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〇自分が持っている障碍 強迫性障碍を抱えている僕はあらゆる強迫的な観念をゆるめていた。
「開かれた状態」。 ○○はイケない、○○はしてはならない…そういったあらゆる観念をゆるめていた。 治療のために。 神経質になりすぎないために。 でも それは自分の頭の中が混乱している状態でもある。 それまで持っていた自分の中の確固たる、判断基準、善悪の観念を緩めた状態。 自分で自分を半ば信じない状態。 自分の認識を半ば信じない状態。 意図的に、意識的に 意志薄弱の状態を作っている。 そうすることで、「完璧にキレイでなければならない」「鍵は絶対にしめられていないとならない」 などの強迫観念も緩めて薄くして弱くしている。 (しかし、対象の観念をゆるめたくって意志薄弱の状態を作り上げると 正常で健全な観念までもゆるまってしまうという副作用がある) (しかし、障碍者本人はどれが病的でどれが健全なのかの判断はつきにくい) そういう中で、僕はとある人にお酒を飲むことに誘われていた。 今から思えばそれを断れば良かった。 お人好しで楽観的だった僕は、「もちろん、すべての局面で違法なことはしないはずだ」と 勝手に信じ込んでしまった。 それもそのはず「こうではないのか、ああではないのか」と未来に怯えることはまさに強迫的だから。 楽観して安心してついていった。 〇自転車での飲酒運転も犯罪
その人も飲む、自分も飲むとなればその人に送ってもらえるわけがない。
自分は自転車で行き来することにした。 自動車はそもそもそのとき僕は持っていなかったし、自動車運転免許もそもそも持っていなかったから。 でも自転車でも飲酒運転は違法だった。
そのとき僕はそれを知らなかった。 知らなかったから赦されるわけではない。許されるわけではない。 知らなかったでは済まされない。 だからそれは僕の落ち度だった。 運転免許証の勉強をまだしていなかったから知れるよしもないわけだったけれど…。 ネットか何かで調べるべきだったんだ。 自分の頭のなかで、自動車での運転を避ければそれでなんとかOKなんだと なんとかして自転車での交通手段を避ければそれでいいんだと思ってしまった自分が、油断していた。 (油断をするというのが治療のひとつであり意識してそうしていたわけだが…) 自動車の運転免許証を持っていない僕は、自転車でも飲酒運転は違法だと知っていなかった。
20歳を越えればお酒を飲める。 しかし、20歳を越えた人のすべてが運転免許証の勉強を済ませているわけではないく…。 ・19歳未満で運転免許証を取得済み
・19歳未満で運転免許証を取得していない ・20歳以上で運転免許証を取得済み ・20歳以上で運転免許証を取得していない の4つのパターンで、知らず知らずのうちに、自転車での飲酒運転をしてしまい違法なことをしてしまうパターンは
ひとつだけ。 ・20歳以上で運転免許証を取得していない だ。 僕はそのときこのパターンの中に入ってしまっていた。 それに気付けずにいたのがバカだった。 が、強迫観念に対して…自分の神経質な部分をゆるめようゆるめようと意識していたから 気付けるはずもない。 そこまで頭を回せるわけはなく、そこまで頭を回すことが許されているわけでもなかった。 ものごとに対して恐れすぎるのが強迫性障碍のひとつの特徴である。 だから、その「恐れ」を緩めるのがひとつの治す方法である。 緩めたことがアダとなった。 「もしも自分が違法なことをしようとすれば、その人が教えてくれるはず」と僕は楽観していた。 でも、その人は教えてはくれなかった。 (それに結果から言えばその先輩は自動車での飲酒運転をする人だった。 そういう人だと見抜けなかった自分が悪かったし、そういう人を引き寄せた僕のタマシイが悪い。) タクシーはおカネがかかり過ぎる。 歩きだと遠すぎる。 だから僕は、自転車でその飲み屋さんへ行くことにした。 (結果から言えば自動車じゃなくて自転車にしたところで、それは飲酒運転だった。) そうして僕は、犯罪者になった。 〇誰のせいだったのか 何が悪かったのか 他人(ひと)のせいにしたくない。
その先輩のせいにもしたくない。 自分のせいなのだ。 自転車でも飲酒運転は違法だと知らなかった自分が悪い。
