道端の出会い ①

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第3代 安寧天皇
あんねい てんのう
畝傍山西南御陰井上陵
うねびやまの ひつじさるのみほとのいのえの みささぎ)
橿原市 2010.11.
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畝傍山西南御陰井上陵
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安寧天皇陵は  神武天皇(第1代)陵 と 綏靖天皇(第2代)陵から  

少しだけ  離れた所に位置します

第4代・懿徳天皇( いとくてんのう )畝傍山南纖沙渓上陵 を 

右折して 分岐があっても  右方向 道なりに10分も歩くと  

道路から 左手に御陵 が  見えてきます

参拝している間も  うしろを車が通り抜けていきます・・・
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欠史八代 ( けっしはちだい ) という文字の 御陵

記紀 には  名前とか皇后・皇子とかの  記述があるだけで

どんな人で  何をおやりになったか  書かれていない そうで

陰陽思想  の 讖緯説( しんいせつ ) に基き

神武天皇の即位を  紀元前660年にする 必要が あったので

ぽっかり空いてしまって  無理矢理8人の  天皇をお並べになった  だろうか ?

との記述も   見え隠れしています・・・ 
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第3代 ・ 安寧天皇( あんねいてんのう )

■生没年 :  
5(紀元前577)年 〜  安寧天皇38(紀元前510)年12月6日(1月17日)
『 日本書紀 』 57歳(67歳?)、 『 古事記 』 に49歳。 (57・67・49歳
■在位 :
綏靖天皇33(紀元前549)年7月3日(8月31日) 〜 安寧天皇38(紀元前510)年12月6日(1月17日)
在位38年で崩御。             
■別名 :
磯城津彦玉手看尊 ・ 師木津日子玉手見命
■皇后 :
渟名底仲媛命   ( ぬなそこなかつひめのみこと )
■皇妃・皇子女 :
○ 大日本彦耜友尊( おおやまとひこすきとものみこと、懿徳天皇・4代 )
○ 磯城津彦命  ( しきつひこのみこと )( 子孫は中原氏? )
■皇居 :
片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)。 『 古事記 』 にも「 片塩浮穴宮 」。
所在地については、以下の3説がある。
1. 奈良県橿原市四条町付近    ( 『帝王編年記』 『和州旧跡幽考』 )
2. 奈良県大和高田市三倉堂・片塩町    ( 『大和志』 『古都略紀図』 )
3. 大阪府柏原市内   ( 『古事記伝』 『大日本地名辞書』 )
前後の諸宮が全て奈良盆地の中に位置しているので、候補としては第1・2説が有力とみられるが、その詳細は不明である。
■御父 :
綏靖天皇 ( 第2代 )
■御母 :
五十鈴依媛命( 河俣毘売 )
■御陵名 :
畝傍山西南御陰井上陵( うねびやまのひつじさるのみほとのいのえのみささぎ )に葬られた。
『 古事記 』 に「 畝火山の美富登( みほと ) 」。
現在、同陵は奈良県橿原市吉田町に所在する俗称「アネイ山」(山形墳)に比定される。
元禄修陵では所在を誤ったが、幕末修陵に際して現陵に治定。
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陵号の由来になったとされる、古井戸の「 御陰井 」が 陵南の集落中にあり、
陵と共に、宮内庁によって管理されている。
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陵のすぐ南、御陵の駐車場前から坂を下った集落の中です
■陵形 :
山形
■所在地 :
奈良県橿原市吉田町
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第3代 安寧天皇    
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが、実在説もある。
欠史八代の実在説  を参照。

「 記紀 」 特に記録はされていない。
綏靖天皇25(紀元前557)年正月に立太子、同33年(紀元前549年)父天皇の崩御を受けて、7月に即位。
出典 安寧天皇 − Wikipedia  
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立入禁止のフェンスに囲まれた 陵の遠景

路傍人の 御陵巡礼索引は ここです
過ぎゆく時を たいせつに・・・

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