道端の出会い ①

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第116代 桃園天皇
月輪陵墓 
つきのわの みささぎ
京都 東山区 2010.8.
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泉涌寺境内 月輪陵
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月輪陵
画像 ↑ 無断で借用しました。 借用もと ここ

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第116代 桃園天皇 ( ももぞの てんのう )

■生没年:
寛保元(1741)年 〜 宝暦12(1762)年 ( 22歳 ) 江戸時代の天皇
■ 在位:
延享4(1747)年  〜 宝暦12(1762)年 
■別名異称
遐仁 ( とおひと )
■皇后・皇妃 :
女御 ・ 一条富子( 恭礼門院・1743〜1795 )  
         ‖莪豺鳥 ・ 英仁親王( 後桃園天皇・118代・1758〜1779 )
         第二皇子 ・ 伏見宮第十七代貞行親王(1760〜1772)
■皇居:
平安京  ( へいあんきょう・京都市 )
■御父:
桜町天皇 ( 115代 )の 第1皇子
■御母:
藤原定子 姉小路 定子( あねがこうじ さだこ、享保2(1717)年7月18日〜 寛政元(1789)年9月22日(11月9日)、江戸時代中期の女性。 桜町天皇の典侍で、桃園天皇の母。
父は参議・正四位上姉小路実武。 女房名は権典侍、宰相典侍、大典侍、また三位局とも。女院・号は開明門院
■御陵:
月輪陵 ( つきのわの みささぎ )
■陵形:
石造り九重塔
■所在地 : 京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺

第116代 桃園天皇 桜町天皇(115代)の第一皇子。 
延享4(1747)年立太子、同年、父桜町天皇(115代)の譲りを受けて即位( 7歳 )、16年在位した。

在位中の宝暦8(1758)年に 宝暦事件 が発生し、朝廷内の 尊王論 者の若い公卿が、幕府によって大量に処罰された。 

やがて 明和事件 等を経て、100年後の 明治維新 へ、繋がっていく尊皇思想の萌 芽である。

一方では、西洋の情報も次第に我が国へ移入されるようになり、この頃、 杉田玄白 が、西洋外科医術を唱えた。
宝暦12(1762)年、22歳で崩御。
出典  桃園天皇 − Wikipedia
 
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泉涌寺・仏殿
過ぎゆく時を たいせつに・・・

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