はむねまぼるのブログ

作詞作曲をしています。介護のことも書きます。強迫性障碍のことも。

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 時間は過ぎていってしまう。
やりたいことを見つけて。
イチバンやりたいことを見つけて。
それをDo it!
やりたいことをひたすらやって。

やりたいことをやるには、おカネが必要。
だからおカネを稼ぐ。
やりたいことをやるには、時間が必要。
だからテキパキ動く。
余った時間は、体を休めて心を休める。
できた睡眠時間に睡眠するの。

やくわり


[社会研究]
「やくわり」
介護の職場で、4年間働いてキャッチしたことをまとめています。
この世というものこの社会というもの人間関係というものを。

ひとつ思ったことは
「人にはそれぞれ役割があるんだな」
ということでした。

いえ、あなたはキッチンなので○○を、あなたはフロアなので××を…とかじゃなくて。
「どこの職場に行くのだとしても、その人はその役割を担うことになりやすい」という生まれつき的な役割が。

体感したのは図の6種類でした。


誰しもがこの中のどれかの役割を負っているのかなと思えます。
そして、その役割をその人が負っているからこそ、全体としてうまく回るのだなぁと。

欠けるとけっこう大変なことになりそう。
まぁ大変なら大変で、それはそれとしてやってゆけばいい。
と信じています。


[システムで解決 or 個人の力量で解決]
4年間、介護の職場で働いて思ったことは、
なにか問題が起きたときに、
 ・システムを改善することで解決しようとする動き
 ・個人に注意して個人の技術や力量をアップすることで解決しようとする動き
の2種類があるな〜
と思ったことでした。

ぼく個人はだんぜん「システムで解決」派なので、システム構築に必死でした。
うん。
あと、個人の力量を上げるにしても、個人の力量をあげることができるようなシステム作りが重要。

まぁ、システムで改善するのも、個人の力量のアップも、両方ともやるのがいいのだと思います。

思考技術療法

思考技術療法
<序章>
ぼくのオリジナルの強迫性障碍への理解と療法のまとめです。
とりあえずは、箇条書きでのまとめ。まだちゃんとした文章ではないね。ごめんなさい。
これらはおそらくすべて筆者のオリジナルの強迫性障碍への理解と療法です。
(一部認知行動療法とのかぶりがある)

一般的には、強迫観念や強迫行為に関しては「やりすごす」という方法が良いとされている現在。
ぼくのオリジナルの「思考技術療法」はその逆です。
考え抜いた末に辿り着いた療法です。
強迫性障碍者が持っている、几帳面さ、完全壁、操作性支配性、全能感、しつこい、くどい、こだわる
と言った要素を存分に活かしまくった末に辿り着いた療法です。
突き抜けの方法です。
病性をもってして病気を乗り越えるという感じです。
また、思考技術療法では、占いやスピリチュアルも、科学的事実と同等に扱い、(必要ならば)取り入れます。

ぼくが開発した以下の理解の仕方や対処法は網羅性汎用性が高いので寛解→回復したあとでも、継続して使用できる。強迫性障碍者です。
「自分がどのようにして行動を決定するのか」のひとつの網羅的な指針である。
強迫性障碍者でなくても、行動決定のためのひとつの方法として機能する。
強迫性障碍が回復したあとでも使えるものです。