飲みに誘われて、好きでもない飲酒(自分の両親が酒と煙草とギャンブルを嫌っていたから僕も影響されて嫌っていた) の席に興味本位で行ってしまった自分が悪い。 違法なことは決してしないだろう、自分が知らず知らずのうちに違法なことをしようとするもんならば 誘ってくれたその人はもちろん「それはダメだよ」と言ってくれるに違いないと思ってしまった自分が悪い。 飲みの席では違法なことは行われるはずがないみんな自制心があるのだからさ…と思ってしまった自分が悪い。 お酒というのはひとつの罠であり魔術である。
たとえ自制心というのを万人が持っているとしても…それぞれが抱えている人生での負荷が大きいだとか ストレスが大きすぎるとか 自制心がゆるめだとかだったら、違法なことに流れ込んでいってしまうものだ。 自制心があるとしてもそれでも流れ込んでいってしまう。 もしくは自分は飲酒運転をやっていなくても、するつもりがなくっても、巻き込まれていってしまう。 自分自身が「飲酒運転は絶対にいけないことだ」と知っていればそれで 自分が犯罪に手を染めることもないわけだ…と思ってしまっていた自分が悪かった。 お酒はマジックである。 流れ込まされるし、巻き込まれるものだった。 よほど気を付けていてもそれでも。 それを知らなかった自分が悪かった。 飲酒運転をするような…「それは違法だよ。」と教えてくれないような人(タマシイ)を
自分のタマシイが引き寄せてしまった、自分が悪い。 そう考えることにする。
僕は今、罪悪感でかなり苦しんでいる。
こういうことがもう二度と起きないように、僕はお酒の席に誘われても行かないことにした。 〇再発防止のために
僕が、酒と煙草とギャンブルを嫌っている両親の下に生まれたにも関わらず
こういう状況に入り込んでしまっているのには、理由があると思う。 自分は自動車での飲酒運転を決してしないぞと意気込んでいても…結果的に 自転車での飲酒運転はしてしまったし 他人の自動車での飲酒運転を見て見ぬふりをしてしまった。 注意できなかった。 決してこういうことが二度と起きないように努力・工夫をすることが神様から
僕に課せられている仕事なのだと考えることにした。 こういう人がもう二度と現れないで済むようにしたい。 もう飲酒運転はしないでくれとその先輩や他の知り合いにもお願いする連絡をした。 そして自転車での飲酒運転も違法なのだとSNSを使って拡散することにした。 (自動車の運転免許証の勉強をしていない人は知らない可能性があるから) 強迫性障碍の曝露法においては、その過程で「開かれた状態」(自分で自分を疑う状態・善悪の判断が鈍くなる状態・判断がうまくできなくなる状態) になることがあり、その状態では良いものもそうだが悪いものもどんどん吸い込んでしまうということを強迫性障碍の知識として新しく発表した。 再発防止をすることが僕にするべきことだと思う。 〇飲酒運転をする人への手の差しのべ方
そのあと、その人は明らかな飲酒運転をするようになった。
その時点で僕は注意をするべきだったができなかった。 「なぜこの人は飲酒運転をするんだ?さっき飲んでいたじゃん…。え?あれは酒ではなかったの? この人は飲酒運転をするつもりでしているの??なになの???なになの????」 とわけのわからない思いだった。 怖かった。 それと「自分のほうがおかしんだ。自分のほうがものごとをかたく考え過ぎなんだ。」と
思ってしまっていた。(開かれた状態だったから) それらにプラスして… 僕はその人をどうにか救い出したくて、その人の気持ちが満たされるようにすることで 結果的に飲酒運転をしないで済むようにしてあげたかった。 飲酒運転をしました→それはイケません!→オワリ
それでは意味がないと思った。 それでは根本の解決になっていない。 飲酒運転をしたくなるような、ストレス状態、精神状態、環境、状況を改善しない限りは 注意したところで、やめさせたところで、通報したところで 必ず再び飲酒運転をするはずだ…。 根本のほうから解決しないと! 僕はそう考えた。
飲酒運転を見かけました→注意します
