と或る言い争い 最近仕事場で、私が「仕事場内で自分を一番大事にしている」という派であることを、責められました。
「仕事場内に居る限り、一番大事なのはお客様だ」と、責められました。
その事件の経過報告です。
なんだか、誤解されているみたいでした。
私は「自分の身を一番大事にする」という言葉を選んでいたのですが、 その意味は「自分の心を一番大事にする」という意味であり 「危険な場面でお客様の体を守るよりも自分の体を守ることを優先する」という意味ではありません。 「職員の心」が満たされていて平静であることは、「お客様の体」「お客様の心」「職員の体」を守れる状態であることです。 「良いサービス」の手前に有ること…その手前に有ること…そのまた手前に有ること…という風に後ろに下がっていき 元の元を探ると、そこには「満たされていて平静な職員の心」が有ります。 元の元を辿り、原因を変化調節保持することで現れる結果を操作しようという方法を私はしようとしています。 また私が「仕事中お客様を一番大事にする」と考えない様にしている理由は、そこまでの実力は
まだ私には無いと感じているからです。 実力が無いくせに下手に余裕をぶっこいて、「自分より相手が大事」なんて言っちゃう方が寧ろ無責任で 危険だと考えているからです。 誤解されているやと気付いたきっかけ 「介護の仕事では利用者様の盾になるつもりで居て下さい」と言われて「ん?そう思っているけれども…なんで今更?」
と感じました。 その言葉がきっかけで、私が言った「仕事中に自分の身を一番大事にする」を相手側が「仕事中に自分の体を一番大事にする」 という意味で取って誤解しているのだということに気が付きました。 「心」という言葉を入れれば誤解が無かった様です。 自然な心の変化 今日、「能力高い系」(ハイブリッド型・技術高い・注意力高い)の職員さんが居なかったので、
「能力低い系」(ピュア型・技術低い・注意力低い)の職員だけで頑張っていました。
その中で…けっこう自分が、色んなことを考えて組み立てながらササササと動けたので、なんだか自信が付きました。
そうしたら、自分は「ハイブリッド型・技術低い・注意力低い」というタイプなのだと気付きました。
自分自身のことはけっこう大丈夫なんじゃないかと思えたら、自然と「お客様が一番大事」という思想を受け居られていることに気付きました。
まず自分自身のことをしっかり固めて…固めている最中は「自分より相手が一番です」なんて言っていられませんし、たぶん、言っちゃいけません。
でも、リラックスした心(或る程度満たされていて、平静を保てている心)の状態(余裕の無い状態)ならば、
「お客様が一番大事」という思想に自然と成れることに気付きました。
なんでわたしが「自分が一番大事」と言っているのか…言わなければならないのかというと。
わたしの心の状態を乱してくる職員が居るからです。
今日、私の心の状態を乱してくる職員が1人も居ない状態の職場で、私は自然と自分が持っている最大以上の能力を発揮できましたし、
自然と「お客様が一番大事」だと感じながら仕事をしていました。
つまり、結局は職員の心が平静で無ければ「お客様の体を大事に」なんてできないということです。
以下は詳細な説明です。 ○上流を操作し、下流を思い通りにする 或る方が「入居者様の盾になるつもりで思っていてください」と言われたので
「ん?そんなの当たり前だと思うし、私もそのつもりだったけれども、なんで今更それを私に言うんだ?」 と思って、「誤解」の存在に気が付きました。 勿論、入居者様の心や体に害が及びそうな危険な場面において 職員が盾になるべきだと考えていますが。 その「場面」に気付く為には、つまりしかるべきときに盾を成る為にはまず 自分自身の心が或る程度満たされていて、平静を保っている必要が有ります。 他の職員の悪いところばかりを、毎日の様に他の職員に聴こえる様に
職場内で言い捲る職員が居れば勿論、「職員の心」の平静は崩れます。 そうすれば、「職員の体」「お客様の体」「お客様の心」に悪い影響を与えることになります。 「職員の心」は言わば「川の上流」に値します。 そこが汚れると、川の下流も汚れます。 盾になりたくても、威圧的な行動や口調の職員が居ると、威力で周りの職員の
注意力、思考力、を抑え付けることになります。 注意力が落ちれば、入居者様が危険行為をしていることに気付くことができません。 思考力が落ちれば、入居者様の健康を増進維持する環境づくりの為の行動を思い付いたり組み立てることができません。 だから「威圧的な行動を取る人」や「威圧的な口調の人」は自分では 「悪いところ」を指摘して職場を良い方向へ導いているつもりで 結局のところ威力業務妨害をしていることになっています。 「こういうところが危険だと気付いたので、こうしていきましょう」「はい、わかりました」