<内容>

反応調査(相手と距離を置いて、感情的にならないようにして、相手や相手のものごとへの反応、自分の言動への反応を、距離を置いて単にデータ収集する姿勢でデータ収集し分析することで、その人への自分の行動の取り方を決定する方法。)
    (余裕があればそのときに、相手が精神障碍で言うとどの精神障碍よりなのかを自分なりに判断しておいて、相手をケアの対象と見做す)
    (なに障碍か…という分類以外にもその人が生きてきた時代背景からの影響を考えに入れる)
    (自分が異常なんだ、相手が異常なんだ…というのはあんまり意識しなくてよくて
     その人のその反応がどのような原因に対しての結果なのかの流れを見ることで対象ごとに自分が納得してゆく方法)
     (対象ごとに…というのは範囲指定でもある)
範囲指定(拡大と縮小)
    (一般化のし過ぎの場合は、範囲を指定して狭める。狭くなりすぎている場合は一般化することで、思考の結論が病的なものでないものになるように方向を操作する。)
    (強迫観念恐怖症は範囲指定が解除されてしまい始めている状態。ゲシュタルト崩壊が始めっている状態。やりすごす必要がある。
     もしくは明確にどれが病的なものでどれがそうでないかの範囲指定を改めて行う。)
カウント(誰のどの意見を自分に取り入れてそれを実行すればよいかをその意見が誰から発せられたのかや自分にとっての納得度合いなどからポイントを付ける
     やるべきという意見の方にプラスの絶対値を付けて、やらないべいという意見の方にマイナスの絶対値を付けてその和によって自分の行動を決定する方法
     グレーゾーンを取得する方法だが、グレーゾーンの中のどっちよりなのかをポイントを付けることでじぶんとして正確に認識できる。
     グレーゾーンという言葉の曖昧さやいい加減さを回避できる。)
     (ポイントの具体的な付け方に関しては…自分の歴史を知っている人のコメントには大きく大きくポイントを付ける。
      自分の歴史を知らずにコメントやアドバイスしてくる人のコメントにはかなり低くポイントを付ける。
      この障碍に関する知識を持っている人のコメントにはポイントは高く付ける。
      持っていない人には低く。
      身体の遺伝情報が近い人、つまり血縁者の言っている体に関するコメントにはポイントを高く付ける。
      占術において自分と同じ要素を多く持っている人には高めにつける。
      …たぶん六星占術で同じならばポイントは高めがいいと思う。
      五行や四柱推命や九星気学での要素が同じでもポイント高くつけない方がいいと思う。※個人的な経験への感覚による感想)

常識性障碍(社会性障碍)(世界性障碍)
    ・特定の世界観(世界像)の中に浸っていて、その自分が浸っている世界観における
     規則や決まり事を相手にも求める状態の人
     
    ・自分が知っている常識がその国のこの地球のすべてにおける常識だと思っている
     (実際にはそれぞれが信じている常識には個人や地域や国によって差異がある。また一般的とされている常識そのものが変化していく)
    ・年齢に応じて発達が起きるべきとかたく信じていてそれを相手に求めている
     (実際には、発達は条件が整ったときに次の発達段階へ進むもので、条件が整わないうちは永遠に次の段階に進まない。)
    ・各種の精神障碍に関する知識を持っていない
    ・社会性が一定以上の人としかうまくやっていけない
    ・社会性が
    ・オトナな存在がコドモな存在よりもレベルが高くて進んだ存在だという思想を持っている。かつそれを相手にも求める。
     この常識性障碍が強迫性障碍へ発展するというパターンがある。
     過剰に異常に社会性への遵守ルールへの遵守常識への遵守から、観念の強迫化へと。

ゲシュタルト崩壊(構造的原因のひとつ、物事の境界線、存在の認識、ひとつをひとつと数えるなどができなくなる。過度な集中やエネルギーの余剰や役不足やスピーディーさの少なさから来ていたりする。)
見当を付ける能力(構造的原因のひとつ、物事への境界線が感じにくくなっていてどれぐらいならばこれぐらいのことになるというどんぶり勘定ができなくなっている。判断基準を持ちすぎているか判断基準を持っていない。目星を付けられない。感覚でものごとを行えない。)
全体と細部(森と木)の判別区別見当認識の能力低下(構造的原因のひとつ、役不足などが理由で細部への過度な集中が起きていることが原因)
感覚記憶と短期記憶の低下(構造的原因のひとつ、頭の中で起きている思考の量が多すぎて、感覚記憶を瞬時に薄めてしまう。確認行為へ繋がる。)
考えが止まらない(構造的原因のひとつ、観念的、頭胸肚のうち、頭が先行している。能力やエネルギーに対しての役不足仕事量の不足によって、考えるという行為にエネルギーが行き過ぎている。
生まれつき遺伝的に考えることが得意。後天的に環境要因により考えることが得意になった。生まれつき占術的に考えることが止まらない。四柱推命での水の三合など。)
能力やエネルギーに対しての課されていることの役不足(責任不足)量不足 (構造的原因の原因の主たるもののひとつ)
(エネルギーが余り過ぎている結果考え過ぎている。エネルギーの有意義な発散先を求めているが与えてもらえないために意味のない行為にエネルギーを注ぐしかないという、閉じ込められた状態。)
    →スピーディーさが求められる仕事を与えるか
     有意義な仕事や役割を与えるか、
     もしくは、逆転のやり方で、無意義なことをやることへの罪悪感を軽減し無意義なことへの取り組みを与える求める
仕事量を増やす(縦)や仕事種を増やす(横)やスピーディーさや乱雑さや大雑把さが必要な種類の仕事を与える
という方法が有効なことがある。
本による行を読み飛ばす恐怖&とかDVDにおける聞き逃し恐怖&確認には、なんども繰り返し見ることを前提で
「スピーディーにみる」気になるならば、次回見たときに聞き逃さないようにするとするとかが有効な事もアリ。
無意義性が高くて仕事種を増やすと、強迫性障碍が反転して注意欠陥多動性障害の症状に行くことがある。

