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落語の演目に「鹿政談」という話がある。舞台は奈良、豆腐屋の主人が春日様のお使いである鹿を誤って殺してしまったことから白須で裁きを受けるが、名裁きにより命を助けて頂くというお話。
『米朝落語全集第三巻』によれば、元々「鹿政談」は上方の話であったようである。上方落語の衰退と共に話は江戸に持って行かれたようで、上方では高座にかける人がいなくなったそうだ。米朝師匠は若い頃に先輩から一度聴いただけであり、米朝師匠の「鹿政談」は三遊亭圓生がやっていたものをベースに作り直したようである。
先日、蔵書の整理をしていた時、『明治仏教思想資料集成第六巻』を久々に開いた。以前、宗派の研究発表会で、岸上恢嶺師の『説教帷中策』について発表をした時、『明治仏教思想資料集成第六巻』に収録されていることを知り、コピーをしておいたものだる。その時は『説教帷中策』のみ読んだのであるが、久々に目を通すと様々な資料が収録されていた。説教本の塊であった。
その中で一番目をひいたのが『説教譬喩因縁談』である。「花生空観演説、大高文進聞書」と書かれており、大高文進師は詳しい経歴は全く知らないものの、様々な説教本の作者でよく見る名前である。中を開いてみると、巻上には八話、巻中には九話、巻下には七話の因縁話が収録されている。そのうち巻中に「南都鹿殺シノ事」という話があり、「鹿政談」と同じような話があるのかと思ったら、まさしく「鹿政談」であった。
(国立国会図書館、近代デジタルライブラリーより)
落語が先か、説教の因縁話が先か、そんなことはどうでもいいことで、落語ならばオチをつけて終わるところが、説教ならどうなるかというところが実に面白い個所である。また花生空観師が関西人であったのか、舞台が奈良なのか、「ホンマ」と関西弁が使われている。
以下、私が翻刻したものである。カタカナをひらがなに、読みにくい漢字は少々修正した。
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『説教譬喩因縁談』巻中
○南都鹿殺しの事
昔、奈良の町に豆腐屋が有りしが、春日のお使いの者の鹿が、ぶらぶらと市中を歩いている折節、右の豆腐屋の入り口が開いてある故に、鹿が庭に入り、桶の中にある豆腐を、半丁ばかり食うたところを、女房が見つけ、
「こちの人、鹿が豆腐を食らふている」
と、云うを聞くより早く、庭にある棒を打ち付ける。当たり所や悪かりけん、鹿がころりと死んだ。
「さあ一大事、鹿を殺せば石子詰めの刑法。若し知られたら大騒動」
と古莚(ふるむしろ)に包み、納戸の隅へ隠して置きしが、天知る地知るの道理、近所隣の人は勿論、奈良中の評判。
「この頃鹿を殺した者が有るそうな。鹿を殺せば石子詰は必定。不愍な事ぢゃ」
と人ごとに云う故、彼の男も
「こりーやたまらぬ」
と思ふて、女房を呼び、
「如来様へお光をあげてたもれ」
とそれから長々と念仏を唱え、
「これが今生の暇乞い」
と云って、大切に御礼を遂げている折柄、門口より独りの旅人入り来たり、
「へい御免なされませ。ご面倒ながら煙草の火を貸して下され」
「さあさあお易い事」
と云へば、旅人は腰打ちかけ、四方山の話をするうち、
「時にこの辺に鹿を殺した者が有るとの噂、ホンマでござるか」
と聞いて、亭主は胸ぎっくり。
「へい何を隠しましょう、鹿殺しは私でございます」
「ふんそれは気の毒な事したなあ」
「へい最早絶体絶命。私はこれから自首するつもりでございます」
「ふんそれなら助かる手段があるが、やってみやしーやらぬか」
「いえいえそれはとても叶ひませぬ事」
