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映画世界・・・宝物

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さまよえる魂

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母が私にこの歌を

教えてくれた 昔の日

母は涙を浮かべていた

今は私がこの歌を

子供に教える時となり

教える私の目から 涙があふれ落ちる

(ドヴォルザーク:作曲)




この歌曲を、高校時代によく聴いていた。


FTMである自分と、クラスの好きな女の子、

そしてそれを知ってしまった母親との


狂わんばかりの渦のなか、すべての折り合いをつけるために、

何かにすがりつくように。


この歌曲は、とても根源的な癒しをくれた。




観たいと思いつつ、なかなか観ることができずにいた 

『 メゾン・ド・ヒミコ 』 の中でも

この歌は根底に流れ続ける。


傷ついた魂、孤独な魂、さまよえる居場所のない魂に、

大陸的な愛を与える。




けれども、この映画が大好きなのは、

ひと昔前のゲイムービーにありがちな、

「 幻想的な悲劇 」が描かれていないことだ。




ゲイの人々だけを住まわせる老人ホームでは連日、

近隣の人々からの偏見からくる、露骨な嫌がらせが続く。


だが、誰も悲劇の主人公にはなっていない。


そのかわりに、清く真っ当で、どこまでも貫かれた美しい、

偏見への怒りが、キラキラと存在している。




そしてさらに深遠にある、現実を直視した、

ひとりひとりの人間の生き方が描かれている。


ゲイが、決して特別な存在ではなく、孤独、哀れ、喜び、葛藤を

抱いた、愛しいひとつの魂であることが、


ゆっくりと浮かび上がってくる。




脳梗塞で倒れる人がでたことで、

よりいっそう老いへの不安感がつのる日々。




だが、この映画には初老の人間だけでなく、

中学生のゲイの姿も登場する。


友人達にゲイであることを打ち明け、

こんな自分を嫌いになったのなら、


無理に友達でいてくれなくてもよいと告げる。





これらすべては、現実である。


マイノリティーに対して、いつも静かに残酷な

排除をしようとする大きなうねり。




この歌曲とともに流れているものがもうひとつ感じられる。


ユーモアとお気楽な精神だ。



人間は、どこか滑稽で、お気楽で、深く悩んでいるようでいても、

絶えず楽しみをみつけられる、


そんな生きものだということを、教えてくれる。




人間が、好きになれる映画なのだ。

ビョークの[ネズの木]

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その世界は、残酷極まりない。


そして辛辣なエロティシズムが内在されている。


そして皮肉なことに、それらは我々の内在を描写したものである。



それがまさしくグリム童話。



心理学を学ぶ者には、避けて通れぬ書物となるが。



中でも「ねずの木のはなし」は、あまりの残酷さに言葉もない。





継母に騙され、首を切断された少年は、バラバラにされた挙句にスープの具となって食卓へのぼる。



実の父親は帰宅すると、あまりのおいしさに、それをすべてたいらげる。




ビョークが20歳のデビュー作に演じた映画 「 ネズの木 」 は、そんな果てしのない


地獄の深みを、静かにゆっくりと、そしてどこまでも不気味に美しく我々の魂に刻んでゆく。




魔女の母親を焼き殺された姉妹。


2人は、妻を亡くした美しい男と、その息子である幼い少年の暮らす家に、身を隠すかのように転がり込む。


やがて少年は、姉の手により周知の運命をたどり、指を切断され、唇を縫いつけられて川に捨てられる。



残されたのは、少年の魂と、死者を見ることのできる孤独な妹だけ。





アイルランドの美しくも混沌とした風景。


そこに響き渡る不思議な歌ともつかぬ声。





そして、静かに突然出現しては、哀しみをたたえて微笑むだけの本妻の霊魂。


その姿を嬉しそうに見つめる幼いビョーク。




孤独、不安、嫉妬、情熱、哀しみ、畏れ。


人間の内面に潜む多様な心を、暗い幻想世界が抱え込む。



だが目をそむけることはできない。




これは我々誰もが心の奥底に持っている、現実の世界でもある。

映画の中の自分

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もう、自分にも周囲にも嘘はつけないし、苦しい。


疲れてしまった。  限界だから話してしまおう。



そして自分も、今の自分から自由にならなければ、本当じゃない。


本当のことを知ってもらいたい、わかってほしい。


そのうえで、これからの人生、今までと同じように接していってほしい・・・・。 




そう思っていた頃、天からの贈り物のように、性同一性障害の主人公を描いた映画がやってきた。



        フランス映画 『僕のばら色の人生』 (原題:「MA VIE EN ROSE」)