肉体療法(日焼け)(野性性の低下を補う)(女性のカラダを持っている人は女性性をプラスしてみる。男性のカラダを持っている人は男性性をプラスしてみる。)マッサージや鍼治療やら体の歪みを取ったり
占術療法(原因を占術の中にも探す方法、精神分析療法の、占術版)占術面から自分の特徴を理解してその上でやっていく
霊体療法(原因を霊に関することに探す方法、精神分析療法の、スピリット版)土地の霊、憑りついている霊、先祖の自殺霊、毒親の親の霊などをちゃんとした霊能力者(ダマされないように探すの難しい)除霊してもらうとか、鏡の法則のカルマを考えるとか

※危険な療法
範囲指定なしでの曝露法→「開かれた状態」が危険。他人への実質的加害の可能性有り。
考えることそのものを禁じる→「開かれた状態」を誘引するので危険。デメリットだけでなくメリットも削ぎ落してしまう、個性を無くすかなり危険でアクロバットな方法。本人の霊の命と肉体の命の危険もある。
健常者の真似をする→危ない。誰が健常者なのかの判別ができにくい場合、健常者でない人の真似をして、別のマイナスポイントを吸収することになる。
          自分は異常で周りが正解なんだと範囲指定せずに周囲の人を過信してしまう可能性有り。悪い行為も真似してしまう。
          相手も何かしらの障碍を抱えている可能性があるわけで…。
          でも自分自身の強迫観念や強迫行為への治療をしている人が、相手の精神障碍的要素を見抜くのは難しい(人によってはひどく冷静さを持つことができればできる場合が有るのでその場合はチャレンジすると良い。
           反応調査しながら誰がどの精神障碍の傾向があるのかを見抜いていき、より精神障碍を持っていない人の真似をする。)(本人は無自覚のこともあるので注意。指摘はせずに自分の中だけでそうだと判断しておく。)
※○○障碍という精神障碍に関して
指摘されるとはねつけたり怒ったり傷付いたりする人が居るので安易に指摘はしない。
また自分のその人への見立てが間違っていることはあるので、その意味でも指摘はしない。
自分がその人を理解する上で、また相手を寛容にゆるすために、ひとつの分類法、対応基準のひとつとして持っておく。
参考
・常識性障碍
・強迫性障碍
・不安性障碍
・依存性障碍
・妄想性障碍
・統合失調症
・演技性障碍
・境界性障碍
・自己愛性障碍
・発達障碍
・高次脳機能障碍
・アスペルガー症候群
・社会不安障碍
・パニック障碍
・注意欠陥多動性障碍
・うつ病
・躁鬱病
・チック障碍
・身体醜形性障碍
・心気症
・摂食障碍
・抜毛症
・広汎性発達障碍

※回復の程度に関する基準は「軽快→寛解→回復(薬ありorなし)」を採用しました。
「図解やさしくわかる強迫性障害上手に理解し治療する/原井宏明 岡嶋美代」の141ページを参照してください。
※強迫観念恐怖症に関しては
「図解やさしくわかる強迫性障害上手に理解し治療する/原井宏明 岡嶋美代」の145ページを参照してください。
マゼンタリボンを結ばせて
君の事が好きってきもちを
君なしで楽しんでる
マゼンタリボンはいつだって
わたしを束ねてくれるから

