|
昨日、Amazonより後小路薫『勧化本の研究』が届いた。
筆者である後小路先生は平成18年に58歳で亡くなられた研究者である。北九州大学国文学科卒業後、大谷大学大学院に進み、研究に従事したそうだ。学生時代落語研究会に所属していた縁で説教本と出会い、研究を始め、説教本研究の第一人者である関山和夫先生の助言により大谷大学に進学したようである。大谷大学の助教授までなったのであるが、大谷大学から別府大学に移り、助教授、教授として研究に従事した方である。生前発表された論文を一冊にまとめて遺稿集として出版された。
『勧化本の研究』 後小路 薫 著2010年2月28日、和泉書院発行 A5判・638頁、16000円+税 目次 第一章 近世勧化本の展開 ………………………………………… 1 近世勧化本の展開――四十八願を主題とするもの―― ……… 3 近世真宗説教の方法 ……………………………………………… 22 『艶道通鑑』と勧化本 …………………………………………… 26 一万体地蔵流しの勧化本――その成立の環境―― …………… 30 「説教」名義考 …………………………………………………… 47 第二章 近世勧化本の思想 ………………………………………… 65 『近世往生伝』の性格――著者明春の教化意識―― ………… 67 近世唱導の太子伝 ………………………………………………… 76 近世勧化本の極楽譚――善之丞の地獄極楽巡りの背景―― … 84 近世唱導の一怪異譚――福知山藩主稲葉紀通をめぐる―― … 94 近世学寮の怪談――女の生首譚をめぐって―― ……………… 105 浄土宗の蛇(龍)身済度譚の背景 ……………………………… 115 近世勧化本の種々相 ……………………………………… 131 「鏡ケ池操松影」における因果について………………………… 133 説話文学に現われた安居院流 …………………………………… 142 『本朝怪談故事』への一視点 …………………………………… 146 厚誉春鶯の著述の性格 …………………………………………… 157 『平太郎事蹟談』の成立 ………………………………………… 180 『御文来意鈔』の成立経緯 ……………………………………… 191 義圭著述略考 ……………………………………………………… 203 『因縁集』の出典 ………………………………………………… 223 第四章 唱導から芸能へ …………………………………………… 239 唱導から芸能ヘ――石山合戦譚の変遷―― …………………… 241 仏教の談義と講談 ………………………………………………… 258 教化の旅と説話――蓮盛と蓮体の行脚―― …………………… 262 松誉巌的著述攷 …………………………………………………… 272 近世説話の位相――鬼索債譚をめぐって―― ………………… 288 唱導の一狐譚――『怪談信筆』の二話―― …………………… 302 勧化本写本にみえる省文 ………………………………………… 308 『西鶴諸国はなし』「十二人の俄坊主」の素材 ………………… 322 近世草子 …………………………………………………………… 335 親鸞の「明日ありと…」歌攷 附、「伝 親鸞聖人歌集」稿 … 346 翻 刻 ………………………………………………………………… 359 近世の唱導論書――『説法式要』巻一 ―― ………………… 361 勧信念仏集 ………………………………………………………… 392 如幻明春の著述――『浄土勧化撮要鈔』―― ………………… 412 南溟の勧化本――『樟葉道心因話録』―― …………………… 477 『浄土勧化論語』(翻刻) ……………………………………… 514 近世末期の唱導論書――『唱導百練鈔』―― ……………… 