男の子として生まれたリュドヴィックは、何の疑問も持たずに自分を女の子だと感じている。


将来は、好きな男の子のお嫁さんになる。 綺麗なドレスを着て。


大好きなのは、お母さんの目を盗んで、お化粧をしてみること。


人形で遊ぶこと、可愛いスカートをはくこと。



しかし、自分には当り前で、普通のことが、周囲には奇異にしか映らない。


僕は見ていてとても切なかった。


リュドヴィックの中の「本当の私」は、どんどん大きく育ってゆく。


それと同時に、両親までもが奇異や偏見の目で見られるようになる。


やがてそれは嫌悪にかわり、ついに学校全体にまで波紋が広がってしまう。




心やさしい父母はそれでも、息子の心を知ろうと必死だった。


けれど、息子の屈託ない言動や行動が、急激に膨れ上がってゆくにつれて、両親もしだいに


苛立ちを見せ始める。




女の子らしく伸ばした髪。 鏡で見るのが好きだった。


その髪を、母親が「男の子なんだから」と言って、刈り上げてしまうシーンには胸が詰まった。


リュドヴィックは、涙を溜め、絶句していた。 


母親もつらかっただろう。




けれどこの映画の素晴らしさは、全体がファンタジーで包まれているところだった。


真正面から考えなければいけないこと、大切なことはきちんと語っている。


苦しさの中にある真実を物語る時、この世は、まさしくおとぎばなしであり、我々はその中を、


光に向かって、泣きながら、笑いながら、もがきながら生きているんだということを感じさせる。




リュドヴィックも家族も、ボロボロに傷ついてゆく。


しかし、少しずつ少しずつ、周囲の無理解は、受け入れへとかわってゆく。


一体、その中のどれほどの人が本当に、理解してくれたのか、受け入れてくれたのかはわからない。


けれど、当事者の僕らも、絶対に強要はできないのだ。 時間が必要なのだ・・・・・。




映画のラストで、リュドヴィックと同年代の性同一性障害の女の子が登場する。 


女の子として生まれてきたが、中身は男の子だ。 


この子供も、深い悲しみの表情をたたえている。


         

         それでも未来は明るいに違いない。 


         物語の最後には、希望の光が射している。




ほぼ満員に近い映画館のお客さん達は、皆泣いていた。 


立ち上がる人なんて誰もいなかったんだ。




僕には、それだけで充分だった。

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僕は、ユダヤ人作家でありノーベル賞作家でもある、アイザックB・シンガーがとても好きだった。

中学生の頃「 愛のイェントル 」、「 短い金曜日 」 などを読んで、いつもその世界に耽った。



社会人になりたての時期には、仕事の帰りに東京駅の八重洲地下街を歩いて帰ることが多かったのが

それは、大好きな古本屋に行けるからでもあった。

古い本の、においが好きだった。

古い本は、様々な人に読まれてきた時間と空気を抱いた、独特なにおいがする。

時々鼻炎にもなるけれど。



書籍ではなく、古い映画のパンフレットを一時間ぐらい見続けてしまうこともあった。

そこに運命的な出逢いがあった。



あのアイザックB・シンガーの 「 愛のイェントル 」 が、映画のパンフレットとして存在していた。

1984年に公開されていた、バーブラ・ストライサンド主演の「 愛のイェントル 」。

しかもこの映画は、ミュージカル映画だった。

僕がまだ子供だった頃、この映画はすでに上映されていたのだ。



くたびれたパンフレットには、僕が中学生の頃に本を読んで想像を広げていた世界が、あまりにも

美しい映像となって生きていた。

そして、イェントル役の女優、バーブラ・ストライサンドは、とても神秘的な青年に変身していた。



まだ女性が学問をする権利を与えられていなかった時代のポーランドで、どうしても

学問をしたかった女性イェントルが、決死の男装をしてユダヤ教神学校へ入るところから物語が始まる。




著者と同じユダヤ人である女優のバーブラ・ストライサンドは、愿作を読んでとても心を動かされ

制作、監督、脚本、主演、歌唱をすべて自身でこなしていた。


中学生の自分が人知れず部屋で読みながら、情動掻き立てられていた時の、あのおもいを

大女優も感じていたことがとても以外で、そして嬉しかった。



付き合っていた彼女が、苦労してやっと見つけ出してくれたおかげで、ビデオではあるが

晴れて映画を観ることができた。



以来、この映画は僕の大好きなものとなり、ビデオを見つけ出してくれたのと同時に、

彼女がサントラCDもプレゼントしてくれた。

バーブラが歌う音楽も、大変素晴らしかった。




現在、引越しの作業で手がとまってしまうのは連日のことであったが、今日、手がとまってしまった

のはまさしくこの映画のパンフレットのせいだった。



パラパラとページを繰ると、どこかで聞きなれた声がする。

なんとテレビにバーブラ・ストライサンドが出て、しゃべっているではないか !

しかも、 「 愛のイェントル 」についてを語っている・・・・・。



これはシンクロニシティだった。

心臓がドキドキしたが、まさしく共時性に他ならない。


彼女が語ってくれた言葉は、今の僕をとても勇気づけた。




  何かをやり遂げようと決めた瞬間に、世界は自分の味方になるのよ 

  
  自分が内面に描いている世界、思考、意識が、まわりの世界にも浸透するの 
 
  
  それが現実となるのよ

  
  真実の力はすごいのよ

  
  常に敏感であること

  
  感動すること


  
  そして、人間にとっての決め手は、誠実であること

ハイ・アート

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自分に正直でありたいと願う。 

自分に正直に生きてゆけたら本望だと。

けれど、正直に生きるということは、同時に酷なことでもある。

時に誰かを傷つけ、自分を傷つけ、己の世界を限界に追い込むこともある。

それでも人は、正直にしか自分を生かせない。


彼女と渋谷の小さな映画館で観た「 ハイ・アート 」。

この映画は、まさにそんな世界だった。


写真家である女性2人の恋愛は、とても美しく幻想的で、現実的だった。

自分の魂に正直に生きた2人。

その結果、1人は死を選び、もう1人は、相手を死へと導いてしまった事実に絶望する。


そして、この映画を観てからほどなくして、僕と彼女は別れた。

彼女はこの映画を観た後、何を感じたのだろうか。


自分の中心に座する真実に嘘はつけない。

時に酷な状況を生もうとも、簡単に立ち直れぬほどの悲しみを抱えることになろうとも

自己の真実のままにしか、生きられない。


それにしても僕は、なんでこんなことを考えて、ひとり、噛み締めているのだ。

そうだ、本棚からドサッと落ちてきた書籍に混じって、この映画のパンフレットに手が触れたから。

だからなのだ。 


そう思うことにした。

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