とかいう悪いところを示してそれに対する策を提案するということを 冷静に丁寧に他の職員に伝えるならば、それは純粋に「職場を良い方向へ導く行為」ですが。 それを威圧的に注意するならば、「職場を良い方向へ導く行為」と「職場を悪い方向へ導く行為」の両方を同時に行っているということになりま す。
勿論、「威圧的な行動や口調がへっちゃらに成れ!」という威圧的な意見を持つ方も居るでしょう。 「職員の心」そのものを強くするという方法も必要で、有効なのですが。 人間の心はやはり人間の心なので、どこまでぇえも強くなるということは無理でしょう。 どんな大人でも、心の中には「子供」が居ます(インナーチャイルド)。
その心の中の子供を怯えさせれば、その人は恐怖で委縮します。 委縮した人は周りに反撃を与え始め、他者を扱き落とすことで自分の優位性正当性の高さを示し味わい 自分の中の心の中の子供を守ります。 もしくは、委縮した人は鬱病に成るか体を壊します。 「お客様を一番に考える」というのは、たしかに正解では有るのですが…。 完全なる正解とは言えないと、私は考え抜いた結果、気付いています。 「お客様だけを大事にする」という意味合いを含む「お客様を一番大事にする」という思想は 「職員に対する所作や言葉遣いを粗末にしても良い」という思想を生み出します。 お客様の心と体を守る為には、まず、職員自身の心が満たされていて平静であることが第一条件です。
また体が健康であることが第二条件です。 職場内に威圧的な人物が居ると、その人に心の平静を乱されて、できることもできなくなりますし できないことはもっとできなくなります。 ですから、私は「威圧的な人物が居る限りは職場内で、自分自身の心を一番大事にする」訳です。 ○自分より相手が大事…なんて言える人(言っても良い人)は余裕の有る人
また、私は私の能力を信じていません。
強迫神経障碍と注意欠陥多動性障碍の両方を持つ私が、そこまで高い能力を有するとは考えていませんでした。 自分にお客様を守るだけの、注意力も実力も無いのに、身の程知らずに無理をして「お客様が一番大事です」なんて言ったところで 「いや、お前はまず自分を守れよ。他人のことを守っている場合じゃねえだろ。」という話になると私は考えていました。 つまり、「お客様を一番大事にする」という心掛けをする権利を持つのは それに相応しい注意力と実力を持つ人だけだと考えていました。 私は私のことを、注意力の欠損している実力を持たない人だと考えていました。
だから私の立ち位置は 「お客様を一番大事にしている(できるくらい注意力を持ち、実力を持ち、心も体も健康である)職員」のサポートをすることだと考えていました 。
つまり、入居者様を間接的に守るタイプの仕事をサッサと済ませることだけが私の仕事だと考えていました。 所詮私にできることはそれくらいだろうと。 元々、他人のリアルタイムの行動に関する注意力が低く、程度や頻度の見当を付ける能力がほぼ無い私の心が
威圧的な職員によって乱されました。 だから余計に注意力と思考力を奪われて、もはや殆どなぁんにも気付け無い人に成ってしまっているので 余計に「先ずは自分の心を守ることに集中しなくちゃな」と考えたという流れです。 先頭を切って周囲を観察し気付き、思考し仕事を組み立てる人は何人か居る中で1〜2人が丁度好い気がしています。
皆が皆先頭を切ってしまうと、ぶつかり合ってめちゃくちゃに成ってしまう気がします。 ですから、メンバーの中に先頭を切る人物が現れたら、その人には「直接介護」をお願いして自分は「間接介護」に回る様にしていました。 「間接介護」に入った時点で、リアルタイムの動作に関する注意能力はオフにしていました。 私の中では、「今日は間接介護に回ろう」「今日は直接介護に回ろう」と決めていました。
こればかりは向き不向きが有り、私は間接介護の方が向いているので間接介護ばかりをしてきました。 そして、たまに直接介護に回っても(勝手に外へ出ていく認知症の入居者様を呼び止めるとか、お風呂介助とか) いつも「リアルタイムの動作に関する注意能力をオフ」にして過ごしているので、オンにしたところで全然気付けません。 …というのも有りますし、間接介護中も注意能力をオンにしていますが、仕事に自信が無いし余裕が無いので それにプラスして入居者を気にするというのができません。 その理由は、「何事も大事(おおごと)として、捉えてよく考えて真面目に行う」という思想をしているからです。
