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皆様方こんにちは。
与楽カンジョ古墳見学後 こんな標識を見つけました。 小心者のブログ主はさすがに山道は行けず諦めました。 資料によると 貝吹山城跡(かいぶきやまじろあと) 高市郡高取町越智の居館・越智城を本拠地とした越智氏の山城で、高取町と接する貝吹山の頂上、標高210m付近にあります。築城は南北朝時代(14世紀)とされています。越智氏はこの山城以外に高取城・佐田城(高取町)や玉手城(御所市)の山城を有していました。城の発掘調査が行われていないので詳しいことは不明です。 現在は、南北方向の頂部の曲輪(くるわ)と崩壊した石垣が確認できるに過ぎませんが、主郭を中心に四方の屋根上に諸郭が設けられ、連郭を成していたようです。越智氏は、応仁の乱(1467〜77)前後の室町時代後半(15世紀末)にその最盛期を迎えます。しかし、戦国時代(16世紀中頃)になると他の国衆と同様に幾多の戦乱に参戦し、貝吹山城も戦場と化したようです。そして、永禄十一年(1568)に織田信長方の松永氏との合戦で越智氏は敗れ、貝吹山は落城しました。 越智氏の居城ですね。 松永久秀てあまりいいイメージ持ってないです。 多聞城を作るとき 聖武天皇陵を取り込み さらに隣の光明皇后の陵墓を破壊?したので……。 結局松永久秀氏は討たれてしまいますが……。 ってな事を思ったある秋の日でした。 ではまた。 |
高取町の古墳・遺跡・名所
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皆様方こんにちは。
きのうの続きです。 与楽鑵子塚古墳近くに 古墳の石室らしきものが かけられていました。 この古墳又は石室墳は遺跡地図によると とあるサイトみたら この石室を思い出しました。 http://www2.atpages.jp/kofuntokaare/page158.html ↓ このサイトの方はこの古墳を 与楽鑵子塚古墳と勘違いしたらしいです。 トラウマって……(汗) 話を戻して直径約10mで横穴式石室を持つと遺跡地図に書かれていました。 調査は途中で終わったっていう感じですね。 調査が待たれます! ではまた。 |
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皆様方こんにちは。
与楽鑵子塚古墳を再見学しようとしたら ちょっとだけそこまで歩いてみたけど……(汗) スマホからの更新のため 画像貼り付けが限られてます。 ので明日また記事にします。 |
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皆様方こんにちは。
与楽カンジョ古墳の続きです。 規模は一辺が35m、高さ11m、2段築成、の方墳で石室は南に開口しています。 石室は両袖式横穴式石室、羨道部3m、幅1.3m、玄室部長さ5.6m、幅3.5m、高さ5.1mで巨石を4〜5段積みで持ち送りによるドーム型になっています。 しかし石棺と出土遺物は不明です。 築造年代は7世紀前半と考えられています。 被葬者は渡来系の方とみられています。 地図を。 交通手段は……。 ローカル路線バス乗り継ぎの旅みたいに 路線バスありません。 近鉄飛鳥駅を降りて西に多分30分かかると思います。 蛭子さんは歩ける距離かも?です(笑) ではまた |
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皆様方こんにちは。
今日は与楽カンジョ古墳です。 この辺りで写真をこれ以上貼れなかったのでいったんここで終わり明日また記事にします。 |



