずれは内部に固結している毒素の大浄化作用が起る事である、この時こそ簡単には済まされない、続々重症者、死亡者が出来るであろう、その時、幸運な人は本教へ縋り助かるが、頑張って容易に縋らない人は不幸な結果になるので、これこそ神様が行う善悪立別けの一種のメンタルテストといってもよかろう。岡田茂吉師の御論文です　&lt;br /&gt;
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(注)&lt;br /&gt;
猖獗（しょうけつ）、悪い物事がはびこり、勢いを増すこと。猛威をふるうこと。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28312708.html</link>
			<pubDate>Tue, 22 Mar 2011 16:02:29 +0900</pubDate>
			<category>その他美容と健康</category>
		</item>
		<item>
			<title>稲荷の意味</title>
			<description>稲荷の意味&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『光』19号、昭和24(1949)年7月23日発行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　日本の各地に祀られている社に稲荷くらい多いものはあるまい。従って稲荷の由来を知りおく事も無駄ではあるまい。&lt;br /&gt;
　太初の時代、人口が漸次増加するに従い、主食の増量が必要となったので、天照大御神は五穀生産の担任者として豊受明神に命じ給い、全国的に稲穂を頒布（はんぷ）されたのである。その際、今日と違い交通不便のため、豊受明神は狐に命じ給うたのである。稲荷の文字は稲を荷ぐという意味である。一説には稲荷とは言霊学上飯成といって、飯種を成らせるというがこれはあまり首肯（しゅこう）出来ない。以上の意味によって最初農民は狐の労に謝すると共に、豊作を願う願望から、稲荷大明神と崇め奉ったのである。よく女神が狐に乗り狐が稲を咬えている稲荷神社の御札は、それを表わしたものである。&lt;br /&gt;
　ところが、時代を経るに従い、商売繁昌や種々の祈願の的となり、遂には花柳界の人々までも御利益を与えるようになったのは全く稲荷自体の本分を無視する事になったのである。ゆえに稲荷に対しては豊作以外の祈願はすべきではないので、反って一種の罪を構成する事になるのであるから慎むべきである。岡田茂吉師の御論文です　&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28312702.html</link>
			<pubDate>Tue, 22 Mar 2011 16:01:24 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>一切の災は浄化作用なり</title>
			<description>一切の災は浄化作用なり&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
未発表、年代不詳&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　世の中のありとあらゆる災いは、浄化作用である事は常にいっているが、これについて現在国民全体が直面している主なる悩みについて詳しくかいてみよう。まず第一は病気であり、第二は食糧不足であり、第三は汚職問題であろう。その中で第一の病気については、私は常に余すところなく説いているから省くが、第二第三を説明してみよう。&lt;br /&gt;
　この第二も今までに相当かくにはかいたが、まだかき足りない点もあるのでここにかくのである。これもいつもいう通り凶作の原因が肥料によって土を汚し、地力を弱らすためであるとしているが、もちろん風水害並びに冷害もこれに起因している。風水害としては言うまでもなく、昨年のごとき洪水と高潮による稲の冠水であるが、この原因は以前もかいたごとく、ヤハリ浄化作用の現われであって、つまり肥料によって土を汚し、地力が弱体となった結果、自然はそれを洗い清めて健康土壌にするのであって、これが神の摂理である。ちょうど病気の原因が薬毒であり、それが人体を弱らすから、快復させるため自然浄化作用が発生するのと同様である。&lt;br /&gt;