560 付 録 ………………………………………………………………… 583 近世勧化本刊行略年表 …………………………………………… 585 増訂 近世勧化本刊行略年表 …………………………………… 602 発表論文初出一覧 ………………………………………………… 633 跋 文 ……………………………………………………………… 636 ■著者紹介後小路 薫(うしろしょうじ かおる)昭和24年12月 豊前市に生まれる同 47年 3月 北九州大学国文学科卒業同 52年 3月 大谷大学大学院博士課程満期退学同 62年 4月 大谷大学専任講師平成 4年 4月 大谷大学助教授同 7年 4月 別府大学助教授同 13年 4月 別府大学教授平成18年 3月 還浄(勧化院釈浄俊)論文の中で私が興味をもったものは「義圭著述略考」、「勧化本写本にみえる省文」である。義圭とは以前このブログでも紹介した江戸時代に活躍した大谷派の大説教師粟津義圭(あわづ・ぎけい)である。義圭の著述したものを年代ごとにまとめておられる。どんな著作があるか一目瞭然。また「勧化本写本にみえる省文」では、写本の特殊な書き方が解説されている。例えば「ササ」と書いて「菩薩」を意味するなど写本を翻刻する上で非常に役に立つ。 また附録である「近世勧化本刊行略年表」、「増訂 近世勧化本刊行略年表」では江戸時代に出版された説教本を時代ごとに列挙してくれている。非常に便利なものである。 しかし、この本を買った本当の目的は説教本の翻刻が収録されていることである。以前紹介した浄土宗鎮西派の説教指南書である讃誉牛秀の『説法色葉集』の活字本である『説法式要』巻一、浅井了意の『勧信念仏集』、菅原智洞の『浄土勧化論語』、いずれも一度は目を通しておきたいものだと思っていた。非常にありがたい。 |
説教本
[ リスト | 詳細 ]
|
落語の演目に「鹿政談」という話がある。舞台は奈良、豆腐屋の主人が春日様のお使いである鹿を誤って殺してしまったことから白須で裁きを受けるが、名裁きにより命を助けて頂くというお話。
『米朝落語全集第三巻』によれば、元々「鹿政談」は上方の話であったようである。上方落語の衰退と共に話は江戸に持って行かれたようで、上方では高座にかける人がいなくなったそうだ。米朝師匠は若い頃に先輩から一度聴いただけであり、米朝師匠の「鹿政談」は三遊亭圓生がやっていたものをベースに作り直したようである。
先日、蔵書の整理をしていた時、『明治仏教思想資料集成第六巻』を久々に開いた。以前、宗派の研究発表会で、岸上恢嶺師の『説教帷中策』について発表をした時、『明治仏教思想資料集成第六巻』に収録されていることを知り、コピーをしておいたものだる。その時は『説教帷中策』のみ読んだのであるが、久々に目を通すと様々な資料が収録されていた。説教本の塊であった。
その中で一番目をひいたのが『説教譬喩因縁談』である。「花生空観演説、大高文進聞書」と書かれており、大高文進師は詳しい経歴は全く知らないものの、様々な説教本の作者でよく見る名前である。中を開いてみると、巻上には八話、巻中には九話、巻下には七話の因縁話が収録されている。そのうち巻中に「南都鹿殺シノ事」という話があり、「鹿政談」と同じような話があるのかと思ったら、まさしく「鹿政談」であった。
(国立国会図書館、近代デジタルライブラリーより)
落語が先か、説教の因縁話が先か、そんなことはどうでもいいことで、落語ならばオチをつけて終わるところが、説教ならどうなるかというところが実に面白い個所である。また花生空観師が関西人であったのか、舞台が奈良なのか、「ホンマ」と関西弁が使われている。
以下、私が翻刻したものである。カタカナをひらがなに、読みにくい漢字は少々修正した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『説教譬喩因縁談』巻中