飲酒運転を見かけました→通報します それは簡単な事。 でもそれでは根本の解決になっていないじゃないか! 僕はそう考えた。 でも…今からしてみれば、 飲酒運転を見かけました→注意します 飲酒運転を見かけました→通報します それでよかった。 それが正解だった。 なぜならば、自分が犯罪になるから。 見かけたのにやめさせなかった、見かけたのに通報しなかったという時点でもう自分が犯罪者なのだ。 たとえばお酒を飲んだ人を見ていて
その人が駐車場のほうへ消えていって 車がブーンと動き出した… それを見ただけでも「見て見ぬふりをした」ということになってしまう。 その飲酒した人が、ハンドルを握ったところまでは確認していなくっても。
駐車場のほうへ行って車が動き出したってだけで、もう「見た」という扱いになってしまう。 それと思わしき行動や状況を見ただけでも、「見て見ぬふりをした」という扱いになってしまう。 …だから! そもそも飲み屋には行かないほうがいい。 自分が飲酒運転をしなくっても、そういう状況をなんとなく見ただけで見たのを注意しなかっただけで もう犯罪者になるのだから。 「ん?あれ…。どうなんだろ。いや…当然飲んでいない人が必ず居てその人が運転してるだろ…。」
と頭の中で自分が思うことにしたところで やはり「見て見ぬふりをした」が成立してしまうのだから。 なんにも犯罪をしたくなくっても、すぐに犯罪した扱いになってしまう。 それが、飲みに誘われて、飲みに行くということだ。 飲酒運転を見かけました→注意します
飲酒運転を見かけました→通報します それは簡単な事。 でもそれでは根本の解決になっていないじゃないか! 僕はそう考えた。 だから、その人のストレスが少しでも減るように いろんなところへ出かけるのに誘われたときに一緒に行くようにした。 こうしていろんなところへ行くことで、その人のストレスが少しでも減って… その結果飲酒運転もしないようになるはずだ…と。 でも結果から言えば僕のそうした努力は無意味だった。
その人が抱えている「問題」を、「自分が一緒に遊んであげる」ことで解決できるはずがなかった。 「すこしでも力になりたい」という自分の判断ミスだった。 (そしてそもそもその人の家族でもなく、正式に依頼を受けたカウンセラーやコーチでもない人が、いち友人いち知り合いでしかないい自分が、問題となっている環境要因を根本の要因をどうにかできるはずがない。 できるはずがない。) 飲酒運転はイケない!とビシっと言えばそれでよかった。
飲酒運転をする人とは、遊びに行きません!と関係を切ればそれでよかった。 すこしでも力になってあげて救い出してあげたいだなんて思った自分がイケなかった(このケースの場合は)。 〇まとめ
・自転車での飲酒運転も違法!
・強迫性障碍であらゆることに対して曝露法を行う場合、「意志薄弱」にならざるを得ないので 犯罪をする人を自分の周りに置かない! ・「自分は飲酒運転をしない」という意志を持っていても、「意志薄弱」の状態になっている強迫性障碍の人は 押し通されてしまうので、そもそも飲酒の場へ行かない! ・飲酒運転をする人に対して「救ってあげよう」と思うならば直接注意をすることだけがベスト その人のストレスを軽減させてあげて…環境要因から変えてあげて…なんて考えてはいけない まず辞めさせる! そして、まだ運転免許証を取っていない20歳以上の人が飲みの席に居たら必ず教えてあげてほしい。
教えてあげたい。 ただ単に知らないから。 「自転車での飲酒運転も違法」だと。 もう、こうやって罪悪感で苦しむ人が現れませんように、祈っています。 強迫性障碍者の人は、「あなたは強迫性障碍者だ」と診断を受けていて或る意味、自分の判断基準を否定されている。
曝露法を使う場合、自分で自分を否定することで自分の判断基準を否定されている。 「自分で自分を疑うくせ」がつきすぎていることがあるので、
強迫性障碍を持つ人はそもそも飲みの席には行かないことをオススメする。 仕事場での行事として強制参加とか半強制参加の場合は仕方ないにしても。 プライベート内とか、一対一での飲みの席は、そもそも参加しないほうがいい。 曝露法を使っていて意志薄弱の状態「開かれた状態」を作り出している場合は、行ってはいけない(※この行ってはいけないという強迫観念は、従ってよいタイプの強迫観念である)。
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