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ひょんなことから兄弟子のお寺で行ける時は毎月お前座修行をさせていただくことになった。 昔の説教師は随行(ずいこう)という弟子を連れて説教に出ていた。 お前座(まえざ)は本座の説教の前に一席高座に上がり説教をさせて頂く修行である。 師匠が説教を聴いており、控室で「今日のお前はこうだった、ああだった」と教えて頂く修行である。 お前座が終われば、余間で師匠の説教を聴いて話やテクニックを盗んだ。 '''説教は聴け書け語れ座を重ね 人に言われて癖を直せよ(悪しきを直せ)''' このように伝承されている。 まずは上手い説教を聴く、自分で原稿を書く、高座に上がり説教をする、 師匠や本座の説教師にアドバイスを頂く こうやって説教師は育ってきたのである。 私も師匠のお前座、兄弟子のお前座、他の先生のお前座などの経験があるが、 私の中では師匠のお前座が一番素晴らしい経験だった。 忘れもしない本山でのお前座の説教。 私以外に同門の弟子がお前座で説教をした。 彼の讚題は善導大師の『観経疏散善義』深心釈、私の讚題は『一枚起請文』であった。 彼の説教20分、私の説教20分が終わり、師匠の説教になった。 師匠の讚題は私と同じ『一枚起請文』、かぶってしまったのである。 師匠は途中、要文を引く際に『散善義』深心釈も使用した。 師匠の説教を聴いていると、何と彼の説教と私の説教を足し、 そこに師匠のさらなる味付けがあって、最後は念仏で閉めた。 素晴らしい説教だった。 彼も私も師匠には原稿を見せてはいない。 師匠は彼の説教と私の説教を聴いて、その場で説教を組み立てて、話をしたのである。 これぞ本座説教師の凄腕である。 師匠のお前座を勤めるのは大変である。 控えに帰ると必ず説教の講評がある。 しかし、講評ができるということは、お前座の説教を真剣に聴いてくださり、 自分の説教の中で、「この要文はこう話せばいきるぞ!!!」ということを教えてくださる。 私は素晴らしい師匠に出会えた。
いつか師匠のような説教をしてみたいものである。 |
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こんにちは。「お前座」という言葉も、今や若手布教使のどれだけが理解していることやら…。是くいう私でさえ、「お前座」という経験はさせて貰ったことがありません。強いていうならば、布教実習旅行で講師+実習生2人で鹿児島へ行った時が、「お前座」に相当するでしょうか。爾来、皆無であります。
再来週、名古屋別院で2日間に渡り常例布教に出講致しますが、別院での布教はかれこれどれくらいしてないでしょうか。今更ながら布教使任用当時のような緊張感が脳裏を支配しております。
2010/2/10(水) 午後 1:24
>Ren'ohさん
戦前まで説教師は二人か三人のお前座を連れて布教に出たそうです。カバン持ちをして、衣・袈裟・袴のたたみ方から教えられたようです。祖父江省念師の『節談説教七十年』に師のお前座随行時代のことが詳しく回想されています。
我が宗門では、本座の説教師は色衣・如法衣・如意(笏・中啓)、お前座は黒衣・如法衣・中啓で説教します。私はお前座で出る時は、中啓ではなく、雪洞で出ることにします。
布教実習がまさしくお前座随行修行ですね。Ren'ohさんもお前座を連れて布教に出られたらいいのに。いつでも私がお前座修行させて頂きますよ。
2010/2/10(水) 午後 6:56 [ 説教本蒐集家 ]
南無阿弥陀仏
2010/5/11(火) 午後 8:09 [ bjd*g4*0 ]