○南都鹿殺しの事
昔、奈良の町に豆腐屋が有りしが、春日のお使いの者の鹿が、ぶらぶらと市中を歩いている折節、右の豆腐屋の入り口が開いてある故に、鹿が庭に入り、桶の中にある豆腐を、半丁ばかり食うたところを、女房が見つけ、
「こちの人、鹿が豆腐を食らふている」
と、云うを聞くより早く、庭にある棒を打ち付ける。当たり所や悪かりけん、鹿がころりと死んだ。
「さあ一大事、鹿を殺せば石子詰めの刑法。若し知られたら大騒動」
と古莚(ふるむしろ)に包み、納戸の隅へ隠して置きしが、天知る地知るの道理、近所隣の人は勿論、奈良中の評判。
「この頃鹿を殺した者が有るそうな。鹿を殺せば石子詰は必定。不愍な事ぢゃ」
と人ごとに云う故、彼の男も
「こりーやたまらぬ」
と思ふて、女房を呼び、
「如来様へお光をあげてたもれ」
とそれから長々と念仏を唱え、
「これが今生の暇乞い」
と云って、大切に御礼を遂げている折柄、門口より独りの旅人入り来たり、
「へい御免なされませ。ご面倒ながら煙草の火を貸して下され」
「さあさあお易い事」
と云へば、旅人は腰打ちかけ、四方山の話をするうち、
「時にこの辺に鹿を殺した者が有るとの噂、ホンマでござるか」
と聞いて、亭主は胸ぎっくり。
「へい何を隠しましょう、鹿殺しは私でございます」
「ふんそれは気の毒な事したなあ」
「へい最早絶体絶命。私はこれから自首するつもりでございます」
「ふんそれなら助かる手段があるが、やってみやしーやらぬか」
「いえいえそれはとても叶ひませぬ事」
「いやさ左様では有ろうが、一番やってみやしーやれ。お役所に出た時、『その鹿の後足の上の方に、白い毛で藤の紋があったであろうれ。』とお尋ねの時、『藤の紋はござりませぬ』と云いすけやしーやれ。そうしたならば助かるで有ろう」
と云って、今の男は立ち出で行った。その後で、
「ああ世間には親切な人もあるものぢゃ」
と云っている所へ捕り手の役人が出て来て、
「御上意」
と云うなり後ろ手にくくられ、牢屋に引かれ、その夜は窂の中で臥し、明くる朝白須へ引き出だされた。上段には時の御奉行、中段には与力、下段には同心衆と、列を正して並んでござる。
「鹿殺しの咎人とはその方か」
「いかにも私でございます」
「その鹿の後足の上に、白い毛で藤の紋が有ったであろう」
「恐れながら申し上げます。その御紋はござりませぬ」
「こりゃ御上に向かって偽りを申し上げな。定んで有ったであろう。真っ直ぐに白状いたせ」
「たといひどいような拷問に掛けられても、無いが実正でござります。何の御上へ偽りを申しましょう」
「いかさま左様であろう。春日の使い者の鹿は、五百石の知行を付けてある故に、盗み食いする筈はない。豆腐を食らうたのは山鹿であろう。山鹿なれば咎はない」
と、お赦しになられた。それから帰りに日頃懇意になる与力の所へ行くと、
「どうじーやそちはもう窂から出たか。赦されて嬉しいか」
「へい嬉しふて嬉しふてなりませぬ」
「おお嬉しいは道理。時に尋ねる事が有るからこちらに来やれた」
と、奥へ連れ行き、
「この間捕り手の役人が行った前に旅人は行かなんだか」
「それを貴方がどうして御存じ」
「さあそれを知って成ろうか。その旅人は今日御調べの御奉行様で有ったはやい。鹿の死骸は夜の間に、忍びの役人が行って山に埋めた。そちが命を助ける為の御計らい、御奉行様が御苦労下されたのぢゃ」
と聞いたその時は嬉しいとも忝いとも、
「いかなる御慈悲の御奉行様ぞ」
と涙を流して嬉しんだとある。
