程度 わたしは、強迫神経障碍者です。
もしくは「でした」。
「程度・頻度」に関する感覚が欠損している傾向の有る人ということです。
そういうわたしが自動車教習所に通っています。
自動車運転についても、「どの程度から〇〇で、どの程度だと××なのか」というのがワカラナイということが有ります。
その中の1つについてまとめました。
見渡せる・見渡せない教習指導員の方は、「ここは見渡しの悪い交差点なのだから○○しなくちゃだめでしょ!」と自然と叱ってくるのですが。 何をもってして、「見渡しが悪く」てどの程度だと「見渡しが悪くはない」と判断しているのか当初はわたしからすると不明でした。
でも、4回程路上に出てみて色々な教習指導員と当たって、なんとなく掴めました。
下の図を自分で作りました。
わたしが受け取った(買った)教科書には、なにを持ってして「見渡しの悪い」なのかの定義が載っていませんでしたので自分で作りました。 どうやら、『自動車が通ることの出来るギリギリのラインまったくもって隣り合うラインから上空に向かって垂直に立ちはだかっている垣根とか壁が在る交差点』
のことを指すらしいです。
別の言い方をすれば
『垣根・壁から、歩道や路側帯や下水道などの間(ま)が全く無い交差点』を差すらしいです。
逆に言えば
『垣根・壁から、少し間が在って(歩道や路側帯)自動車が通るスペース(車道)が存在する交差点』の場合、
それは見渡しの良い交差点と呼ぶ様です。
図で言うと、一番上ならば「見渡しのいい交差点かな」と思えますが、
二番目だと、一番目よりかは、垣根や壁から車道までの距離が小さいです。
でも二番目でも「見渡しのいい交差点」と思えます。
でも二番目と三番目の間みたいな交差点が在ったら…、それは
『見渡しのいい交差点』と見做すのか、それとも『見渡しの悪い交差点』と見做すのか。
わたしは迷うでしょう。
…というかわたしの場合は…一番目、二番目、三番目、どれを見ても「じゃあ何センチと何ミリからが、見渡しの悪いになるの?」と考え始めてしまうので、当初は全然見当を立てられませんでした。
二番目と三番目の間みたいな場所だったら、「かもしれない運転」「安全運転」重視で、「見渡しの悪いめな交差点」だと脳内認定することに、わたしは今しました。
なんか、垣根や壁が車が走ることができるスペースとピッタリ隣り合っているか…もしくは、限りなく隣り合っているか…もしくは、ほぼ隣り合っている場合に、教習指導員は「見渡しの悪い」と見做しているようです。
つまり図の三番目のときに。
あと他には、アミアミの網の仕切りが存在する場合も「見渡しの悪い交差点」と同じようにするように言われました。
路側帯がちょこっと存在していましたが…それでも「見渡しの悪い交差点」だと指導員は認定しました。
だから…たぶん…、路側帯が在ったし、垣根や壁ではなく網だったから
「見渡しの悪いめの交差点」よりの「見渡しの悪い交差点」なのでしょう。
二番目の図と三番目の図の間で、且つ三番目より的な場所でした。
その場所でもやっぱりやることは、「見渡しの悪い交差点」と同じでした。
停止線が在っても無くても一時停止し、そのあと徐行よりもゆっくりな速度で、
上半身を前のめりにしながら、首を回しながら左右を確認しながら、
道路の向こうまでを見渡せるぐらいまで前へ進みました。
そして、安全だと判断して、右折やら左折をしました。
このときも前へ出過ぎちゃイケないのでしょうし。
ゆっくりゆっくりと自分の自動車の頭を出すことで、相手も気付けるし、自分も安全だしということだそうです。
また、カーブミラーが在るならば、一時停止し、
カーブミラーをまず確認し、
カーブミラーも使いながら、徐行よりもゆっくりな速度で、自分の自動車の頭を出してゆき、
道路の向こうまでを見渡せるぐらいまで来て、安全だと判断できてから右折左折しました。
「カーブミラーを使いながら」ってことは、徐行よりもゆっくりな速度で、自分の自動車の頭を出していっている最中にもちょこちょこと、実際の現実を見るだけじゃなくてカーブミラーを見ている訳で、逆に危険だと私は思うけど。
そう思うならば、まず一時停止してカーブミラーを見て、頭を出してゆき、安全だと判断できたら右折左折した方がいいと思う。
わたしの場合は、強迫神経障碍者だし、その障碍への対策としての鈍感力の上昇を行っている者でも有るから。
気にしすぎという症状も出るし、気にしなさすぎという現象も起きる。
だから、そこらへんを考えながら、果たして自分は自動車を運転する能力を持っているのか。
運転免許証を取得してもいい者なのかまで含めて考えながら自動車教習所に通っています。
ほんとうならば、自分が強迫神経障碍を持っているし、それに対する対策として鈍感でいようと心掛けていることも教習指導員に伝えておいて、そこらへんも含めて「免許証を取得させない」という判断も選択の中に入れながら教習してくれるならば一番イイのだけれども。
う〜ん。
自分が強迫神経障碍だってことは言えなかった。
たぶん、言おうとすると両親が言わないでいいよって止めてくるから。
だからそういう難しい判断を自分でしなくちゃいけない。
だから、あんまりにも自動車運転が苦痛すぎるとか。
あんまりにも、注意力が無い(鈍感力が高過ぎる)とか。
変なことに気を取られすぎるとか。
そういうのが有ったら、自分自身で自主的に免許は諦める。
まぁ自動車教習所での全部の過程を終えてから、
そこらへんの感覚に関して信頼できそうな教習指導員を掴まえて
自分はどうなのかを相談してみるのも良さそう。
なんか、現在ではわたしは強迫神経症状が薄れているから
「単にときどきすごく神経質でときどきすごく鈍感なムラの有る不思議な変な人」程度にしか
周りの人は思わないのだろうけれども。
う〜ん、自分が自分を判断するに、けっこうけっこう危ないのよね。
ものすごく疲れるし。
運転時の嫌悪感も有るし。
まぁ嫌いならば、嫌いだとして運転すればその方が良いと思う。
自分は嫌いで、且つ危ない乗り物に今から自分は乗るんだと思ってから乗るならばそれは安全な心掛けだろうから。
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