道端の出会い ①

このブログ「道端の出会い」を立ち上げて、10年が経ちました。感謝。

全体表示

[ リスト ]

第75代 崇徳天皇 皇后聖子
すとくてんのう こうごう きよこ/せいし
月輪南陵 
つきのわの みなみの みささぎ )
京都 伏見区 2010.8.
イメージ 1
崇徳天皇 皇后聖子月輪南陵
イメージ 2

保元の乱・ 平治の乱 に破れた  崇徳上皇( 75代 )は 讃岐( 現香川県 )へ流され 

9年間の 配流生活の果てに  46歳で憤死されます

その怨霊は 後白河天皇( 77代 ) の  御代を脅かしました

崇徳(すとく)上皇( 75代 )の 白峯陵( しらみねのみの みささぎ )は  

香川県坂出市に  あります

瀬戸内海を望む  白峰山の頂にある 白峯寺( しろみねじ・↓ ) で
イメージ 3

ここは  四国八十八箇所の 第八十一番札所です

この白峯寺の一角に  頓証寺殿( とんしょうじでん ) と 呼ばれる お堂があって

頓証寺殿に 祭られているのは  平安時代末期  朝廷内の権力争いに

翻弄された 崇徳上皇で  

崇徳上皇も  神に祭られた  日本人のお一人です

明治天皇 (122代) は

即位に際して  使者を  讃岐へ送り 崇峻上皇 (75代)の 霊を

京都に帰還させて  白峰神宮 を 創建された そうで 
イメージ 4

白峰神宮は  和歌と 蹴鞠の宗家で あることから  

蹴鞠の守護神 精大明神も 祀られていて   サッカーなど スポーツの 

守り神としても  多くの人々に  信仰されています

また 昭和天皇は 昭和39(1964)年の 東京オリンピック 開催に際して

香川県坂出市の  崇徳天皇陵に 勅使を遣わし  崇徳天皇式年祭 を 

執り行われています

伏見稲荷大社 の 南に続く 低い丘陵地帯  京都タワーも見える 中腹に 
イメージ 5

崇徳天皇  皇后聖子月輪南陵  があります  
イメージ 6

第75代 : 崇徳天皇 皇后聖子( すとくてんのう こうごう きよこ/せいし )

■生没年 :
保安3(1122)年 〜  養和元(1182)年12月4日(1月10日)(61歳
■名 :
藤原聖子 ( ふじわら の きよこ/せいし )
■皇妃 : 
平安末期の后妃 崇徳天皇の中宮、近衞天皇(16代)の養母で女院
院号は皇嘉門院( こうかもんいん )
大治4(1129)年 崇徳天皇に入内して女御となる。
大治5(1130)年 中宮に冊立( 勅命により皇太子・皇后などを正式に定めること・さくりゅう。)
■皇子女 :
なし
■皇居 :
平安京( へいあんきょう・:京都市 )
■御父 :
摂政関白太政大臣 藤原忠通の長女、 忠通の嫡妻腹の子女は 彼女ひとりである
■御母 :
北政所従一位宗子( 権大納言宗通の娘 )
■御陵名 :
月輪南陵 ( つきのわのみなみの みささぎ )
■陵形 :
円丘
■所在地 :
京都市伏見区深草本寺山町  京阪電車・鳥羽街道駅下車・東側へ15分
イメージ 7

時に父、九条忠通は摂政で、在任中の摂関の女の入内は、後冷泉天皇(70代)の皇后寛子以来、80年ぶりのことであり、忠通は聖子の入内に 摂関家再興の望みを託した。

しかし、父の希望に反して、聖子は一人の 子女も生まなかった。

その代わり、鳥羽法皇の皇子、體仁親王(なりひとしんのう・後の近衛天皇・76代)の准母と
なり、體仁(76代)が即位した、永治元(1141)年皇太后となった。
久安6(1150)年 院号宣下を受け、皇嘉門院(こうかもんいん)と号した。

保元元(1156)年の 保元の乱 では 父忠通と 夫崇徳上皇(75代)が 敵に分かれて戦い、敗れた 崇徳上皇(75代)は  讃岐へ配流されました
イメージ 8
縁を切り良縁を結ぶ神社・安井金比羅宮 参照

次ページ ここに続きます
過ぎゆく時を たいせつに・・・

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事