道端の出会い ①

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第108代 後水尾天皇
月輪陵 
つきのわの みささぎ
京都 東山区 2010.8.
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月輪陵

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月輪陵
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月輪陵

第108代 後水尾天皇 ( ごみずのお てんのう )

■生没年:
文禄5(1596)年 〜 延宝8(1680)年  ( 89歳
■在位 : 
慶長16(1611)年〜 寛永6(1629)年
■別名 : 
政仁 ( ただひと )
■皇妃 皇子女:   
中宮・ 徳川和子( 1607〜1678 ) 徳川秀忠の娘(五女)で、徳川家康の内孫。
後水尾天皇の中宮。 明正天皇の生母。
また 女院として東福門院( とうふくもんいん )。
     ‖萋鷙捗・興子内親王(明正天皇・1623〜1696 )
    第三皇女・昭子内親王(1625〜1651)
     B萋鷙鳥辧高仁親王(1626〜1628)
     ぢ荵姐鳥辧若宮(1628)
     ヂ荵郵捗・顕子内親王(1629〜1675)  
     β莽珊捗・賀子内親王(1632〜1696)
     第七皇女:菊宮(1633〜1634)
典侍・ 園光子(壬生院・1602〜1656)  
     第四皇子・紹仁親王・後光明天皇・110代・1633〜1654)  
     第六皇子・守澄法親王(1634〜1680)  
     第十皇女・元昌女王(1637〜1662)
     第十一皇女・宗澄女王、幼称は谷宮(たにのみや)(1639〜1678)
        持明院基子に養育される。1654(承応4)年得度、1654( 承応3 )年
        霊鑑寺創建・開基。 法号・浄法身院宮月江宗澄尼大禅師。
    第十三皇女・桂宮(1641〜1644)
典侍・ 四辻与津子( およつ、明鏡院 ? 〜1638 )
    第一皇子・賀茂宮(1618〜1622)
     第一皇女・ 梅宮 ・ 沢宮。号は文智大通女王、( 円照寺尼門跡・1619〜1697 )
典侍・ 櫛笥隆子(逢春門院)(1604〜1685)  
     第五皇女・理昌女王(1631〜1656)
     安荼濤鳥辧某(1633〜 )  
     第八皇女・光子内親王(1634〜1727 ・ 元瑤尼 ・ げんように)  
     佳菷皇子・良仁親王(後西天皇)(1637〜1685)   
     蛎莇綛鳥辧性真法親王(1639〜1696)  
     澗莉銃鷙捗・摩佐宮(1640〜1641)
      (21)第十四皇女・理忠女王(1641〜1689) 
  (22)第十一皇子・穏仁親王(第三代八条宮・1643〜1665)
(23)第十三皇子:道寛法親王(1647〜1676)
典侍・ 園国子(新広義門院)(1624〜1677)   
  (24)第十皇子・尭恕法親王(1640〜1695)
     (25)第十五皇女・常子内親王(1642〜1702 徳川家宣正室近衛熙子の母・)
     (26)第十四皇子・眞敬法親王(1649〜1706)  
     (27)第十六皇子・尊證法親王(1651〜1694)  
     (28)第十九皇子・識仁親王・霊元天皇・112代・1654〜1732)
     (29)第十七皇女・永享女王(1657〜1686)
典侍・ 新広義門院 園国子   ? 四辻継子)
     (30)第十二皇子・尊光入道親王(1645〜1680) 
     (31)第十八皇子・盛胤法親王(1651〜1680)
    (32)第十六皇女・文察女王 (1654〜1683)
宮人・ 水無瀬氏子( ? )   
     (33)第九皇女・新宮(1635〜1637)
     (34)第七皇子・性承法親王(1637〜1678)
■皇居:
平安京 ( へいあんきょう・京都市 )
■御父: 
後陽成天皇 の第3皇子
■御母 :
近衛前子  後陽成天皇女御。後水尾天皇母。父は近衛前久、母は若狭武田氏か。
猶父は豊臣秀吉。
■御陵:
月輪陵 ( つきのわのみささぎ ) この天皇以降から土葬