　では一体右の理由は何かというと、この大地はその中心の地熱から放射されている地霊すなわち窒素によって、あらゆる植物を健全に生育させるのであるから、土が清浄でなければ地力が衰弱するからである。この理によって土壌の不純物を掃滅する、それが自然浄化すなわち風水害である。すなわち水害の方は大地の汚れを水で洗う作用で、風害の方は空間に溜った汚濁を吹き払うのであるが、この汚濁にも二つの原因がある。一は右のごとく地霊が放射される場合、地表にある不純物が邪魔するからと、今一つは人間が発する言霊（ことたま）である。すなわち悪口、不平不満、愚痴等々、つまり悪に属するものは霊界を汚濁させるための浄化である。また冷害は肥毒の壁になっている地表が地熱を遮断するからと、害虫を死滅させるためであり、今一つは農民の愛が欠除している反映でもある。すなわち愛は熱であるからである。&lt;br /&gt;
　次は今騒がれている汚職問題であるが、これももちろん不正行為によって国民の血税を浪費するからで、実に怪（け）しからん話である。それが原因となって、その人の霊が曇るからこれを清浄にすべく浄化作用が発生する。つまり因果応報である。ところが面白い事には、その浄化の場合は享楽に相当するだけの苦しみであり、しかも利子が付くので、それだけ大きくなるので、これが神律であるから、至公至平一厘の毫差（ごうさ）もない。この点人間の法律との異（ちが）いさは天と地であるから、絶対免れ得ないのである。従って一日も早くこれに目醒めて心から悔い改め、その償（つぐな）いをするより方法はないのである。償いとは世のため、人のため大いに善徳を施す事であって、そうすれば浄化も軽く済み、再び立ち上る事が出来るのである。ところがほとんどの人はそれに気付かず、一生懸命誤魔化そうとするのであるから、結果において益々罪は重なるばかりで、一生涯不遇な境遇とならざるを得ないのである。何よりも喚（よ）び出し状が来てても、何だかんだと日を延ばそうとするが、これは疾（やま）しい点があるのを表白しているようなものである。たとえ罪状を否定しても駄目であるのは知れ切っている。しかもこういう卑怯な態度は国民思想にいかに悪影響を及ぼすか判っているはずで、結局罪の上塗りという事になる。いつかも言った通り、「愚かなる者よ汝の名は悪人なり」の言葉もよく当てはまる。&lt;br /&gt;
　以上のごとく現在社会の人間ことごとくといいたい程、不幸な運命に喘ぎ苦しみ、地獄社会の有様は、全く間違った想念と行為によって、人間自らが作っているのであるから、その愚及ぶべからずである。ところがこの理を諭（おし）える役目の宗教でさえはなはだ冷淡であるのは不可解といってよかろう。以上のごとく何から何まで間違った世の中であればこそ、神は私をしてこれを諭（おし）え救い給うのである。岡田茂吉師の御論文です　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28312613.html</link>
			<pubDate>Tue, 22 Mar 2011 15:46:13 +0900</pubDate>
			<category>化学</category>
		</item>
		<item>
			<title>痛みと熱</title>
			<description>痛みと熱&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　痛みは何の為であるか、これも医学では不明である。それは私がいつも言うがごとく、病気排除の自己工作が、神経を刺戟するのであるから、これを放置しておけば、案外速く治癒するのである。しかるに、この理を知らないから、氷冷、塗布薬、注射、湿布等を行うのであるが、これらは悉（ことごと）く治癒の妨害である。なる程多少とも痛みは緩和するが、非常に治癒が延びるのであって、時には予想外の不利を醸（かも）し、生命の危険にまで及ぶという実例さえあるのである。且（か）つ痛みのはなはだしければはなはだしい程治癒工作が猛烈に進行しているのであるから、激痛は長時間は滅多に無いのである。しかし、我療法によれば、すべての痛みの解消は、驚くほど迅速であると共に、対症的でなく、根本療法であるから、痛みの解消は病気全治となるのである。&lt;br /&gt;