なんと同行方、十悪五逆の鹿殺しの大罪人、永不成仏と諸仏の評判、不愍には思召せども力及ばぬと、捨てさせられた必堕無間の石子詰めになるこの私に、助ける手段の六時の謂れ、どうぞ聞かせて救ふてやりたいと、本師法皇の阿弥陀如来、四十八願の御奉行様が、御開山とこの土へ御出世、関東北国御巡回、二十五年のその間、雪に氷の御艱難、旅人と姿をやつし、鉢坊主のその様で、悪人女人の助かる法は、弥陀の本願信ずるのぢゃと、我らが使いに我が来て、御化導なされて下された故、六百余年の今日まで、御代々の善知識、御相承あらせられ、御教化にあづかり、聞いて信じる一念に、はや正定聚の分人と御定めにあづかり、命終われば極楽世界へ、往生させていただくとは、何たる大悲の如来ぞと、心の底に知られたら、嬉しいの忝いのの穿鑿(せんさく)ぢゃない。扨も扨もと御報謝の称名があらはれるのぢゃ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
|
|
平成23年は和朝念仏の元祖・法然房源空(ほうねんぼうげんくう)上人の八百回大遠忌である。
このブログも昨年の五月から全く更新せず、ほっておいた状況であったが、法然上人の八百回の年、今年は少しずつでも更新しようと思う。
八百回大遠忌であるが、浄土宗の各本山では大遠忌法要、末寺でも様々な法要が営まれるが、はたして法然上人の御一代を語るお寺はあるであろうか?大遠忌に向けて、堂宇を新築、修復など、ハード面を強化する本山、末寺は多くあるが、ソフト面を強化している本山、末寺は多くない。
自坊では昨年、教区の行事の会所となり管長猊下をお招きしてお待ち受け法要を勤修したが、都合により法然伝を語られるとこはなかった。
四月に大遠忌法要を勤める本山では法要はするものの、法然伝を説教師が語ることなど予定に入っていない。
これでは法然上人がいかなる人物であり、我々にどのような教えをくださったのかが世の中に発信できずである。
幸いにも私の身近な超宗派の友人たちとともに、7月に法然上人の八百回忌、11月には親鸞聖人の七百五十回忌を勤めるご縁を頂いた。7月には法然上人絵伝の絵解き、11月には親鸞聖人絵伝の絵解きを予定している。
さて、今回は法然上人についての説教本についてである。
【上段】左より
堀尾昌晃 『法然聖人御一代記法話』 明治44年3月1日発行 大正13年8月1日第三版発行 法蔵館
須藤光暉 『法然上人』 明治44年1月21日発行 ①明治44年3月1日再版発行 金尾文淵堂 杉本梁江堂 ②昭和8年4月8日発行 盛文舘
大富秀賢 『法然上人御一代記』 昭和15年6月10日発行 ①昭和27年6月5日再版発行 ②昭和53年10月20日重版 永田文昌堂
小林大承 『圓光大師御繪傳縮圖辨釋』(欠本) 明治26年8月13日発行 臺之友雜誌社
【下段】左より
中里介山 『法然』 平成12年10月1日 復刻版発行 平成13年7月1日第二刷 浄土宗
大富秀賢 『平易に説いた法然上人傳』 昭和8年3月3日発行 更生閣
大富秀賢 『法然上人一代記』 大正15年5月5日発行 村田松榮舘
大屋徳城 『通俗絵傳法然上人』 大正6年7月5日発行 ①大正14年7月1日第五版 ②昭和4年4月1日第六版
まだ、あったと思うがなんせ整理がついていない状況なので、今回はこれぐらいで。
私が説教の台本を書く時に、よく参考にするのが大富秀賢師『法然上人御一代記』(村田松榮舘)である。ちなみに、タイトルは変わっているが『平易に説いた法然上人傳』は全く内容も同じ本である。永田文昌堂本は全く内容は違う。この本は『正源明義鈔』をベースに書かれているものであり、大富秀賢師の口述筆記本である。非常に分かりやすく入りやすいし、声に出して読むと、テンポのよい説教がよみがえってくる。
『四十八巻伝』をベースに書かれているものとしては、須藤光暉 『法然上人』である。浄土宗側から出版された説教本である。当時の浄土宗管長、西山派管長、増上寺法主が題辞をよせるという豪華な本で、鎮西・西山の説教師が布教先まで持っていった本であろう。二冊架蔵しており、出版社、本の大きさが違う。金尾文淵堂・杉本梁江堂本には「巡教使補任用爲記念」と大正6年10月に在京露粲法類から岸源圓僧都に贈られたことが書かれてある。布教師になったら必ず読む本であったのだろう。