この天皇と 徳川秀忠 の時期に、徳川幕府の朝廷支配が完成したというのが通説である。

徳川家康秀忠 は、形式上は朝廷を補佐する形 で、天下を支配した。

徳川幕府の支配体制は、家康、秀忠、家光の三代で完成を見るが、朝廷との関係はとくに、秀忠時代の後半に完成したと見られる。

徳川将軍秀忠は、娘「 和子 」を、この天皇( 後水尾天皇 )に嫁がせ幕府による皇室管理の強化を図った。

後陽成天皇(107代)の 第3子にあたる後水尾天皇(108代)は、生涯幕府に対する抵抗の
姿勢を崩さず、和子の産んだ興子内親王( おきこないしんのう・のちの明正天皇・109代・女帝  ) に独断で皇位をゆずり、自らは明正、後光明(109代)、後西(111代)、霊元(112代)と51年に渡る院政を引き、皇室に大きな影響力を及ぼした。

学問を好み、55才で出家して、のちも30年を生き天皇としては、異例の長寿を全うした。
画像 無断で借用しました  借用もとはここ

路傍人・御陵巡礼索引は ここをクリック
過ぎゆく時を たいせつに・・・
泉涌寺 月輪陵
第87代四条天皇 〜
25陵・5灰塚・9墓
つきのわのみささぎ
天皇家菩提寺
京都 東山区 2010.8.
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泉涌寺 山門

京都・今熊野泉山町の 泉涌寺 (せんにゅうじ) 

横の参道を進むと 観光客で賑わう街とは 違った空間を感じます

泉涌寺は 皇室の御菩堤所として 特異な格調高い法域で 

寺院の東の丘陵には 皇室の陵墓  月輪陵が 静かに眠りられる聖域です 
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月輪陵
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月輪陵・人工衛星はとらえていました。

皇室との特殊の縁故は  月輪大師( がちりんだいし ) 寂(安貞元・1227年) の のち

4年を経た寛喜3(1232)年に 四条天皇(87代)として即位 僅か12歳にして崩御された 

これよりさき 御父の 後堀河天皇(86代)は  泉涌寺山内の観音寺陵に 奉葬されていた

四条天皇は この山陵を心に止められ  月輪大師の御廟(開山堂)の近くに

ご自身の御陵を築くよう 遺言されたとういう

こうした縁故に続いて  南北朝時代 の 文中3(1374)年 後光厳院( 北朝4代 )を  

ここで火葬されて以降 その前後 9代の天皇の火葬所に 当てられ

さらに 後水尾天皇(108代)から 明治天皇(122代)の父上様の 孝明天皇(121代)に

いたるまで  歴代天皇・皇后・皇族の廟所となり  皇室の御香華院(御菩堤所)と
 
定められた そうです

25陵
第87代・四條天皇、    追尊・陽光太上天皇、        第109代・明正天皇、
第110代・後光明天皇、 第108代・後水尾天皇、        後水尾天皇皇后和子、
第111代・後西天皇、  第112代・霊元天皇、          霊元天皇皇后房子、
第113代・東山天皇、  第114代・中御門天皇、        中御門天皇女御贈皇太后尚子、
第115代・桜町天皇、   桜町天皇女御尊称皇太后舎子、
第116代・桃園天皇、   桃園天皇女御尊称皇太后富子、  第117代・後桜町天皇、
第118代・後桃園天皇、 後桃園天皇女御尊称皇太后維子、  
第119代・光格天皇、   光格天皇皇后欣子内親王、
第120代・仁孝天皇、   仁孝天皇女御贈皇后繋子、      仁孝天皇女御尊称皇太后祺子。
5灰塚
後土御門天皇灰塚、 後柏原天皇灰塚、  後奈良天皇灰塚、  正親町天皇灰塚、
後陽成天皇灰塚。
9墓
正親町天皇皇子陽光太上天皇妃晴子、 後陽成天皇女御中和門院藤原前子、
後水尾天皇後宮壬生院藤原光子、   後水尾天皇後宮新広義門院藤原国子、
後水尾天皇後宮逢春門院藤原隆子、
光格天皇皇子温仁親王、  光格天皇皇子悦仁親王、
仁孝天皇皇子安仁親王、  仁孝天皇後宮新待賢門院藤原雅子。
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制札

ここ  泉涌寺境内の 月輪陵に 祀られてお方は ↓ の画像・制札通りです

ご参照ください。
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謹んで二礼二柏手を致します。
   
上 ↑ の 制札のうち 

第87代 四条天皇  第108代・後水尾天皇 〜 第120代・仁孝天皇までの 

14墓については  従来どおりの形で  順次更新します ご覧願います 
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霊明殿  
路傍人御陵巡礼索引は ここ
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