　熱の原因については、医学上今以て不明であり、各学者の説も区々（まちまち）として、一定しないようである。&lt;br /&gt;
　しからば、発熱とはいかなるものであるかと言うと、これは自然治癒の工作上、実に重大なる役目をしているものである。それは心臓が、霊界から火素、即ち太陽熱を吸収して、病気を解消すべく、必要量だけを供給するのである。発熱の際、鼓動の昂（たか）く多数なるは、その活動の旺盛期を示しているのである。又、発熱前の悪寒は、心臓が患部への熱量供給を専（もっぱ）らとする為、その間全体的熱量供給が減殺さるるからである。たとえば、戦争の為に軍隊を、ある一局部に集注させる場合、全体としての兵員配置は、一時閑却さるるようなものである。&lt;br /&gt;
　よく人はいう。病気の際、発するところの熱は、健康時はどこに潜んでいるのであろうか、それらしい熱の貯蔵所は、どこにも見当らないと。これはもっともな話である。しかしそれは、前記の理由が不明であったからである。心臓は熱の仲介機能であって、熱そのものは無尽蔵に霊界に充ちているのであるから、何百日といえども治病に必要な発熱は継続する訳である。&lt;br /&gt;
　病気治癒に当って、熱は最も偉大なる功績者である。それは、あらゆる膿汁の溜結や喀痰の凝結を解溶し、殺菌等をするからである。故に、熱を醒（さま）すごとき療法は、折角の自然治癒を、全く妨害する事となるのである。&lt;br /&gt;
　しかし、医家はいうであろう。本来の病気は熱によって治癒するであろうが、高熱の為に他の障害、例えば、脳を犯す等の事があっては、生命に係わるとの心配である。しかし、私が、幾多の実験上、決してその憂は無い事を知ったのである。&lt;br /&gt;
　故に、風邪のごときも発熱をそのまま放置しておけば、至極順調に、速かに、治癒さるるのである。よく世間風邪を拗（こじ）らすというのはこの理を知らないから、肝腎な発熱を醒す為なのである。又、肺結核の経過不良と、治癒に時日を要するのは、全く解熱剤服用の誤が、大なる原因をなしている。&lt;br /&gt;
　又、発熱は衰弱を増すという事を懸念するが、これも実は的外れであって、なる程、衰弱を増すのは事実であるが、解熱による病状悪化の為の衰弱の方が、より大なるものがある事を知らなければならないのである。岡田茂吉師の御論文です　&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28312477.html</link>
			<pubDate>Tue, 22 Mar 2011 15:23:19 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>胃疾患</title>
			<description>胃疾患&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『明日の医術（初版）第二編』昭和17(1942)年9月28日発行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　日本人に最も多い病気に胃病がある。此病気は世人も知る通り種々の症状があるが最初の発病は殆んど軽症であるに拘はらず、療法や摂生の誤謬の為、漸次慢性症状となり、一進一退の経過をとりつつ、終に、悪性に移行するといふのが大部分である。&lt;br /&gt;
　故に、一度此病気に罹るや、軽症でも全治するのは極稀である。そうして最初は消化不良、胸焼、胃痛等の軽い症状である。以下詳細に説明してみよう。&lt;br /&gt;
　消化不良の原因は、先天的には然毒、後天的には尿毒、薬毒及び食事の方法の不適正等によるのである。そうして初め、右の然毒又は尿毒が胃の外部に集溜し、それが漸次固結となつて胃を圧迫する為、胃は萎縮して活動が遅鈍となり、消化不良となるのである。&lt;br /&gt;