中里介山氏の『法然』は『四十八巻伝』を要訳したもので、浄土宗出版から再版されているが、本日青空文庫でも読めることが分かった。スマートフォンを使用している方はDLが可能である。
昨今、学者先生が出す法然上人伝の本は面白くない。確かに『四十八巻伝』やその他の法然上人伝を読まねばならないことは分かっているが、解説本を読んでいても自分の腹に入ってこない。その点、説教本は違う。読めば読むほど腹に落ちるし、何より面白い。
|
|
浄土宗では五重相伝という伝法儀式があり、檀信徒が三日間或いは五日間、お勤めをし、説教を聴聞して、念仏の教えを受ける。その際に十数席の説教を勧誡師が順を追って説明をする。 この勧誡録は最初の口訣「安心起行作業之口訣」についての十席のお説教である。念仏信者の心構え、生活を説くところである。 「三心四修」は法然上人の『一枚起請文』のうち、「ただし三心四修と申すことの候は〜」というところである。 鷲津師は見事に巧みな比喩・因縁を用い説教をしている。古来から伝承された話、本生譚、自ら経験した話。本当に分かりやすく、ありがたいものである。 鷲津師は「古来から説教は師匠について、師匠の話を聞き、盗んでものであるが、今は積極的に味噌帳を見せなければ説教師は育たない」と後書きで示されており、後学の者の為に、自分の原稿を世に出されたのでる。 説教も古来から伝承された型に基づいて語られているので、非常に参考になる。 今やCDやDVDを全くそのままコピーして口真似するだけのどうしようもないお説教が幅をきかせている。 こういう説教本を読み、自分の口調で再構築して、説教を作り上げるべきである。 |
|
本日、京都の古本屋から写本が届いた。
『本願化益鈔』五巻である。著者は誰かと言えば、五楽院大玄である。
写本は全五巻220席の説教が収録されてある。
写本の奥書きはなく、書写者、書写日時、巻数は不明である。
国会図書館近代デジタルライブラリーで検索しても多くの著作が出てくる。
私は詳しい人物像は知らない。しかし大玄和上が大説教師であったことは間違い。
国会図書館近代デジタルライブラリーに収録されている著作は以下の通りである。
現生十種益法話 / 大玄著,護法館, 明27.11. - (真宗法話集 ; 第4号)
執持鈔勧録 / 大玄著他,護法館, 明23.11 十八願勧録 / 大玄述他,護法館, 明18−20 帖外和讃勧録 / 大玄述,護法館, 明24.11 女人往生勧誘録 / 大玄著,護法館, 明22.11 女人往生勧誘録 / 大玄述,沢田文栄堂, 明24.6
女人往生聞書法話 / 大玄著,護法館, 明26.9 譬喩因縁信心要義弁 / 大玄著,西村空華堂, 明14.6 竜樹和讃乗船鈔 / 大玄述,護法館, 明22.9 『本願化益鈔』は全部で220席のお説教が収録されている大著である。
内容は第十八願の願文を讚題にしているお説教。
もしやと思い『十八願勧録』をみた。
『十八願勧録』は全部で全五巻64席のお説教が収録されている。
外れかと思い、『十八願勧録』の第一席と『本願化益鈔』を見比べてみると、ビンゴであった。
『本願化益鈔』第四席が『十八願勧録』第一席と少し違えと対応するのである。
『十八願勧録』は『本願化益鈔』を編集して出来上がったテキストであろうと想像できる。
運よく『十八願勧録』が古本屋の検索でひっかかったので、さっそく注文をした。
詳細な比較をしなければ何とも言えないが、期待はできそうである。
何とも言えない感動をすることができた。
釈迦弥陀二尊のお計らいに感謝である。
|