君の事知らないふりして
君の事きっと感じてる

この恋が叶わなくていい
ずっとこのまま 幸せで居たい
こんな日々がいつまでもきっと
続いたならばいいのにな

だけど こんなに苦しい日々も
他になりから 終わらせたい

星を掴んで 星をぶつけて
この日々にピリオドを 打ち付けたい
マゼンタリボンはいつまでもずっと
わたしに力をくれるから

花が開いたらそれはきっと
いつまでもいつも取り出せる力

その恋が 夢に終わったとしても
思い出がすこし 哂わせてくれる

そのステップが僕のパストに
変ってゆくのを感じればいい
そのステップが次のステップに
繋がってゆくのを感じてるから

好きってきもちは君と関係なく
どこまでか続いてゆくリボンのよう
君を縛り付けて苦しめないように
それは飾るための美しい紐

君の首も絞められるだろうし
私の心の力にもなる
私が私の道を歩んでく
そのパワーになって いついつまでも

〇自分が持っている障碍
強迫性障碍を抱えている僕はあらゆる強迫的な観念をゆるめていた。
「開かれた状態」。
○○はイケない、○○はしてはならない…そういったあらゆる観念をゆるめていた。
治療のために。
神経質になりすぎないために。

でも
それは自分の頭の中が混乱している状態でもある。
それまで持っていた自分の中の確固たる、判断基準、善悪の観念を緩めた状態。
自分で自分を半ば信じない状態。
自分の認識を半ば信じない状態。

意図的に、意識的に
意志薄弱の状態を作っている。
そうすることで、「完璧にキレイでなければならない」「鍵は絶対にしめられていないとならない」
などの強迫観念も緩めて薄くして弱くしている。

(しかし、対象の観念をゆるめたくって意志薄弱の状態を作り上げると
正常で健全な観念までもゆるまってしまうという副作用がある)
(しかし、障碍者本人はどれが病的でどれが健全なのかの判断はつきにくい)

そういう中で、僕はとある人にお酒を飲むことに誘われていた。
今から思えばそれを断れば良かった。
お人好しで楽観的だった僕は、「もちろん、すべての局面で違法なことはしないはずだ」と
勝手に信じ込んでしまった。
それもそのはず「こうではないのか、ああではないのか」と未来に怯えることはまさに強迫的だから。
楽観して安心してついていった。


〇自転車での飲酒運転も犯罪
その人も飲む、自分も飲むとなればその人に送ってもらえるわけがない。
自分は自転車で行き来することにした。
自動車はそもそもそのとき僕は持っていなかったし、自動車運転免許もそもそも持っていなかったから。
でも自転車でも飲酒運転は違法だった。
そのとき僕はそれを知らなかった。
知らなかったから赦されるわけではない。許されるわけではない。
知らなかったでは済まされない。
だからそれは僕の落ち度だった。

運転免許証の勉強をまだしていなかったから知れるよしもないわけだったけれど…。
ネットか何かで調べるべきだったんだ。
自分の頭のなかで、自動車での運転を避ければそれでなんとかOKなんだと
なんとかして自転車での交通手段を避ければそれでいいんだと思ってしまった自分が、油断していた。
(油断をするというのが治療のひとつであり意識してそうしていたわけだが…)

自動車の運転免許証を持っていない僕は、自転車でも飲酒運転は違法だと知っていなかった。
20歳を越えればお酒を飲める。
しかし、20歳を越えた人のすべてが運転免許証の勉強を済ませているわけではないく…。
・19歳未満で運転免許証を取得済み
・19歳未満で運転免許証を取得していない
・20歳以上で運転免許証を取得済み
・20歳以上で運転免許証を取得していない
の4つのパターンで、知らず知らずのうちに、自転車での飲酒運転をしてしまい違法なことをしてしまうパターンは
ひとつだけ。
・20歳以上で運転免許証を取得していない
だ。
僕はそのときこのパターンの中に入ってしまっていた。
それに気付けずにいたのがバカだった。
が、強迫観念に対して…自分の神経質な部分をゆるめようゆるめようと意識していたから
気付けるはずもない。
そこまで頭を回せるわけはなく、そこまで頭を回すことが許されているわけでもなかった。

ものごとに対して恐れすぎるのが強迫性障碍のひとつの特徴である。
だから、その「恐れ」を緩めるのがひとつの治す方法である。
緩めたことがアダとなった。

「もしも自分が違法なことをしようとすれば、その人が教えてくれるはず」と僕は楽観していた。
でも、その人は教えてはくれなかった。
(それに結果から言えばその先輩は自動車での飲酒運転をする人だった。
そういう人だと見抜けなかった自分が悪かったし、そういう人を引き寄せた僕のタマシイが悪い。)

タクシーはおカネがかかり過ぎる。
歩きだと遠すぎる。
だから僕は、自転車でその飲み屋さんへ行くことにした。
(結果から言えば自動車じゃなくて自転車にしたところで、それは飲酒運転だった。)