　次に、今一つの原因である食事の方法の不適正とは、近来、医学が唱へる食物の量と、食事の時間を規則正しくせよといふ事で、之が非常な誤りである。何となれば人間は機械ではないのと、食物なるものは不同であるからである。それはどういふ訳かといふと、食事と食事との間の時間中、運動をする事もあれば、運動をしない事もある。それによつて食物の消化に差異が生ずるのは当然である。又、食事に於ても、其種類によつて、消化に遅速あり、一時間で消化する物もあれば、三時間以上費す物もある。故に、規則正しくするに於ては、食事の時、空腹である事もあれば、未だ空腹にならない事もある。空腹ならば食欲旺盛で消化は良好であるが、未だ食欲が起らないのに、時間であるからといつて無理に食物を摂れば悪いに定まつてゐる。それは、前の食物が停滞して居る上に、新しく食物を入れる場合、前の食物は腐敗醗酵してゐるから、その毒素の為に、新しい食物の消化は、妨げられるのである。而もそれが又消化しきれない内に、又時間が来たといつて仕方なし食ふといふ具合で、漸次消化不良となるのである。故に正しい食事の方法とは、前の食物が充分消化し尽してから食事をとるのである。そうして、前の食物が消化したか否かは、食欲といふいとも正確な指針があるから間違ひないのである。故に空腹即ち食欲があれば食ひ、なければ食はないといふやうにするのが本当である。従而、正しい食事法とは食ひたい時に食ひたいものを、食ひたい量だけ食ふ―といふ、言はば自然である。そうして食ひたいと思ふ物は、其時何等かの必要上、身体が要求してゐる為であるから、それを食へばいいのである。又量も同一の意味で、必要なだけ即ち食ひたいだけ食ふべきである。&lt;br /&gt;
又、食ひたくない物を薬になるとか、栄養になるとかいつて我慢して食ふのも間違であると共に、食ひたい物を我慢して食はないのも不可である。又食欲があるのに喰べ過ぎるといつて中止するのも不可であり、満腹して食欲がないのに、無理に詰込むのも勿論不可である。要は飽迄自然でなければならないのである。&lt;br /&gt;
　然し、右の方法が良いからといつて、境遇上、何人も行ふ訳にはゆかないので、食事時間の一定してゐる人は、其場合、量によつて加減すればよい訳である。そうして食物は、空腹でさへあれば、如何なる物も美味であり美味であれば、栄養満点である。故に、右の如き食事法を実行すれば、消化不良など絶対あり得べき筈がないのである。&lt;br /&gt;
　然るに、不自然な食事法と共に、軽症の胃病発生するや、大抵は胃薬を服用するのである。胃薬は消化薬であるから、最初は消化を援け、苦痛は解消するから治癒したと思ふのであるが、真の治癒ではないから、復（また）発病し復服薬、又治癒し復発病するといふやうに繰返し、終には本格的胃病となるのである。元来消化薬なるものは、重曹が主であり、食物を柔軟にするのである。所が本来、胃の腑の役目は、嚥下した食物を胃自体の活動によつて柔軟にするのにあるが、其役目を消化薬が分担するから、胃の活動力は漸次退化する。退化するから不消化になる。不消化になるから消化薬を服むといふやうに、悪循環作用となつて、胃は漸次弱体化するのである。加ふるに一旦吸収された薬剤は、薬毒に変化し、胃中に還元されて胃壁外へ浸潤し、凝結するので、その凝結が胃の圧迫材料となつて胃はいよいよ萎縮し、鈍化し、弛緩するので之が即ち胃下垂である。又薬毒を解消すべく、自然作用は胆汁をしきりに胃に向つて送入する。之が、胃酸過多症である。又胃部に溜結せる毒素の浄化作用が胃痛の原因である。然し、胃痛には二種あつて、凝結毒素が胃を圧迫する痛みと、凝結毒素が溶解する痛みとある。前者は満腹時に痛むのである。それは、満腹によつて胃と凝結毒素と圧迫し合ふからである。後者の場合は、溶解毒素が胃中に浸潤し胃壁の一部に滞溜してゐる。それが空腹による胃縮小の為に痛むのであるが、重に前者は強痛、後者は軽痛である。胃痙攣の激痛は、前者に属し、第一浄化作用の極点に達した時即ち毒素凝結が最も硬化し、強度に胃を圧迫する為で、医療はモヒの注射によつて感覚を麻痺させ、一時無痛たらしめ、安静にして流動食を摂るのである。それが為、浄化作用が弱るから、毒素硬化は鈍り、又胃は、流動食によつて弱化し、抵抗が弱まるから、一時小康を得るのである。又胸焼は、胃部の溜結毒素溶解のための局部的発熱である。&lt;br /&gt;
