道端の出会い ①

このブログ「道端の出会い」を立ち上げて、10年が経ちました。感謝。

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京の路地(ろおーじ)歩き
祇園町(四条通)南側の路路 
御陵前通・御陵前通の図子(辻子・ずし)
京都東山区 2013.5. 
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御陵前通・青柳小路・南園小路等の一覧図

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安井北門前通と御陵通の埋め込み交差表示
御陵前通 ( ごりょうまえ どうり )

) 南北の通りです

祇園甲部の 東端を南北に通る小道で  その道沿いに 「崇徳天皇御廟」 が
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在ることを知りました   御廟から 「 御陵前通 」 の 名ができたのでしょう

御陵前通は南北の通りで 

北の端は 「 市立弥生中学校 」
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南端は既更新の 安井北門通 で 

距離にして 200m程度の 短い距離です
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                     ↑ の画像は南側から北側を見ています
 

天皇家の御陵は  各地に在りますが  祇園の真ん中にある御廟です

既更新記事の通り 大正 ・ 昭和天皇の御陵 ( 八王子市 ) をのぞいて 巡拝しました  


崇徳天皇は 既に 安井北門通 で書きました が
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5歳で第75代の皇位に  在位( 1123年〜1142年 )されましたが

上皇に退いていた後の  1156年に 「 保元の乱 」 に敗れ 讃岐国に流されました

崇徳天皇陵墓は 「 白峯陵 」 と呼ばれ  没した 香川県坂出市青海町にありますが 

不遇な身の上を慰めるため  この地にも  御廟がつくられた   といわれています

 白峯神宮 しらみねじんぐう 京都府京都市上京区にある神社で、配流されてその地で歿した崇徳天皇・淳仁天皇を祀る。
幕末の動乱期、孝明天皇は異郷に祀られている、崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を
京都に移すよう幕府に命じたが、その後間もなく崩御した。
子の明治天皇がその意を継ぎ、現在地に社殿を造営し、慶応4(1868)年、御影堂の神像を
移して神体とし白峯宮を創建した。
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万寿小路の西側  御陵前通に分岐の箇所  

「 祇園花見小路甲部歌舞錬場 」の  非常口至近
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楠の巨木の根元に  ひっそりと 祀られています 

歓楽街の片隅にある 天皇廟に 京都の奥深さを感じます


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御陵前通 南側のお茶屋さんの玄関と名札

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お店 本日休業のお知らせ
                              京都の奥床しさ ?

御陵前通りと  青柳小路との接点の右側 

御陵前通りの  東側へ一歩外れた先に 行き止まりの袋小路

「 図子 ・ 辻子 ・ ずし 」 に 出会いました ( 巻頭図ご参照 )
 
路〜地進入に  何時もの事ながら  私有地かもしれず

ためらいと 勇気を出して  歩みを進めます
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               左側画像・ここにお住まいの方の名字札が掲げてあります
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行き止まりの路地

きっと グーグル ストリートビュー ( Google StreetView )も知らない 図子かもねぇ 〜・・・ ?


ご覧いただいて有り難うございます。
次回更新  祇園町南側の小路 へ続きます
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祇園町南側の路地

過ぎゆく時を たいせつに・・・

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