|
皆様方こんばんは。
こんな時間に更新しています。
今日は新聞記事から
ハミ塚古墳の記事はこちら↓
ハミ塚古墳の石棺の漆喰、実は・・・
コウモリの糞だったです(汗)
何かショックです。
糞害といえば宝来山古墳(垂仁天皇陵)のウカイの糞を思い出します。
とにかく気がぬけてきます。
次回は藤原京から出た馬の骨についてです。
|
石上・豊田古墳群
[ リスト | 詳細 ]
|
豊田狐塚古墳の墳丘は約150〜200基ぐらいある石上・豊田古墳群の円墳の中でも
おそらく豊田トンド山古墳につぐ大きさを有していると思われています。
石室も石上大塚古墳とウワナリ塚古墳とハミ塚古墳の石室に告ぐ大きさです。
図面にありますように豊田狐塚古墳は豊田トンド山古墳同様
これらの古墳群のすこし南の高所に立地しています。
豊田狐塚古墳にやや寄り添うかのように位置しています↓ 豊田狐塚古墳は豊田トンド山古墳の後に築造され、三代にわたる追葬が行われていたことがわかりました。 今度は……どの古墳の調査があるのか? 天理市から目が離せないです。 |
|
豊田狐塚古墳の玄室は盗掘をうけていてましたが
鏡、馬具、魚類などあと須恵器が50点以上多数ありました。
こちらは須恵器の方です↑。
手前が玉類で、奥のほうが馬具です。
鉄製品は馬具と鉄刀など、玉類は水晶製切子玉、丸玉、管玉、土製丸玉100以上、
ガラス製小玉、琥珀製平玉、鉄製空玉など
土器は須恵器と土師器です。
須恵器と馬具の特徴から築造時期は6世紀半ば〜後葉とみられています。
埋葬状況は床面で木片が残存してた箇所があり、少なくても3つの木棺があったと思われています。
また、このあたりで
↑ こちらが石室の状況です。
次回はまとめの記事です。
|
|
豊田狐塚古墳は明治8年の文書で「20年前に発掘(盗掘)された」との記述があります。
ということは江戸時代末期に盗掘されまが玉と刀が出土したことが分かりました。
しかし、この文書には石室のどの部分から出土したなどの詳細が書かれておらず
遺物も別の場所に埋め戻されたとも書かれてますがその所在も分からなかったですし
調査も今の今まで全然されておりませんでした。
今回この辺りに道路が作られることを機に調査することになりました。
調査の結果、横穴式石室が見つかりました。
石室は調査前から埋没していました。
こちらは石室の奥のほうです。
角度を変えて・・・。
石室の壁です。
石室の案内板もあります。
このあたりから小さい鏡が見つかりました。
石室は南に開口。両袖式の石室。
玄室は床面で全長約4,4m、奥壁の幅約2.2m、床面からの高さ約2,2mあります。
羨道は玄門の幅0,8m。
南側は調査区外の為調査できませんでしたが長さは1m確認できております。
本来は長かったと思われます。
天井石と奥壁の一部は持ち去られています。 |
|
豊田狐塚古墳は豊田トンド山古墳の南東100mの位置にあります。
墳丘に到着。
石室にも多くの方がいらっしゃいました。
トレンチを↓
もう1枚を↓
またもう一枚・・・
次は西側を。
石室から見ろしたところです。
墳丘の形状は今後の調査次第になるんですが
現在では直径20mぐらいの円墳になるようです。
また、豊田トンド山古墳同様後世の開墾をうけていて(しかも石室の天井石も持ち去られている)
古墳の本来の形状は大きく変わっています。
次回は石室などです。
|



