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皆様方こんにちは。
母の死から三週間過ぎようとしています。
大分落ち着きましたが・・・
今後の事は姉夫婦と話し合わなければなりません。
この間天理市の萱生のヒエ塚古墳の調査がありました。
現地説明会には行けませんでした。。。
調査のあったヒエ塚古墳の後円部北側です。
写真は一昨年のものです。
まわりは果樹園です。
ちょうどこのあたりと思われます。
新聞記事です。
↑読売新聞の記事。 ↑朝日新聞の記事です。 ヒエ塚古墳の後円部が従来60mとされていたのが
今回の調査で後円部径が70mとわかりました。
埴輪が見つからなかったです。
西殿塚古墳や中山大塚古墳とほぼ同じ時期に築造されたことがわかりました。
被葬者はヤマト王権をささえた有力者と考えられています。
このごろというか
この時期はいつも古墳のニュースがたくさん出てきます。
次はどの古墳なのだろうか・・・?
期待しちゃいますね☆。
佐紀古墳群のどこかの古墳も調査してほしいです。
ではまた。
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大和古墳群(萱生支群)
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西殿塚古墳は、発掘調査が何回かありました。
案内板です↓
1989年の宮内庁による後円部の調査でエプロン状の張り出しの上に
後円部4段、前方部3段の墳丘が乗ることが分かりました。
その後円部です。
このときの調査で100点ほどの
特殊台形土器、特殊器台形埴輪、特殊壺形埴輪などの遺物が採集されました。
前方部です↓
さらに1993年の天理市教育委員会の調査で
前方部東側と墳丘東くびれ部で墳丘基底石と掘り割りの存在が確認されました。
このときもまた多量の特殊円筒埴輪類が出土しました。
スカシは三角形です。
築造時期は古墳時代前期前半と推定されています。
大和古墳群萱生支群は中山大塚古墳とともに西殿塚古墳を中心として大小の前方後円墳を従えるかのように
4世紀初めぐらいまで形成されていったんではないかなって思います。
そして6世紀ぐらい間隔あけて
西山塚古墳、空路空山古墳などの後期古墳が作られた・・・。
春に散策して、そんな思いを馳せながらJR長柄駅へむかいました。
終わりに・・・
大和古墳群(萱生支群)シリーズはブログ主本人も予想していない長丁場となってしまいました。
次回からは・・・ずいぶんサボっている(笑)佐紀古墳群を・・・
本ブログ基本メインの佐紀古墳群改訂版をどこかの曜日で書きまして
大和古墳群(柳本支群)を書いていきたいと思いますので
またよろしくお願い致します。
そして、大和古墳群(萱生支群)を見て下さいました皆様方ありがとうございます。
大和古墳群(柳本支群)シリーズ、しょっぱなから・・・何と・・・
黒塚古墳です・・・((汗) |
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西殿塚古墳、今回は墳丘規模です。
↓こちらの写真は昨日MBの関係で貼れなかった画像です。
前回でも書きましたが宮内庁より手白香皇女衾田陵として管理されています。
全景です↓
↓図面はこちら
墳丘全長約230m、後円部径145m、東側の墳丘裾から高さ13m、前方部幅130m、東側の墳丘の裾から高さが11,3mです。
この古墳、竜王山の小支丘を利用して築造されています。
そして東から西へ下る120m前後の傾斜地を利用してるため後円部の東裾と西裾で比高が13mもあります。
東殿塚古墳とは尾根線が断ち切られて区画されています。
なぜ、西殿塚古墳はこんな傾斜地を選んで築造されたのかに魅力を感じます。
次回は調査などです。
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皆様方、こんにちは。
大和古墳群(萱生支群)シリーズのラスト西殿塚古墳です。
火矢塚古墳の見学終了後すぐ行きました。
東殿塚古墳の隣にあります。
西殿塚古墳はやっぱりこの向きのほうがいいですね。
↓空路空山古墳へ行く途中で撮影した写真がこちら
いい光景ですね。
案内板がこちら↓
拝所です↓
西殿塚古墳は宮内庁によって
継体天皇の手白香皇女の衾田陵として管理されています。
古墳自体は3世紀の大型前方後円墳なのに6世紀の手白香皇女の陵墓になんて(汗)
手白香皇女の真陵は少し西にある西山塚古墳に治定すべきなのに
一度見直してほしいというか見直すべきかなと思いながら見学しました。
写真のMBの関係上ここまでにします。
次回は続きです。
友人の農作業が多忙なのでいつ更新できるか分からないですが
何とか書いていきますね。
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西殿塚古墳行く前にもう一つ記事にしたいのがありまして
というより忘れておりました。
中山大塚古墳の前方部の端に
大和神社の御拝所があります。
案内図を↓
日本書紀では崇神天皇のとこに紹介されています。
由来のことを書いた案内板です。
山の辺の道を秋に散策される方にはお薦めのスポットの一つです。
この秋にぜひどうぞ。
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