道端の出会い ①

このブログ「道端の出会い」を立ち上げて、10年が経ちました。感謝。

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第15代 應応神天皇
おうじんてんのう
恵我藻伏崗陵
えがの もふしの おかの みささぎ
羽曳野市 2010.12.
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応神天皇 恵我藻伏崗陵
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大阪・藤井寺市と  その隣  羽曳野( はびきの ) 市 の 

市内を 移動していると  街の中のあちこちに 小さな山が 目に入ります

海ぞいの 大阪市などよりは  少し高い土地ですが 高低差は小さく

ほとんど 平地といってよい地形で  山のない所です
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神社や お寺の森にしては 大きすぎ  平地に点在する 不自然な山に遭遇します 

藤井寺市内に いくつもある 古墳の一つで
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蕃所山( ばんしょやま )という 古墳で ↑ 地元 ( 藤井寺市藤が丘2丁目 ) では

古くからモッコ塚とも 呼ばれているようで  直径22mの 円墳の形をしています

住宅地開発で  街路の中に残された 古墳で 応神天皇陵を 作るとき 

モッコ( 畚 )を 置いたところと 言われ モッコ塚とも  呼ばれているそうです

古市 ( ふるいち ) 古墳群の  誉田御廟山古墳 ( こんだ ごびょうやま こふん )

と呼ばれる  第15代・應神天皇・恵我藻伏崗陵を  訪ねました

応神天皇 は 仲哀天皇(第14代) と 神功皇后 の皇子で 

仁徳天皇 (第16代)の  お父様 御陵です

幅60〜80mの 濠を持つ  巨大古墳で  面積では 仁徳陵についで  全国第2位

体積では 日本最大といわれていて  御陵の表面は  全体が葺石でおおわれ

数万本の 円筒埴輪が 並べられている  そうです

また 八つの 「 陪塚 」 が あろそうで  ↓ その二つです
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陪冢ろ号「栗塚」 ・ 陪冢に号 「向墓」

とにかく大きくて  やっとたどり着いたのが   誉田八幡宮 ( こんだはちまんぐう ) でした
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誉田八幡宮

誉田八幡宮 ( こんだはちまんぐう ) は

第29代・欽明天皇( 在位509〜571 ) の 命で 応神陵の前に 設けられた

日本最古の 八幡宮  と いわれています

八幡とは 應神天皇のことで  もともと  この神社は 

應神天皇陵の 後円部にあったが  平安時代( 794〜1192 )になって   

御陵に隣合う 現在の場所に  移された そうです

9月15日の秋祭りには   国宝の神輿が  境内にある 太鼓橋を渡って  應神陵に渡御して
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太鼓橋を渡って

御陵の後円部頂上にあった  御堂までお上りする  盛大な祭礼が 儀式が行われる とか

誉田八幡宮拝礼ののち  恵我藻伏崗陵遙拝所へ    濠を半周りしようと しましたが

ここも 古墳を背に 住宅開発が 押し寄せて  一周はできません

大きな陵です    簡単に正面遙拝所に たどり着きません
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やっと たどり着いて      

正面近辺は 頑丈な生け垣が 幾重もかさなって  立ち入り禁止  

雄大な濠を見ることは 出来ません    航空写真で 我慢しましょう・・・
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誉田御廟山古墳  應神天皇陵
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第15代 ・ 應神天皇( おうじんてんのう )
 
実在性が濃厚な  最古の大王(天皇)とも言われるが、仁徳天皇(第16代)の条と記載の
重複・混乱が見られ、 応神 ・ 仁徳 同一説などが出されている ようです

その年代は 『 古事記 』 の 干支崩年に従えば 4世紀後半となり

『 記・紀 』 に記された 系譜記事からすると  
應神天皇は  当時の王統の有力者を 合成して作られたものと 考えるのが
妥当であるとする 説がある そうで

この実在の不確かさもあり 大王の実像をめぐっては 諸説が出されている ようです

■生没年 :  
仲哀天皇9(201)年12月14日(1月5日) 〜 応神天皇41(310)年2月15日(3月31日)
111歳 『 古事記 』 には 130歳 )
■在位 :
應神天皇元(270)年1月1日(2月8日) 〜 應神天皇41(310)年2月15日(3月31日) 弥生時代
■別名 諱:
誉田別尊 ( ほむたわけのみこと )、 大鞆和気命( おおともわけのみこと )
誉田天皇 ( ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと )
胎中天皇 ( はらのうちにましますすめらみこと ) などと称される 
■皇后 :
   ◎ 皇后 ・ 仲姫命 ( なかつひめのみこと ・ 中日売命 )  − 品陀真若王女
       荒田皇女 ( あらたのひめみこ、木之荒田郎女 )
       大鷦鷯尊 ( おおさざきのみこと、大雀命 ・ 16代・仁徳天皇
       根鳥皇子 ( ねとりのみこ ) − 大田君祖
■皇妃・皇子女 :
   ◎ 妃 ・ 高城入姫命 ( たかきのいりびめ ・ 高木之入日売命 ) − 品陀真若王女、仲姫命
         同母姉
       額田大中彦皇子 ( ぬかたのおおなかつひこのみこ )
       大山守皇子 ( おおやまもりのみこ ) − 土形君・榛原君祖
       去来真稚皇子 ( いざのまわかのみこ・伊奢之真若命 ) − 深河別祖
       大原皇女 ( おおはらのひめみこ ) - 『 先代旧事本紀 』 は弟姫命の所生とする。
       澇来田皇女 ( こむくたのひめみこ、高目郎の娘 )

      皇妃は 皇后を除いて10人 子は24人(?)です
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応神天皇陵の杜と 宮内庁事務所

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過ぎゆく時を たいせつに・・・

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