そうして僕は、犯罪者になった。


〇誰のせいだったのか 何が悪かったのか
他人(ひと)のせいにしたくない。
その先輩のせいにもしたくない。
自分のせいなのだ。
自転車でも飲酒運転は違法だと知らなかった自分が悪い。
飲みに誘われて、好きでもない飲酒(自分の両親が酒と煙草とギャンブルを嫌っていたから僕も影響されて嫌っていた)
の席に興味本位で行ってしまった自分が悪い。
違法なことは決してしないだろう、自分が知らず知らずのうちに違法なことをしようとするもんならば
誘ってくれたその人はもちろん「それはダメだよ」と言ってくれるに違いないと思ってしまった自分が悪い。
飲みの席では違法なことは行われるはずがないみんな自制心があるのだからさ…と思ってしまった自分が悪い。
お酒というのはひとつの罠であり魔術である。
たとえ自制心というのを万人が持っているとしても…それぞれが抱えている人生での負荷が大きいだとか
ストレスが大きすぎるとか
自制心がゆるめだとかだったら、違法なことに流れ込んでいってしまうものだ。
自制心があるとしてもそれでも流れ込んでいってしまう。
もしくは自分は飲酒運転をやっていなくても、するつもりがなくっても、巻き込まれていってしまう。

自分自身が「飲酒運転は絶対にいけないことだ」と知っていればそれで
自分が犯罪に手を染めることもないわけだ…と思ってしまっていた自分が悪かった。
お酒はマジックである。
流れ込まされるし、巻き込まれるものだった。
よほど気を付けていてもそれでも。
それを知らなかった自分が悪かった。
飲酒運転をするような…「それは違法だよ。」と教えてくれないような人(タマシイ)を
自分のタマシイが引き寄せてしまった、自分が悪い。

そう考えることにする。

僕は今、罪悪感でかなり苦しんでいる。
こういうことがもう二度と起きないように、僕はお酒の席に誘われても行かないことにした。




〇再発防止のために
僕が、酒と煙草とギャンブルを嫌っている両親の下に生まれたにも関わらず
こういう状況に入り込んでしまっているのには、理由があると思う。
自分は自動車での飲酒運転を決してしないぞと意気込んでいても…結果的に
自転車での飲酒運転はしてしまったし
他人の自動車での飲酒運転を見て見ぬふりをしてしまった。
注意できなかった。
決してこういうことが二度と起きないように努力・工夫をすることが神様から
僕に課せられている仕事なのだと考えることにした。

こういう人がもう二度と現れないで済むようにしたい。
もう飲酒運転はしないでくれとその先輩や他の知り合いにもお願いする連絡をした。
そして自転車での飲酒運転も違法なのだとSNSを使って拡散することにした。
(自動車の運転免許証の勉強をしていない人は知らない可能性があるから)
強迫性障碍の曝露法においては、その過程で「開かれた状態」(自分で自分を疑う状態・善悪の判断が鈍くなる状態・判断がうまくできなくなる状態)
になることがあり、その状態では良いものもそうだが悪いものもどんどん吸い込んでしまうということを強迫性障碍の知識として新しく発表した。

再発防止をすることが僕にするべきことだと思う。


〇飲酒運転をする人への手の差しのべ方
そのあと、その人は明らかな飲酒運転をするようになった。
その時点で僕は注意をするべきだったができなかった。
「なぜこの人は飲酒運転をするんだ?さっき飲んでいたじゃん…。え?あれは酒ではなかったの?
この人は飲酒運転をするつもりでしているの??なになの???なになの????」
とわけのわからない思いだった。
怖かった。
それと「自分のほうがおかしんだ。自分のほうがものごとをかたく考え過ぎなんだ。」と
思ってしまっていた。(開かれた状態だったから)

それらにプラスして…
僕はその人をどうにか救い出したくて、その人の気持ちが満たされるようにすることで
結果的に飲酒運転をしないで済むようにしてあげたかった。
飲酒運転をしました→それはイケません!→オワリ
それでは意味がないと思った。

それでは根本の解決になっていない。
飲酒運転をしたくなるような、ストレス状態、精神状態、環境、状況を改善しない限りは
注意したところで、やめさせたところで、通報したところで
必ず再び飲酒運転をするはずだ…。
根本のほうから解決しないと!
僕はそう考えた。