　次に、胃潰瘍の原因は、大部分消化薬の連続の為である。稀には大酒の為もある。それは消化薬が食物を柔軟にすると共に、胃壁をも柔軟にするからである。柔軟化した胃壁に食物中の固結物が触れると、そこが破れて出血する。それが胃潰瘍の出血であり、痛みも伴なふのである。そうしてその多くは、最初胃壁の一部に極微小の欠陥を生じ、少量の血液が不断に滲出する。それが胃底に滞溜し、漸次増量するに従ひ、消化を妨げる事がある。又その出血が、胃壁から、外部へ浸潤し、胃以外の局所に滞溜し、又は腸の上部に滞溜する事もある。此滞溜が多量の場合、胃部より腹膜部にかけて膨満し、浄化作用によつて嘔吐する場合、驚く程多量の血液を出すが其際の血液は、コーヒー色を呈し、熟視する時、多少の微粒状血液を見るのである。又此血液滞溜が幽門部を圧迫し、幽門狭窄を起す事もあつて、その為嘔吐を促進するのである。是等によつてみても、消化薬の害たるや、実に恐るべきものがある。&lt;br /&gt;
　大酒の為の胃潰瘍は、実は大酒家は飲酒後又は飲酒中に、胃薬を用ひる癖の人が多いので、そういふ人は、酒の為よりも、胃薬の為である。&lt;br /&gt;
　それから極稀ではあるが、胃薬も用ひず、痛み等もなく、何等の原因もなしに吐血又は小さな血粒が痰に混つて出たりする事がある。此症状は医師も診断に困るのであるが、先づ胃潰瘍に近い症状である。之は如何なる訳かといふと、胃の一部に極微な腫物を生じ、そこから血液が滲出するのであるから、一時吐血があつても放任しておけば自然に治癒するのである。岡田茂吉師の御論文です　&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28312403.html</link>
			<pubDate>Tue, 22 Mar 2011 15:04:24 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>医学の盲点と自然良能力</title>
			<description>医学の盲点と自然良能力&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
『地上天国』26号、昭和26(1951)年7月25日発行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　現代医学の誤っている事は、常に私の唱えている通りであるが、その中で最も誤っている点は何かというと、人間が先天的に保有している自然良能力を全然無視している事であって、それはこうである。&lt;br /&gt;
　今仮に、病気に罹るとする、早速お医者に診て貰うと、お医者は「早く来てよかったですね、もし手遅れになると飛んでもない事になるところでした」というのはよく聞く話であって、全く医学では発病するや放っておくと、益々悪くなるように思うからである。そこで極力それを喰い止めるべく薬剤をはじめ、種々の療法を行うのであるが、これにみても医学は手遅れになるのを大いに嫌い、何でも早い内に喰い止めなければいけないと思う点に、大変な誤りがある事を教えなければならないのである。何となれば病気とはいつもいう通り毒素の排除作用であるから、そのまま放っておけば順調に排除されてしまい、病気は治るに決っている。すなわち熱、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、痛み、痒（かゆ）み等あらゆる苦痛がそのためであるから、少し我慢さえすれば、汚物は出るだけ出て体内は綺麗になるからである。としたら手遅れなどという意味はない訳である。ところがこの理を知らない医学は、反対の解釈であるから、放っておく事を非常に恐れ戒める、ツマリ出ようとする汚物を出さないようにして、固めるのをいいとしている。これでは病気根治など出来ないのは当り前である。それから今一つの医学の盲点は、よく怪我をしたり、火傷などすると、大抵は膿（う）む事になるが、これをまた非常に恐れ膿を出さないよう種々の方法を行うが、これも大変な間違いである。というのはそういう刺戟によってその部へ毒素が集まるもので、どんな人間でも必ず相当量の毒素を保有しているから、何かの機会があれば体外へ排泄されようとして、たちまち傷口目掛けて集中し、排泄されようとするのであるから、化膿の部分が大きい程毒素も多く出る訳ではなはだ結構なのである。ところが医学は化膿するのは黴菌が侵入して繁殖するためと、悪い意味に解釈するから、極力化膿を止めようとし殺菌剤などを使い、冷やしたり、注射をしたり、安静にしたりして、色々な手当を行う、という訳で吾々から見れば、馬鹿馬鹿しい程の逆をやっている訳である。ところがこの殺菌剤が問題である。というのはこれがまず筋肉から滲透し、時日が経つと恐るべき中毒作用を起す事になる。何しろいかに微細な黴菌といえども、生物である以上、それを殺す程の薬剤としたら、人体に与える影響もまた甚（はなは）だしいのである。それで消毒剤が古くなると猛毒に変化し、早晩この浄化が起る、すなわち発熱、痛み、不快感等非常に悪性の悩みで、その際医師に診（み）せると原因不明の病気と言われるが、何ぞ知らんこの原因こそ医療が作ったのであるが、マサカ医師としては消毒薬が原因であるなどとは夢にも思えないから、治療の施しようもないというのはよく聞く事である。&lt;br /&gt;
