道端の出会い ①

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第118代 後桃園天皇
月輪陵 
つきのわの みささぎ
京都 東山区 2010.8.
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月輪陵

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第118代 後桃園天皇 ( ご ももぞの てんのう )

■生没年:  
宝暦8(1758)年 〜 安永8(1779)年   ( 22歳 ) 江戸時代の天皇
急逝による後継の準備のため、実際よりも後の日付で、
崩御が発表されており、在位日が崩御後も続いている。
■在位:
明和5(1768)年 〜 安永8(1779)年安
■別名異称:
英仁 ( ひでひと )
■ 皇后・皇妃 :
女御 ・ 近衛維子( 盛化門院・1759〜1783 )   
       ‖莪豺捗 ・ 欣子内親王( 光格天皇中宮・1779〜1846 )  
       ⇒椹 ・ 兼仁親王( 光格天皇・119代・閑院宮典仁親王の第六王子・        1771〜1840 )
■皇居:
平安京  ( へいあんきょう・京都市 )
■御父:
桃園天皇 ( 116代 )の 第1皇子
■御母:
一条富子
後桃園天皇(118代)および伏見宮貞行親王の母。准三宮。
女院 ・ 院号は恭礼門院( きょうらい もんいん )。 一条家の本姓は、藤原氏なので「 藤原富子 」と記されることもある。
■御陵:
月輪陵  ( つきのわの みささぎ )
■陵形:
石造り九重塔
■所在地 :  京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺

第118代 後桃園天皇
明和5(1768)年2月19日・立太子(13歳)、明和7(1707)年・伯母 後桜町天皇(117代)の譲位を受けて即位。
病気がちであり、安永8(1779)年に、在位のまま22歳で崩御されている。
父( 桃園天皇・116代 ) も同じく22歳で崩御。

皇子女子が、欣子内親王(第一皇女)のみであったので、急遽閑院宮家より養子を迎え( 閑院宮師仁親王、即位後は兼仁に改名 )、光格天皇(119代)として即位させた。

欣子内親王(第一皇女)は、のちに光格天皇(119代)の中宮となった。

時の将軍 徳川家治(いえはる) と 田沼意次 の時代で、 綱紀はゆるみ、 勤王 思想は、
ますます大きくなっていった。
出典 後桃園天皇 − Wikipedia 
 
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過ぎゆく時を たいせつに・・・

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月輪陵はとてもりっぱな御陵ですね。。。〜☆〜

当時の事が偲ばれますね。

2010/8/28(土) 午後 10:04 bunbun

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フーミン♪さん>ようこそ。
象徴の方々が、大勢祀られていらっしゃいますから。
明治期は、陵の整備で大変だったでしょうねぇ・・・

2010/9/4(土) 午前 1:33 常夜灯


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