「いやさ左様では有ろうが、一番やってみやしーやれ。お役所に出た時、『その鹿の後足の上の方に、白い毛で藤の紋があったであろうれ。』とお尋ねの時、『藤の紋はござりませぬ』と云いすけやしーやれ。そうしたならば助かるで有ろう」
と云って、今の男は立ち出で行った。その後で、
「ああ世間には親切な人もあるものぢゃ」
と云っている所へ捕り手の役人が出て来て、
「御上意」
と云うなり後ろ手にくくられ、牢屋に引かれ、その夜は窂の中で臥し、明くる朝白須へ引き出だされた。上段には時の御奉行、中段には与力、下段には同心衆と、列を正して並んでござる。
「鹿殺しの咎人とはその方か」
「いかにも私でございます」
「その鹿の後足の上に、白い毛で藤の紋が有ったであろう」
「恐れながら申し上げます。その御紋はござりませぬ」
「こりゃ御上に向かって偽りを申し上げな。定んで有ったであろう。真っ直ぐに白状いたせ」
「たといひどいような拷問に掛けられても、無いが実正でござります。何の御上へ偽りを申しましょう」
「いかさま左様であろう。春日の使い者の鹿は、五百石の知行を付けてある故に、盗み食いする筈はない。豆腐を食らうたのは山鹿であろう。山鹿なれば咎はない」
と、お赦しになられた。それから帰りに日頃懇意になる与力の所へ行くと、
「どうじーやそちはもう窂から出たか。赦されて嬉しいか」
「へい嬉しふて嬉しふてなりませぬ」
「おお嬉しいは道理。時に尋ねる事が有るからこちらに来やれた」
と、奥へ連れ行き、
「この間捕り手の役人が行った前に旅人は行かなんだか」
「それを貴方がどうして御存じ」
「さあそれを知って成ろうか。その旅人は今日御調べの御奉行様で有ったはやい。鹿の死骸は夜の間に、忍びの役人が行って山に埋めた。そちが命を助ける為の御計らい、御奉行様が御苦労下されたのぢゃ」
と聞いたその時は嬉しいとも忝いとも、
「いかなる御慈悲の御奉行様ぞ」
と涙を流して嬉しんだとある。
なんと同行方、十悪五逆の鹿殺しの大罪人、永不成仏と諸仏の評判、不愍には思召せども力及ばぬと、捨てさせられた必堕無間の石子詰めになるこの私に、助ける手段の六時の謂れ、どうぞ聞かせて救ふてやりたいと、本師法皇の阿弥陀如来、四十八願の御奉行様が、御開山とこの土へ御出世、関東北国御巡回、二十五年のその間、雪に氷の御艱難、旅人と姿をやつし、鉢坊主のその様で、悪人女人の助かる法は、弥陀の本願信ずるのぢゃと、我らが使いに我が来て、御化導なされて下された故、六百余年の今日まで、御代々の善知識、御相承あらせられ、御教化にあづかり、聞いて信じる一念に、はや正定聚の分人と御定めにあづかり、命終われば極楽世界へ、往生させていただくとは、何たる大悲の如来ぞと、心の底に知られたら、嬉しいの忝いのの穿鑿(せんさく)ぢゃない。扨も扨もと御報謝の称名があらはれるのぢゃ。
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この説教バージョン、私の得意ネタでございます。「朝寝八石」というタイトルでございまして、仰せのとおりでございます。
花生は、大阪のかつては興正寺末であった寺院のもの。明治以降、興正寺離脱の際に本願寺派に残られた蓮光寺の方です。父の法友であった森正隆(著作多数)前住職さまによると、森氏の母方の親戚であらせらえるそうで、鹿児島の方に一族がいtらっしゃるとかないとか。
「信疑決判」木村徹量師他にもある因縁譚です。
2011/1/16(日) 午後 2:59
>nazunaさん
米朝師匠の落語を聞いて自分で話を整え何度か説教で使ったことがあります。有名な因縁話だったんですね。
花生師の情報ありがとうございました。
2011/1/16(日) 午後 9:03 [ 説教本蒐集家 ]
お話、ありがとうございます。南無阿弥陀仏
2011/1/18(火) 午後 5:10 [ bjd*g4*0 ]