その真面目な心掛けが逆に、注意能力を下げるということに成っていたのです。 それに今気付きました。 だから、間接介護(掃除・シーツ換え・軟膏塗り・排便確認・洗濯)などは「どうでもいい」と軽く考えるべきなのです。 そして脳内に「余裕」を作り、その「余裕」を使って直接介護を行うべきなのでした。 …ただもう1つ付け足すことが有るとすれば、威圧的な職員が居ると生まれた「余裕」は狭まります。
全員が全員同じくらいの威圧さを持つならば、おさないで(威力に負けて黙る)必要なときに必要なことを言えます。 が、誰か異常に威圧的な人が居るともう言うべきことも言えなくなってしまいます。 そういう場合は、威力に負けないで言うべきことは言えたら良いけれども、悲しいかなどうしてもできないときは多々有ります。 話がずれてしまいましたが…話しを元に戻します。
私は障碍者ですし、物事の元の元の原因を探るタイプの人なので、相手を守る為の『準備の段階』を重視しながら話します。 一方、基本的に常に体が健康で、自分は弱者であるという意識の無い人は、準備段階でのあれやこれやは全部すっとばして、話をします。 私は、「お客様は一番だけれども、それならば、職員の心を先ず一番大事にする必要が有る」と考えています。 それを「職員の心を先ず一番大事にする」と省略してしまっていた様に思えます。 しかも「職員の心を先ず一番大事にする」を「職員の身を先ず一番大事にする」と言い換えてしまったのが悪かったのだと気付きました。 まとめてみると ・職員の心は、川の上流に値するのでそこを平静に保つことが大事 ・間接介護を軽く見做し、直接介護をする為の注意力を上げる 「川の上流」に関することについてもっと書いてみると…。 何を題材にして「介護における川の上流はどこなのか」を考えたのかというと、介護士が入居者に対して暴力を振った事件についてです。 事件を見て知って「あぁなんて酷い職員なんだ!地獄に墜ちろ!」という感情の反応をするだけの人が多いことは知っていますが。 そうやって感情の反応をするだけでは、再発防止にはなりません。 人間の行動は心構えだけで制御できるものではないと私は考えているからです。
どんなに、お年寄りを敬おう…敬わなくてはならないんだ…お客様なのだから大切にしなくてはならないのだと考えいても…。 自分の心にストレスが溜まれば、ふっと有るときに何かが切れて暴力を振ってしまうでしょう。 悪気が無くても。 だから、結局は何をどうすれば犯罪を防げるのか…どこに鍵(別の言い方をすればハンドル)が有るのかと深く私は考えます。
介護の事件意外のことに関してもそうです。 犯罪が起きた原因を探し、どの原因ならば操作が可能なのかを考えます。 「心構え」を操作するというのも1つの手ですが、人の心を変えるというのは自然の法則に逆らう様なものです。 また深層意識をいじくることは不可能であります。 人の心をいじくれたとしても、表層だけです。 もしも心の深層にストレスが溜まれば、表層でどんなに「ご老人は皆人生の先輩なのだから…」「入居者や入居者の家族はお客様は大事に…」 と心掛けていても、表層意識が深層意識に勝てることは奇異です。 殆ど有りません。 いつでも表層意識(頭)で深層意識(肚)を抑え付けられることを期待していては、危険です。 川の下流で操作を加えるよりも、川の上流で予め操作しておく方が、自然であり安全です。
だからこそ川の上流であるところの、「職員自身の心」を重要視しています。 元の元を良い状態にし、それに付随する事柄も良くし、最終的に現実世界で現れる現象も結果として良くするという方法です。 しかしたしかに、この「自然な方法」だけが、犯罪防止し、更にはまたより良いサービス提供をする方法ではありません。
肚(深層意識)では、全然お客を大事にしておらず、ストレスだらけでも 頭(表層意識)で抑え込んで、現す行為は良いサービスに変換する。 という風に、肚と頭の間に強力なフィルターを造り上げるという方法も有ります。 また、両方の方法を組み合わせる方法も有ります。 私が考えるに、基本的には自然な方法を使い、どうしても難しいときには不自然な方法を使うというバランスが
もっとも恒常的に安定して良いサービスを提供する方法です。 文責:大塚将俊
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