飲酒運転を見かけました→注意します
飲酒運転を見かけました→通報します
それは簡単な事。
でもそれでは根本の解決になっていないじゃないか!
僕はそう考えた。

でも…今からしてみれば、
飲酒運転を見かけました→注意します
飲酒運転を見かけました→通報します
それでよかった。
それが正解だった。

なぜならば、自分が犯罪になるから。
見かけたのにやめさせなかった、見かけたのに通報しなかったという時点でもう自分が犯罪者なのだ。
たとえばお酒を飲んだ人を見ていて
その人が駐車場のほうへ消えていって
車がブーンと動き出した…
それを見ただけでも「見て見ぬふりをした」ということになってしまう。
その飲酒した人が、ハンドルを握ったところまでは確認していなくっても。
駐車場のほうへ行って車が動き出したってだけで、もう「見た」という扱いになってしまう。
それと思わしき行動や状況を見ただけでも、「見て見ぬふりをした」という扱いになってしまう。

…だから!
そもそも飲み屋には行かないほうがいい。
自分が飲酒運転をしなくっても、そういう状況をなんとなく見ただけで見たのを注意しなかっただけで
もう犯罪者になるのだから。
「ん?あれ…。どうなんだろ。いや…当然飲んでいない人が必ず居てその人が運転してるだろ…。」
と頭の中で自分が思うことにしたところで
やはり「見て見ぬふりをした」が成立してしまうのだから。

なんにも犯罪をしたくなくっても、すぐに犯罪した扱いになってしまう。
それが、飲みに誘われて、飲みに行くということだ。


飲酒運転を見かけました→注意します
飲酒運転を見かけました→通報します
それは簡単な事。
でもそれでは根本の解決になっていないじゃないか!
僕はそう考えた。

だから、その人のストレスが少しでも減るように
いろんなところへ出かけるのに誘われたときに一緒に行くようにした。
こうしていろんなところへ行くことで、その人のストレスが少しでも減って…
その結果飲酒運転もしないようになるはずだ…と。
でも結果から言えば僕のそうした努力は無意味だった。
その人が抱えている「問題」を、「自分が一緒に遊んであげる」ことで解決できるはずがなかった。
「すこしでも力になりたい」という自分の判断ミスだった。
(そしてそもそもその人の家族でもなく、正式に依頼を受けたカウンセラーやコーチでもない人が、いち友人いち知り合いでしかないい自分が、問題となっている環境要因を根本の要因をどうにかできるはずがない。
できるはずがない。)
飲酒運転はイケない!とビシっと言えばそれでよかった。
飲酒運転をする人とは、遊びに行きません!と関係を切ればそれでよかった。
すこしでも力になってあげて救い出してあげたいだなんて思った自分がイケなかった(このケースの場合は)。

〇まとめ
・自転車での飲酒運転も違法!
・強迫性障碍であらゆることに対して曝露法を行う場合、「意志薄弱」にならざるを得ないので
 犯罪をする人を自分の周りに置かない!
・「自分は飲酒運転をしない」という意志を持っていても、「意志薄弱」の状態になっている強迫性障碍の人は
 押し通されてしまうので、そもそも飲酒の場へ行かない!
・飲酒運転をする人に対して「救ってあげよう」と思うならば直接注意をすることだけがベスト
 その人のストレスを軽減させてあげて…環境要因から変えてあげて…なんて考えてはいけない
 まず辞めさせる!
 
そして、まだ運転免許証を取っていない20歳以上の人が飲みの席に居たら必ず教えてあげてほしい。
教えてあげたい。
ただ単に知らないから。
「自転車での飲酒運転も違法」だと。

もう、こうやって罪悪感で苦しむ人が現れませんように、祈っています。

強迫性障碍者の人は、「あなたは強迫性障碍者だ」と診断を受けていて或る意味、自分の判断基準を否定されている。
曝露法を使う場合、自分で自分を否定することで自分の判断基準を否定されている。
「自分で自分を疑うくせ」がつきすぎていることがあるので、
強迫性障碍を持つ人はそもそも飲みの席には行かないことをオススメする。
仕事場での行事として強制参加とか半強制参加の場合は仕方ないにしても。
プライベート内とか、一対一での飲みの席は、そもそも参加しないほうがいい。
曝露法を使っていて意志薄弱の状態「開かれた状態」を作り出している場合は、行ってはいけない(※この行ってはいけないという強迫観念は、従ってよいタイプの強迫観念である)。

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