　このように人体は、常に汚物排除の清掃作用が起るので、これを称して自然良能力というのである。このように人間は生まれながらに病気を治す自然良能力をもっているとしたら、この良能力を尊重し、発揮させる方法こそ、真の医学であるべきにかかわらず、反ってその良能力を阻止するのを可として、それを進歩させるのであるから、いかに誤っているかが分るであろう。これは理屈ではない、何よりも事実がよく示している。仮に寒冒に罹るとする、これを最初から何もせず放っておけば、前述のごとく速かに治ってゆき、普通一週間くらいで済むものを、医療を受けると三週間も四週間もかかる事になる。しかも自然療法なら、支障なく順調に治ってゆくが、医療を行うと仲々治らない。余病が併発したり悪化したりする。中には結核になる人さえある。しかしたまたま医療で治る事もないではないが、それは医療の妨害に勝つという旺盛な治病力の持主だが、こういう人はまことに少なく、大部分は溶解毒素が一時的にもせよ固まって全快したようになるのである。&lt;br /&gt;
　以上によって大体分ったであろうが、事実現代医学は大いに進歩したように見え、有難がっているところにその迷蒙さがあるのである。&lt;br /&gt;
　以上によってみても、人間は自然良能力という医療も及ばない程の、素晴しい治病力を天から与えられている以上、これを知っただけでもいかに大きな幸福を掴み得たかである。ところが本教浄霊は、その自然良能力をより強化し、より促進させる方法であるから、最も進歩した合理的治病法である事を知るであろう。岡田茂吉師の御論文です　&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28312395.html</link>
			<pubDate>Tue, 22 Mar 2011 15:01:03 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>眼にゴミが入る</title>
			<description>眼にゴミが入る　　医学断片集（16）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『栄光』166号、昭和27(1952)年7月23日発行&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　よく眼にゴミが入ったり、何かで傷ついた場合、放っておけば必ず自然に治るもので、何ら心配の必要はないのである。ところがそれを知らない一般人は、早速御医者へ行くが、御医者もまた全然無知であるから、薬を点（つ）けるので、その薬毒が僅かな傷口からでも沁み込んで治らなくなり、このため飛んでもない眼病になってしまい、長く苦しむ人が沢山ある。また石鹸が沁みて、一時痛んだり赤くなったりするが、これも放っておけば簡単に治るものを、医療を受けてわざわざ眼病を作り、稀には失明する人さえあるのだから恐ろしいのである。&lt;br /&gt;
　こうみてくると、医療がいかに不幸の原因を作っているかはもちろんであるが、今それを知らしたところで、信ずる者はほとんどあるまいから、今の世は全く哀れなる仔羊（こひつじ）の集りといってよかろう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/masamasamotive/28312369.html</link>
			<pubDate>Tue, 22 Mar 2011 14:53:48 +0900</pubDate>
			<category>幼児教育</category>
		</item>
		</channel>
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